6-4(ウィリアム視点)
数日後、帝国博覧会で通訳を担っていた貴族が、仕事の重圧に耐えかねて姿を消した。という話が王宮を賑わした。
そしてウィリアムが新たにその任に就いたことも。
周りが騒ぎ立てたが、当のウィリアムは博覧会の準備に忙しく構っている暇はない。
それなのに、なぜか邸に娘を引き合わせたいという縁談めいた手紙が舞いこむようになった。
社交界では既にウィリアムとオルレアの婚約前提の交際が知られているはずだが、あくまで〝前提〟で効力のない関係だと判断してのことのようだ。
そして王に近い一部の人間しか知り得ないが、隣国からなだれこんだ難民により混迷を極めていたゼッタリング辺境伯領が落ち着いてきているという。
一時は王軍が出兵するのではとまで言われていたが、どうやら隣国の兵士を着実に撃退しているらしい。
アラスターからそう教えてもらったウィリアムは、オルレアを心配した。
(彼女の耳には辺境伯領の現状が届いているだろうか。知っているなら気が気でないだろうな)
慰めの言葉の一つでもかけたいが、手紙が届くかわからない。
そもそもどのような言葉でオルレアが救われるのか、想像もつかずにいた。
スティール伯爵のほうは、ウィリアムとアラスターの読み通りにいかず、すぐには食いついてこなかった。
それでも着々と帝国への出発が近づいたある日、とうとう目の前にスティール伯爵が姿を見せる。
「レスター卿。まずはお祝いの言葉を。帝国派遣おめでとうございます」
スティール伯爵が頭を恭しく下げるのを、ウィリアムは冷めた目で見返す。
「ありがとうございます」
「――つきましては、こちらにサインを頂きたいのです」
差し出されたのは二枚の紙。
一枚は婚約同意書で王も目を通す物だが、法を犯す――例えば近親での婚約など――でない限り許可は下りる。
もう一枚は誓約書だった。文面を読み進めるうちに自然と眉が寄っていく。
「こちらは何の真似か?」
「あなたは3ヶ月という長い間、帝国に滞在する。その期間中、麗しき帝国令嬢に心を移されるかもしれません。もちろん疑ってなどおりませんが、人の心など簡単に変わりますから」
ウィリアムは、言葉を切ったスティール伯爵の表情が余裕がなりを潜め、寂しさを帯びたような気がした。
だがそれも一瞬で消え去る。
「さいわい妹の再婚不可期間ももう終わります。レスター卿がどれほど我が妹を想っているかを形にして頂きたい。無論今この場で関係を断ち切っても構いません」
スティール伯爵は先程の感傷めいた瞳など嘘のように、大胆に笑う。
(……この男はこの男なりにオルレア嬢のことを思ってはいるのだろう)
ウィリアムにしてみればやり方や色々な事が間違っていると思うが、貴族の家長としては正しいのかもしれない。
継父や義兄に甘やかされて育った自分には理解が及ばないし、解りたくもないが。
「ペンを貸して頂けますか」
満足げに頷くスティール伯爵に手渡されたペンで、ウィリアムは二枚の紙に躊躇うことなく名を綴った。
帰路の馬車の中でウィリアムは無意識に溜息をつく。
手には、スティール伯爵から渡された『誓約書』の写しが握られている。
(またオルレア嬢の許しを得ずに話を進めてしまった……)
スティール伯爵は速やかに婚約同意書を、然るべき場に提出するはずだ。
自分のあずかり知らぬ間に正式に婚約したと解れば、オルレアはどんな気持ちを抱くのか。
ウィリアムはつくづく彼女を苦しめてばかりだ、と手の中の紙に力をこめる。
停まった馬車から下りれば、執事が玄関の前で迎えに来ていた。
帝国行きが決まり、深夜近くに帰宅する日々。
〝若くないのだから先に休んでいろ〟といくら言っても、執事は必ず起きて待ってくれている。
「お帰りなさいませ」
「ああ。ただいま」
執事は目ざとくウィリアムの手にある紙に注目したが、深掘りはせずに報告する。
「お昼過ぎにマーグレス侯爵夫人がお越しになられました」
「……兄嫁上がか。約束はなかったが、急用でも?」
執事は小さく首を振った。
「いいえ。ウィリアム様の帝国派遣をお喜びで、こちらにお寄りになったとのことと――スティール伯爵令嬢との交際はどうなっているのか、と心配のご様子です」
「そうか」
仕事の忙しさを口実に社交をサボりがちな自分と違い、義兄も兄嫁も何事も疎かにしない人間だ。社交界の噂や現状に、気が落ち着かないのだろう。
ウィリアムは持っていた紙を執事に渡す。
「金庫に保管しておいてくれ」
「……目をとおしても?」
頷けば、文面を読み進める執事の眉がみるみる吊り上がっていく。
「なんですか、これは!」
「誓約書だ」
「オルレア様と婚約解消した場合は慰謝料100万イシー?しかもどちらが言い出したかは問わない。つまりオルレア様からウィリアム様に婚約破棄を言い渡したとしても、ですか?そしてこれほど多額の慰謝料は……スティール伯爵家は富豪だと存じておりますが」
まくし立てる執事に、ウィリアムは手を上げて落ち着くように示す。
「心配しなくてもオルレア嬢とは結婚する……つもりだ」
語尾が弱くなったのは、何をおいてもオルレアに結婚を無理強いしたくないからだった。
「そういう問題ではなく!そもそもオルレア様とは婚約前提のお付き合いだったのでは。いつ正式に婚約を?」
「つい先程だ。スティール卿が現れて帝国派遣の祝いの言葉を受けた。その後、俺の覚悟を問われた」
執事は呆れ顔で額を抑える。
「それで、サインをなさったと……」
「はぐらかせば、帝国から帰ってくるまでにオルレア嬢は誰かの婚約者になっているかもしれないからな」
「……貴族というのは何とも恐ろしいですな」
執事が零した本音に苦笑する。
「どんなに名門貴族でも大なり小なり同じだ。貴族の娘であれば徹底的に家の利になるよう教えこまれるさ」
「そうかもしれませんが。それで、いつオルレア様はこちらにいらっしゃるので?」
「さあ、な」
ウィリアムが気まずげに視線を逸らすと、執事の表情が一層歪む。
「約束を取り付けなかったですか!?」
「……そうだ。オルレア嬢の意思も確かめずに話を進めてしまった。帝国に行くまでに彼女から連絡さえなければ、それは罰なんだろう」
(オルレア嬢は優しいから……すぐには婚約破棄を願うことはないとは思うが)
「……なんと弱気なことを」
「わかっているから言わないでくれ」
ウィリアムはただ項垂れた。
そんな主を見て執事は逆にやる気が湧いたようだ。もしかしたら、やけくそなのかもしれないが。
「取り敢えず。この契約書が有効かどうか専門家に相談しましょう」
(スティール卿がそのようなヘマをするとは思えないが……)
おざなりに頷けば、靴音も高らかに執事が部屋を横切る。
「明日も仕事がございますから早めにお休みください」
「わかってる」
執事が扉の向こうに消えるのを見送り、ウィリアムはまた大きな溜息をつくのだった。




