6-2
翌朝、いつも通りミルドレッドの部屋に赴く。
「おはようございます」
「オルレア、おはよう。待っていたわ」
急ぎの用件でもあるのだろうか、と首を傾げると見覚えのある包みが見せられる。
(これは――)
「誤解しないでね、ゼッタリング卿から送り返された訳ではないの」
ミルドレッドに頼んだはずの〝貴族名鑑〟だった。
「何かあったのですか?」
辺境伯領で郵便が止まることは珍しいことではない。
国防の要の領は、国境に異常があれば閉鎖されることがあるからだ。
(そういえば、わたしが家を出る前に〝隣国でいつ内戦が始まってもおかしくない〟とロバートは言っていた)
「ええ。何でも隣国の内戦が激化して、多くの難民が辺境伯領に入りこんで略奪などが起きているらしいの。国王陛下が援軍を送る、という噂もあるわ」
「そうなのですね」
オルレアは胸の前で祈るように手を組んだ。
辺境伯領の人たちに恨みなどなく、被害が最小限であるように願うしかできない。
「それで送り返されてきたの。我が家から直接使者に届けさせれば、ゼッタリング卿に返せる可能性は高いわ。でもそうなると旦那様の許可がいるわね」
溜息交じりのミルドレッドの言葉に、オルレアは顔を上げる。
「いいえ。そこまでして頂く訳には。今届けても迷惑なだけでしょうし」
(それに……お兄様の怒る顔が目に浮かぶわ)
ミルドレッドの手をこれ以上煩わせたくもない。
「そうね。落ち着いてからでいいと思うの。大切な物だから、とりあえずあなたに返しておくわ」
「はい」
包みを受け取ればオルレアの眼裏にロバートの顔が浮かんだが、すぐに消えていった。
※
その日の夕食にジェイコブはおらず、四人での食卓は賑やかで双子はデザートのおかわりをしてのびのびしていた。
オルレアが風呂のための準備をしていると、メイドが部屋に来た。
「旦那様がお呼びです」
「――はい」
少し前一階が慌ただしかったから、ジェイコブが帰宅したのは解っていたが何の用だろうか。
(もしかして、手紙がなくなっていることに気づいた?)
いや、そのことでオルレアを責めることはしないだろう。
明らかに悪いのは兄だ。わざわざ自分からその話をするとは思えない。
逆にオルレアから手紙の件を持ち出せば、知らぬ存ぜぬのしらを切るはず。
(封も開けていなかったし)
しかしこちらから指摘するわけにはいかない。
(お兄様は自分のしたことを棚に上げて、さぞお怒りになるでしょうね)
隠し部屋に許可もなく入るなど、はしたないなどと言って。
(場合によっては、監督不行き届きだとお義姉様にも飛び火しかねない……)
うつうつと考えながらジェイコブの部屋まで来ると、深呼吸をしてからノックをする。
「入れ」
オルレアが扉を開けると、執務机の椅子に座るジェイコブがいた。
上着を脱ぎ、襟元を緩めた様子は寛いでおり、昨夜と同様に上機嫌な雰囲気が伝わってくる。
「ご用とお伺いしました」
「ああ。お前とレスター卿の婚約を取り決めた」
(――え?)
