5-3
「少し休憩をしませんか?」
遠慮がちな声にオルレアは手を止める。
顔を上げれば、ウィリアムの気遣う顔があり、返礼リストは残り一枚だった。
「申し訳ございません!」
集中するあまり、彼の存在をすっかり忘れていたことに謝罪する。
「いや、謝らないでください。あなたはその……とても親身に取り組んでくれてありがたく思っています」
ウィリアムは言葉の途中で不自然に詰まったが、オルレアは感謝を素直に受け取り微笑んだ。
(ロバートは常に〝やって当然〟の態度だったから、嬉しい)
〝嬉しい〟?――違う、達成感よ。仕事を評価されたのだから。
「お茶の準備をしてまいります」
執事が部屋を出ていくとウィリアムと二人きりになり、どうしていいか解らなくなる。
「少し……窓を開けてもよろしいですか?」
オルレアに染みついた癖だった。
辺境伯家の執務を手伝い休憩になってもロバートとは雑談もしないので、窓を開けて外の景色を見ながら間を持たせたのだ。
返礼リストを束ねその上に、栞代わりにペーパーウェイトを挟んで閉じた貴族名鑑を載せる。
窓を開けると高い位置から鳥の囀りが聞こえてオルレアが見上げた瞬間、強い風が吹きこんだので慌てて机に駆け寄った。
バサバサと耳障りな音を立てて風が裏表紙だけでなくページまでもめくっている。
オルレアは手を伸ばして急いで本を閉じた。
(見られた!?)
「今日は……風が強いみたいです」
平静を装いながら、不自然にならないようにウィリアムに視線を向ける。鼓動が耳障りな音を立てている。
彼は手帳を閉じて窓に歩み寄ると開口部を小さくした。
「そのようですね」
(大丈夫だった……わよね?一瞬だもの)
オルレアが安堵の息をはくと、執事が茶器を載せたトレイを持って戻ってくる。
「休憩しましょう。これは私の好きな茶で、お口に合うといいのですが」
「ありがとうございます。とても良い香りです」
ウィリアムの言葉に、オルレアは余計な力が抜けて自然に微笑みを返すことができた。
返礼品リストを仕上げた後は、昨年の収支帳簿を見せてもらう。
(……問題はないわ。やっぱりわたしの早とちりだったのね)
「何かおかしな点がございますか?」
執事に尋ねられて、オルレアは首を振った。
「いいえ。不備はありません。今年の領地運営は昨年の資料を元に、大きな方針転換はしないということですね?」
「はい。私が、領民の信頼を得られたら見直していきたいと思っていますが。時間がかかりそうです」
ふっとウィリアムが苦笑する。
「そんなことはございませんわ。領民に寄り添うお気持ちはきっと伝わります」
「ありがとうございます。そうだといいのですが」
謝辞と衒いのない笑顔を向けられて、オルレアは胸に手を置く。
(本当に謙虚な方だわ。見栄や偽りとは無縁で……)
自分とは大違いだ、とオルレアは心の中で自嘲する。
ずっとロバートに従って仲の良い夫婦を演じて周囲を騙してきた、後悔に似た気持ちが胸に重く垂れこめた。
「……嬢?オルレア嬢」
「――申し訳ございません。少しぼんやりしてしまって」
「顔色が悪いですね」
ウィリアムに覗きこまれて、思わず顔を逸らしてしまい我に返る。
「大丈夫です、その……」
なんて失礼なことを、と恥じ入りながらも後ろめたくて視線を合わせられない。
「いいえ、無理をさせてしまったようです。配慮が足りず申し訳ありません。少し早いですが、帰りの馬車を用意いたします」
ウィリアムが手を上げると、執事が礼を取り部屋を出ていく。
「あの、本当に大丈夫ですので」
オルレアが腰を浮かしかけるが優しく制される。
「また、次があるのですから。それまでに私も勉強します、こちらをお借りしても?」
手書きの手帳を掲げられて、気恥ずかしく思いながらも頷く。
「お役に立つのでしたら……どうぞ」
話の糸口がなく互いに無言のまま廊下を歩く。
ウィリアムを盗み見ると、何か思い耽っているようにも見える。
玄関を出ると、沈黙の耐えかねたのか「わたくしがいない間に、ウィリアム様が失礼なことをなさいませんでしたか?」と執事に聞かれてオルレアは思わず動揺してしまったが、ウィリアムが軽めの声で返す。
「おい」
「ウィリアム様に限ってそのような事はないとは信じておりますが。なにせ度が過ぎるほど慎重で優しい性格ですので」
「褒めるか貶すかどちらかにしてくれ……」
「……ふふ」
ウィリアムと執事の軽口の応酬に、意図せず笑ってしまう。
「オルレア様の笑顔は大変かわいらしいですね」
(かわいい……わたしが?)
執事の言葉を理解すれば、じわじわと羞恥に襲われた。
しかも執事に振られたウィリアムが視線をさまよわせながら小さく頷いたのを見てしまい、顔が熱くなるのを感じる。
(……落ち着いて。ウィリアム様は、不作法に声を上げて笑ったわたしをフォローしてくださっただけ)
本当にかわいらしいなんて思っていないはず、だって――。
最後まで考えなくても、オルレアの頭は冷めていく。
同時に背筋を伸ばして、丁寧に頭を下げた。
「本日はありがとうございました」
逃げるように馬車に乗りこむと、乾いた音を立てて扉が閉まる。
オルレアは走り出した馬車の中で溜息をついた。
(次に会ったとき、どんな顔をすればいいの……)
――次、なんて本当にあるのかしら?
レスター伯爵家の領地収支は健全でオルレアが口出しできることはなかった。邸の中を見ても調度品は格調高いもので、お金に不自由しているのでは、というのは全くの見当違いだった。
運営方針もしばらく変えないのであれば、前年の帳簿を参考に付ければいいだけだ。
ガタン、と車輪が音を立てて少しだけ車体が揺れる。その拍子に膝から落ちかけた鞄を持ち直そうとして、硬い貴族名鑑の感触にオルレアの指先が冷えた。
(社交だって、返礼品リストに嗜好を細かく書き添えたから、そこまで困ることはないはず。だから――わたしの役目はもう終わり)
ウィリアムはどうするつもりだろうか。
優しい方だから表面上は交際を続けてくれて、ジェイコブが『正式に婚約を』と言い出せば、断る心積もりかもしれない。
指が一段と、凍りついたように冷たく感じて手でさすった。
(無事に役目を果たせたし、すぐにウィリアム様との交流が終わらなければ、ロバートたちだっていずれ国王陛下に認められて再婚できる。それでいいのよ……)
オルレアは顔を上げる。
明日、ミルドレッドに頼んで貴族名鑑を辺境伯家に送り返してもらわければ。そう決意して膝の上に鞄を置き直した。




