4-3
ウィリアムの後姿を、オルレアは半ば呆然と見送る。
(……後は帰るだけだと思っていたのに)
どうしてこんなことになってしまったのか?
今夜は、最初に選んだドレスをジェイコブに駄目出しされ、ミルドレッドに慰められながら身支度を整えた。
夜会場に着くなり紳士たちに囲まれた。相手は皆、自分のことを知っていたが、オルレアにとっては辺境伯の妻だった頃にはあまり接点のない男性たちで、気を遣うばかりだった。
おまけにアラスターが重鎮と話しこみ取り付く島もない様子に、ジェイコブが次第に苛立つのを感じてさらに神経がすり減った。
そんなジェイコブの不機嫌な空気を感じ取ったのか男性たちはほどなく離れていったので、胸をなで下ろしていたら。
(ウィリアム様に出会ってしまった)
もう顔など忘れているかもしれないと馴れ馴れしくならないように、けれど失礼もないように礼だけするとなぜか話しかけられた。
そして成り行きから領地経営を教えてほしいと頼まれてしまった。
確かに社交界でオルレアは貴族夫人としての手腕を謎に高評価されていたが、それは元夫が要因だったとしか言いようがない。
完璧な女主人を求められて、ひたすら応えた結果だ。
けれどもウィリアムの申し出を無下に断ることもできなかった。
(……なぜ? お優しい方だと感じたから?)
とはいえ、オルレアの意思は関係ない。家長の兄に決定権があり、判断を委ねるだけだ。
ジェイコブは自分に近づいてきた人物を認めると鷹揚に胸を張るのが見える。
「レスター卿。何かご用ですか?」
「折り入ってお願いがございます」
「もしかしてあれのことか」
ジェイコブが自分を顎で示したのがわかった。途端、ウィリアムの肩が僅かに揺れる。
二人のそばに立ったオルレアは、彼の表情がやや硬いのに気づいた。
(……ウィリアム様、怒っていらっしゃる?)
まさかオルレアが〝あれ〟と呼ばれたのを不快に思ってくれたのだろうか。
(わたしのため……?)
そう思いかけて否定する。
(違うわ。用件を言い出しにくいだけ)
「お兄様、あの――」
「スティール卿、ぜひオルレア嬢の領地経営の力をお借りしたいのです。私はまだ経験が浅く若輩者ですから」
ウィリアムが深く頭を下げたので、少し驚く。
(そんなに困っていらっしゃるのね。確かにわたしも慣れないうちは大変だった)
オルレアはゼッタリング家で悪戦苦闘した日々に思いを馳せる。
(乗り越えられたのは、辺境伯家の家令や使用人たちのおかげだわ……)
ウィリアムにもそんな支えが必要なのかもしれない、と考えてジェイコブを見たが呆れた面持ちだ。
「話になりません。――オルレア、帰るぞ」
「では。婚約前提では」
間髪入れずに言い切ったウィリアムの言葉に、頭の中が真っ白になる。
(……いま……何て……!?)