突然の言葉に返事をできずにいれば、兄が鼻を鳴らす。
「呆けた顔をするな、全く。レスター卿は帝国で博覧会の通訳に選ばれて帝国に行く。そしてお前の再婚不可期間は終わった」
確かに再婚不可期間は過ぎている。
「帝国の……博覧会……」
オルレアにとって博覧会は書物の知識しかない。
(国の名産などを出品して展示するのだったかしら)
帝国で催されるのであれば大規模であり、多くの国が参加するに違いない。必然的に語学堪能な通訳が必要なのだろう。
「だから大急ぎ、いやレスター卿が慌てて正式に婚約をしたいと申し出てきたぞ」
思わず胡乱な視線を向けると、ジェイコブは不敵に笑う。
「もう必要はないから、お前に渡しておく」
(まさか……)
オルレアの直感通り、数枚の封筒が机の上に置かれた。
「レスター卿からの手紙ですね。なぜ隠していたのですか?」
黒い怒りが全身に渦巻く。それでも冷静に問いただした。双子が眠っている時間だから、と言い聞かせて。組んだ指先が手の甲に食いこむ。
「お前が駆け引きもせずに、すぐに返事を出すからだ。本当にお前ときたら男心というものをまったくもって理解していない。そんなだから――」
ジェイコブが言いかけた言葉を途中で切った。さすがに言明は避けたが、オルレアはジェイコブが言いたかった言葉が手に取るように解る。
〝お前は足りないから、選ばれないのだ〟と。
オルレアは暗澹たる気持ちになって俯く。
「用件は以上だ。それを持って部屋に戻れ。それと、レスター卿が帝国に出発するのは三日後だ。煩わせる真似はするな」
(三日後!?そんなに早く出発なさるの)
ジェイコブに釘を刺されて、オルレアは手紙を胸に抱くと重い足取りで部屋を出る。
頭の中はぐちゃぐちゃで思考を整理する糸口が見つけられず、ふらふらと廊下を歩く。
気がつけば自室のベッドの上に座りこんで、ぼんやりしていた。
(……わたしは、これからどうすべきだろう……)
今からでもこの家を出て修道院に行く?――すべてが遅すぎる。それなら離婚した時点でスティール家に帰らずに向かうべきだった。
どうして安易に実家を頼ってしまったのだろう。
思えば、ロバートがヴィクトリアを支援していたことは不思議でもなんでもなかった。
(それなのに一時の感情で短慮に走ってしまった。)
いずれ離婚を言い渡されると解っていたのだから、綿密にその後を計画しておくべきだったのだのに怠っていた。
理由はわかっている。
(……そう。わたしは〝選ばれたい〟という気持ちが捨てきれなかった)
今度こそ誰かに愛されたくて――。ジェイコブの言動を軽蔑しつつも従っていた。その時点で同罪なのに、被害者のように振る舞っていた。
視界が滲んで、頬に涙が流れ落ちるのを感じる。
(ウィリアム様はどうして急に……わたしと婚約なさったの?)
帝国に行くからだろうか。そういえばどのくらいの期間帰ってこないのか聞かなかった。婚約前提のままでは不都合があったのか。
(わたしが離れると思ったとか……まさかね。あり得ないわ)
所詮オルレアはジェイコブの操り人形だ。ウィリアムとの関係を白紙にしたいと懇願しても、聞き入れられることはない。
では、本当にわたしのことを……?
そう考えかけて否定するが、胸の奥から冷静な声が響く。
(ウィリアム様がいつ役わりを求めた?)
きっかけは領地経営の相談だったけれど、何の問題もなかった。あれは一体?
オルレアは涙を拭いて立ち上がると机の上の封筒を手に取り、レスター伯爵家の封蝋にペーパーナイフを入れる。
【オルレア嬢へ
スティール卿から、体調を崩したと返事がきたが大丈夫だろうか?
やはりこの間、顔色が悪かったのは無理をしていたのではないかと心配している。
本当に申し訳なかった。許してほしい。
落ち着いたらまたレスター家に、今度は遊びに気軽にきてくれたら。
庭の薔薇は見頃で、プラムも蕾をつけ始めた】
初めて行った日の後の手紙だろうか。
恋人を誘うには甘さの足りない文面だが、オルレアの心をかき乱すのには充分だった。
(……ウィリアム様はいつだってわたしのことを一番に考えてくださっている)
そして『わたしの気持ちに従うと誓う』とまで書いてくれていた。
それなのに――。
婚約前提は事後承諾だったけれど、またオルレアに確認せず婚約を決めた。同じことを繰り返したのは理由があるはず。
オルレアの胸の中でほのかにウィリアムへの想いが芽生えるが、今は見ずに蓋をする。
(わたしは何をすべき?誰のためでもなく、わたしのために)




