16・1 黒幕は……?
「いったいどういうことだ!!!!」
ハインツの激しい怒声が響き渡る。
ヴァルター付きの侍女は「申し訳ございません」と泣きながら床に頭をつける。
「雨が降ってきたのでお部屋に戻ろうとしたところで、『エルゼ妃殿下が呼んでいる』と。『温室で花を摘む許可をもらったから、花冠を作って遊ぼう』と……」
涙で声を詰まらせながら侍女が言う。
「侍女と護衛は付き添ったな!?」
ハインツがふたたび怒鳴る。
「護衛がひとりだけ……」
エルゼが息をのみ、口を手で押さえた。
「なぜだ! 常に護衛ふたりと侍女がひとりはつくはずだろう!」
「……足りているから大丈夫だと言われて……」
「そんなものを鵜吞みにしたのか! なぜ行かせた! 指示したのは誰だ!」
侍女は涙まみれの顔をゆっくりと上げた。エルゼを見て、次にハインツを見る。
「……ギーツェン公爵令嬢です……」
「……は? ……カロリーネだと?」
急に毒気が抜けたように呟くハインツ。それに対して侍女ははっきりと「そうでございます」と答えた。
「ですから、信じてしまいました。あの気高きギーツェン公爵令嬢に限って、まさか……」
侍女はふたたび床に突っ伏すと、声を立てて泣き始めた。
その様子に我に返るハインツ。
「くそっ! すぐに捜索を! ヴァルター及びカロリーネ、それからギーツェン公爵家に関する人間もだ! 公爵家の人間は拘束して構わぬ!」
ハインツが叫ぶと、控えていた従者や護衛が駆けだして行った。
(ヴァルター……。カロリーネ……。どうして)
エルゼは呆然としながらも、なんとか頭を働かせようとする。
(いえ、どうしてかなんて今はいいのよ。ヴァルターを見つけないと。どこにいるの、ヴァルター……。私に彼の居場所がわかる能力があれば。母親なのになんて役立たずなのかしら――)
そのとき、思い出した。
以前にも一度、意思に反して連れ去られたときがあったことを。そのときに役だったものがあったことを。
「殿下! 護符です!」
エルゼは叫んでハインツにしがみつく。
「グレタさんにいただいた護符を、今でもヴァルターに身につけさせています!」
魔力安定を願い、グレタがヴァルターに用意してくれた護符。
今のヴァルターは魔力暴走を起こさないから、もうその必要はない。けれどあれはグレタの好意の象徴だ。
しかも護符のおかげで、連れ去りの難から逃れることもできた。
だからエルゼはヴァルターに護符をつけさせ続けていた。
「そうか! ならばあのときの魔力を辿れば――!」
エルゼはチェストに駆け寄ると、中からもうひとつの護符を取り出した。
ジーモンに連れ去られたとき、追跡するためにハインツがフランクから借り受けた護符だ。
ハインツはフランクに返そうとしたのだけれど、『万が一のときのために』とエルゼに譲ってくれた。
ハインツは護符を手にすると、呪文を唱え始めた。
その様子を手を組み不安げにじっと見つめるエルゼ。
けれどハインツはすぐにひきつった表情になった。
「……反応がない」と、エルゼを見る。
「どいうことですか!」
「分からない。痕跡が追えないほど遠くへ行っているのか、ヴァルターが持つ護符が効力を失っているのか……」
「そんな」
青ざめたエルゼがよろめくと、ハインツが抱き留めてベッドに座らせた。そして近侍たちに次々と指示を出す。
(いったいなにが起きているの? ヴァルター……。カロリーネ様はどうして嘘をついて連れて行ったの? 私が襲われたのはどうして?)
侍女に肩を抱かれたエルゼは、ハインツを見るとはなしに見つめながら必死に考える。
けれどなにもわからない。
「――王宮に侵入したのなら、相当な魔法の使い手と考えられる。もしくは王宮所属魔術師の裏切りか――」
集まった侍従や護衛たちに指示を飛ばすハインツ。
そのときふと、エルゼの頭には淋しそうなカロリーネが思い浮かんだ。
「ハインツ殿下……!」
エルゼは再びハインツに駆け寄ると背伸びをして、両手を口に当て「もしかして――」と彼の耳に囁いた。
「カロリーネ様はずっと、ただひとりを愛してらっしゃいます」
その言葉だけで、ハインツはわかったようだった。息をのんでエルゼを見た。
「……まさか兄上がヴァルターを?」
あまりにショックだったのか、ハインツの身体がゆらりと揺れた。
けれど足を踏ん張り、なんとか姿勢を保つ。
「……兄上ならば王宮に自由に出入りできる。実は郊外の丘に行ったときに、父上が兄上らしき魔力を僅かに感じたそうだ。ふたりは魔力の質が似ていて、元々自然に呼応することがある。だが丘で感じた兄上の魔力はかなり変質していたらしく、それで父上は不安を感じて帰宅を早めたのだ」
(そんな。でもそうなるとやはりカロリーネ様はヨーゼフ殿下に頼まれて……)
「兄上……」
ハインツは苦しげに顔をしかめる。けれどすぐに毅然とした表情を取り戻し、正面を見据えた。
「誰が仕組んだことだとしても、我が息子ヴァルターを取り戻すことが最優先だ」
「ハインツ殿下……」
エルゼが心配になって夫を見上げると、夫は大丈夫だというように笑顔を浮かべた。
「エルゼに万が一のことがあるといけないからな。ここで待っていてくれ。幼い子供を連れ去るなど、たとえどのような理由があろうとも、まともな人間の所業ではない。相手は凶悪犯だ」
(でも待っているだけなんて無理だわ。私もヴァルターを探しに行きたい。でも――)
ハインツが今、どれほど精神的に堪えているかは笑顔のいびつさからよくわかった。
(どうすれば……)
エルゼが戸惑っているうちに、ハインツは彼女の額にキスをして背を翻した。
「あ、殿下……」
エルゼがハインツに手を伸ばす。
そのとき突然、エルゼは強烈な眩しさを感じて目を閉じた。
『ママ――!』
頭の中でヴァルターの声が聞こえる。それと同時に、金色に輝く黒い瞳が脳裏に浮かんだ。