「そうですね」
ジェイコブの声で、オルレアは我に返った。首を巡らせば、ウィリアムは売り言葉に買い言葉には見えない真摯な顔つきだ。反してジェイコブはしたり顔で顎を指で擦っている。
「わかりました。いいな?オルレア」
良いも悪いもジェイコブがそう決めたなら従うだけ。
(それにしてもウィリアム様はどうしてこんなに領地経営に必死になって……、レスター前伯爵は堅実な方だったと記憶しているけれど。……でも)
他人の家庭の事情など外から見ただけでは解らない。
オルレアとロバートだって社交界では理想の夫婦などという、実態とはかけ離れた評価をされていたのだ。
(実はレスター伯爵家の台所事情は厳しいのかもしれない)
オルレアと婚約前提になってでも、と思えるくらいに。
ふっと虚しさが湧きそうになったが、意識して口端を僅かに上げる。
「――領地経営の件、ご期待に添えるよう頑張ります」
(役割を演じるのは慣れているもの)
引き受けたからには、レスター伯爵家が滞りなく発展するために尽力するのみだ。
「いや……」
オルレアが頭を下げると、ウィリアムの困惑を滲ませた声が落ちてきた。
「スティール卿、少しオルレア嬢とお話させていただけませんか?」
ジェイコブはたっぷり一拍置いて渋々頷く。
「わかりました。先に馬車にいる」
長くは待たせるな、とオルレアに念を押して去っていった。
「オルレア嬢」
振り返るとウィリアムが頭を下げている。
「あなたの気持ちを無視し、軽率なことをしてしまったことお詫びします」
(やはり……ウィリアム様はわたしを気遣ってくれるのね)
「もしも――気が進まないのであれば今ここで断ってくださっても構いません。スティール卿には私が話します」
(それとも後悔していらっしゃる?咄嗟に〝婚約前提〟だと言ってしまったけれど、冷静になられたのだわ)
じっとウィリアムを見つめる。オルレア自身も落ち着いて考えれば、選ばれる理由など見つからないのだ。
(領地経営だって専門家に頼むこともできる)
ゼッタリング家は辺境伯としての機密情報もあり委託はしなかったが、スティール家には顧問がいる。
ただ専門家を雇うとなるとかなりの報酬を支払うことになるが。
(レスター伯爵家のご事情を鑑みれば……やはり難しいとか?)
「本当にわたくしでよろしいのですか?」
改めて問えば、ウィリアムが少し困ったような表情を浮かべた。
「先程も言いましたが、あなた以外に頼みたい方が思い浮かばなかったのです」
(……この言葉には驚いたけれど。わたしなら家政も助言できるから、深い意味はないわね)
オルレアの呼吸が浅くなり少し息苦しく感じる。
(後ろ向きなことばかり並び立てても仕方ない。わたしにも利点はあるもの)
ウィリアムと婚約前提の交際をしている間は、ジェイコブに夜会に連れ出されることはなくなるだろう。それと。
(これでロバートも再婚しやすくなる)
応援する気はないが、ロバートとヴィクトリアが結婚できないのはオルレアのせい、と社交界で理不尽に噂されるのも避けたい。
「解りました。ただ一つだけお願いがございます」
「何でしょう?」
「わたしが至らぬことでご負担をおかけするのであれば、どうか遠慮なくお申しくださいませ」
(レスター伯爵家の領地経営が軌道に乗れば、わたしは必要なくなるのだから)
ウィリアムは微かに眉を寄せ、真っ直ぐ見つめてきた。すべてを偽りなく映す鏡のような黒青色の瞳に、オルレアは少し体を引いてしまう。
(どうして、そんな顔をなさるの?)
「オルレア嬢こそ――無理をなさらず、私があまりにも不器用であればおっしゃって頂きたい。スティール卿は説得いたしますので」
(ウィリアム様も逃げ道を作ってくださるのね……わたしはこの方の優しさに報いらなければ)
オルレアは決意を新たに手の中の扇に力をこめる。
「ウィリアム!」
よく通る声に見遣れば、アラスターがこちらに向かって軽く手を挙げていた。
遠目ながら失礼のないようにオルレアは頭を垂れる。
「アラスター殿下が呼んでいるので行きます。馬車まで送り届けられず申し訳ありません」
ウィリアムに謝罪されて、首を振る。
「大丈夫ですわ。お気遣いありがとうございます」
「――では、また」
一瞬口を噤みウィリアムが発した言葉に、オルレアの鼓動が一つだけ跳ねた。どう返事をしていいかわからず微笑みを返すと、ウィリアムが足早にアラスターの元へ向かっていく。
「今年の春は早く訪れそうね」
歌うような軽やかな声に振り向くと、年長の貴族夫人が意味深に微笑んでくる。一部始終を見ていたのだろう、オルレアも曖昧に口角を上げた。
違うわ――。
(わたしの存在は、そんな〝恋〟とか〝愛〟ではない)
そう自分の心に言い聞かせた。




