5-1 初訪問
翌日の昼過ぎ。オルレアがいつも通り双子に文字の読み書きを教えていると、乳母が入ってくる。
「お坊ちゃまたち、少し早いですがご休憩いたしましょう」
一瞬唇を尖らせた二人だが、運ばれてきた菓子に目を輝かせて「はーい!」と元気に返事をした。
「オルレア様、奥様がお呼びでございます」
「ありがとう」
子ども部屋を出て、ミルドレッドの部屋の扉をノックする。
「いらっしゃい。どうぞ座って」
促すミルドレッドが持つ封筒の印章が覗いて、咄嗟に目を伏せる。
十四歳だったオルレアが『何かが足りない』と烙印を押された記憶が甦り、ミルドレッドの手元を見ないように腰掛けた。
「次期レスター伯爵からお手紙が届いたわ。昨夜、〝領地経営の相談に乗る〟と約束したとか」
ミルドレッドは、ジェイコブから夜会の一部始終を聞いたのだろう。
ウィリアムの迅速な行動に驚きつつオルレアは頷く。
(こんなに急いでいらっしゃるなんて……レスター伯爵家の財政状況は深刻なのね)
それにしても。
(ウィリアム様と婚約前提になったこと、お兄様は満更でもないようで帰りの馬車の中では比較的機嫌が良かった。時期がくれば正式に婚約を結ぶつもりかしら?)
ウィリアムはさぞ困るだろう。
その前に領地運営が健全に機能する見通しが立てば、オルレアはお役御免になれる。
(できれば早いほうがいいけど……早過ぎても、ロバートの再婚に影響しそうね。難しいわ)
オルレアが思考に浸っていると、ミルドレッドが気遣う声をかけてくる。
「……レスター卿は噂ほどの方ではなかったの?アラスター殿下の側近で優秀で。真面目で浮いた話一つないと聞いたけど……」
ジェイコブの方針で、ミルドレッドは顔が広い。しかし今は子育てに重点を置いていて社交は控え目だ。それでも僅か半日で情報を仕入れたのは流石だった。
「それに、見目麗しい方で、アラスター殿下とは対のようだとも言われているらしいわ」
(――対)
なるほど、と感じる。アラスターは金髪にエメラルドブルーの瞳で王族にふさわしい輝光な存在だ。
(ウィリアム様は、黒髪と黒青の瞳。色だけなら確かに〝影〟的なのかも)
自分が知らないウィリアムの評価を知り、彼の側面しか把握していなかったことを自覚すると何ともいえない気持ちがよぎった。
「引き受けたけれど、気が進まない?」
「そういう、訳では」
オルレアは今更ながらウィリアムと深く関わることに躊躇いを覚える。
(ウィリアム様は優しくていらっしゃるから……)
あのぬくもりに触れて、何かが変わってしまうのが怖かった。
(思い上がりだわ。あの方はただ領地経営の手腕を見こんだ。それと……わたしが夫に捨てられた妻だと憐れんで優しくしてくださるだけ)
「大丈夫です。〝都合の良い日に訪問します〟とお返事してください」
「……最初のご招待はお断りする慣わしなのだけど」
それはオルレアも知っていた。貴族の間では、交際を始めて初デートの誘いは断るのが通例だ。いわゆる恋の駆け引きで、相手を焦らす目的だった。
(だけど、そもそもデートでさえない)
駆け引きをする理由がなかった。
ミルドレッドは悩ましげに溜息をつく。
「オルレアの意見は尊重したいけれど、あの人がね」
〝あの人〟とはジェイコブのことだ。しきたりを大事にする理由もあるが、要はオルレアのことを勿体ぶりたいのだろう。
「……すみません。ではお断りを」
ウィリアムは気分を害さないだろうか。領地経営のお話だというのに、初デートになぞらえて断ってしまったら。
「謝らなくてもいいのよ。それにね、レスター卿はすぐに二度目のお誘いをしてくださるわ」
「不快にお思いにならなければいいのですが」
ミルドレッドが瞬きをする。そしてにっこり微笑んだ。
「あらあら。そうね。ご不快にならなければいいわね」
なぜか言葉に抑揚が感じられなくて、オルレアは首を傾げた。
「まずは古式ゆかしくお断りをしましょう。でもね、数日以内にきっと招待状が届くわよ」
「はい」
返事のことよりもレスター伯爵家の財政の惨状を想像して、オルレアは腹を括った。
※
ミルドレッドの言った通り、断りの返事をした二日後に再びウィリアムから手紙が届く。
正確には花束に添えられていたカードに日付とともに、〝その日に会えるだろうか〟というお伺いが書かれていた。
これも慣習に則られており、オルレアはウィリアムが気を悪くしていないことに安堵する。
オルレアは了承の返事を送ると、辺境伯家から持ち帰った少ない荷物を詰めた鞄を取り出した。
(確か、家令に教わったノウハウを纏めた手帳を持って帰ってきたはず)
探す手が入れた覚えのない物に触れてギクリと固まる。
(この貴族名鑑……)
裏表紙にあるゼッタリング家の刻印を見て、少し混乱する。
(……どうしてこれが?)
手違いで入れてしまったのか。
すぐに返さなければ、と思いつつ奥付を確認すると五年前の物だった。
落ち着いてページをめくると、経年劣化ではない損耗と、書き付けの紙が幾つも挟んである。
(結婚した年の物ね)
あまりに使いこんだため本がバラバラになってしまい、装丁し直してもらった。
オルレアは懐かしい記憶に浸りかける意識を引き戻す。
これは持っているべき本ではない。
(謝罪の手紙と一緒に、明日お義姉様に頼んでゼッタリング家に送ってもらって――)
そう考えながらも開いたページから目が離せなかった。
(これは……レスター伯爵家に行く時に持参すれば役に立つはず……)
そんなことはするべきでないと強く思いつつも、振り切ることができない。
(使うとはかぎらない。もし使うことがあっても、わたしの手元に置いておけば大丈夫)
オルレアはそう言い聞かせて、手帳と貴族名鑑を外出用の鞄に入れた。




