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15・2 迫る危機

 静まり返った図書室で、エルゼは机に積み上げた山のような量の書物に目を通している。

 すべて悪魔術に関するものだ。どれを見ても、おぞましく、かつ気が滅入るような内容ばかり。

 使われる命は術者本人のものだけではないらしい。ある魔法には〇〇の頭を用意とか、別の魔法には〇〇の血を飲んでから行うだとかが書いてある。


 ハインツによれば、ヨーゼフ王子の失踪を知っているのはほんの一握りの人間で、さらに悪魔術への傾倒となると両手で数えられる程度だという。

 カロリーネは前者は知っていて、後者は知らないそうだ。


(もし知ったら、相当なショックを受けるわよね。いまだにあれほどヨーゼフ殿下を慕っているのだもの。私になにか力になれることはあるのかしら)


 エルゼは窓の外に目を向ける。午後の早い時間だというのにだいぶ薄暗く、細い雨が降っているようだった。


「雨?」

 エルゼは立ち上がり窓辺に寄った。やはり音もなく雨が降っている。

「ヴァルターの外遊びの時間なのに。部屋に戻ったかしら」

 

 それならヴァルターのもとへ行こう、とエルゼは決める。悪魔術のせいで、だいぶ気分が落ち込んでしまった。愛息子の屈託のない笑顔を見て癒されたい。


 とはいえ、本を書架に戻すのにはだいぶ時間がかかりそうだ。

 どうしても調べ物の内容を知られたくなくて、司書にも護衛にも部屋を出てもらっている。

 エルゼは三冊ほど抱かえて、戻す場所を探す。


(護衛がいると、他人に知られたくないことをするときに困るわね。ハインツ殿下がつけてくれているのだから、信用できる人たちなのでしょうけど。悪魔術(こういった)私以外に関する秘密のときはね……》


 ハインツの過剰な心配性も、強引にエルゼとヴァルターをリーデルシュタインに連れてきたことも、理由は同じらしい。彼の後悔だ。


 エルゼの幸せを願って身を引いたのに、気づいたときにはエルゼは処刑されていた。

 兄を思って王宮を出たのに、余計に兄は追い詰められていた。

 国内はもう大丈夫だと考え、他国に婿入りに行けば母国では反乱が起き。

 父と兄を思って死に物狂いで反乱を平定すれば、兄が精神のバランスを崩して失踪。

 手に入れたと喜んでいたエルゼも行方知れず。


 すべてが後手後手だった。だから。

 もう二度と後悔はしないと決意して、大切なものは全力で守り、相手にひかれても自分のペースで物事を進めることにしたらしい。


 ハインツが明確にそうエルゼに伝えたわけではなかった。けれどエルゼはあの晩の彼の話から、そのように受け取った。


(最初は強引でマイペースな人だと思ったけれど、繊細な一面もあるのね。ヘンリヒもそうだったしわ)

 

 脳裏にかつてひと夏を共に過ごしたヘンリヒの姿がよみがえる。線が細く美しい少年だった。

(ヘンリヒも苦労したのだわ。もしかしたら私やヴァルと家族であろうとしてくれるのは、ヨーゼフ殿下とうまくいかなかったせいもあるのかもしれない)


 抱えていた本をすべて戻し終え、次の本を取りに戻ろうと身をひるがえすエリゼ。


「え――?」


 室内に男がひとり、立っていた。彼我の間には机がひとつある。けれどその距離をもってしても、男から異様な空気が漂っているのがひしひしと伝わって来た。

 全身を覆うローブと深くかぶっているフードで、相手の顔は見えない。けれどエルゼに向けて伸ばした手は明らかに男のもので。


(不審者!? 城内で!?)

 驚きすぎてエルゼは声が出ない。

 男が呪文らしきものを唱え始める。


(このままではダメだわ!)


 必死に息を吸い、エルゼが叫ぼうとしたとき――


「うっ……」

 見えないなにかに首を絞められる。

 苦しくてもがくエルゼ。

 けれど楽になるどころか、どんどんと苦しくなる。


(ああ……、ダメかもしれない)

 朦朧としながらエルゼが諦めそうになったとき、トントンと扉をノックする音がした。


「妃殿下――なっ!」


 護衛の声が聞こえたとたんに楽になった。

 ガクリとその場に倒れこみ、咳き込む。


「不審者侵入!!」

 護衛は剣を抜きながら叫ぶ。

 けれど侵入者のほうは戦う気はなかったらしい。小声で短い呪文を唱えると姿を消した。


 別の護衛がエルゼに駆け寄る。

「妃殿下、大丈夫ですか! 妃殿下!」

 けれどエルゼは呼びかけに反応しない。

 首に痛々しい赤い跡をつけ、エルゼは気を失っていた。


 ◇


 幸いなことにエルゼが負った怪我は軽傷だった。そのため、魔法医師の治療により完璧に治った。

 それでも見えない力で首を絞められた恐怖はとてつもないものだ。


 自室のベッドで目覚めると、現在の状況を把握するより先に恐怖がやって来て、飛び上がって悲鳴を上げた。

 そばに控えていた侍女たちが慌てて駆け寄る。


「妃殿下、もう大丈夫ですから」

「安全です!」

「ハインツ殿下もすぐに見えます!」


 その言葉が終わらないうちに扉が開き、ハインツが「エルゼ!」と叫びながら飛び込んできた。


「エルゼ、大丈夫か!」

 ベッドに飛び乗りエルゼの肩をつかむハインツ。

「殿下……」

 ハインツの顔を見たエルゼは、ようやく目の前のものを把握し、辺りを見回した。


「あ、私……助かったのですね……」

「ああ、そうだ。怖い思いをしたな、可哀想に」

 エルゼを抱き寄せるハインツ。


「鉄壁の結界を張っている王宮が侵入者を許すなど信じられん! だが結界も警備も強固にした。だから――」

「……ヴァルターは?」


 エルゼはハインツの胸元の服を掴んだ。

「あの子は無事ですか? そばにいないのは不安です。どこにいます? 自室ですか?」

 安全と思っていた王宮がそうではなかった。

 エルゼは不安に駆られ、ヴァルターの元へ行こうとベッドから降りようとする。


「ヴァルターは『のびのび遊び』の時間だな」とハインツ。「外は雨だから、自室だろう。一緒に顔を見に行こうか。エルゼ、君は私が連れて行くから起き上がるな」

 ハインツがそう言って、エルゼを抱き上げようとしたときだった。


 ヴァルター付きの侍女が、真っ青な顔で寝室に転がり込んできた。


「エルゼ妃殿下が図書室で襲撃されたというのは本当ですか!」

 悲鳴のように叫ぶ侍女。エルゼの姿を認めると、「ああ……っ!!」と声を上げ、その場にへたりこんだ。


「どうした、何事だ! ヴァルターはどうした」

 ハインツが鋭く問う。

「ヴァルター殿下は……」侍女がぼろぼろと涙をこぼす。「エルゼ妃殿下が呼んでいるからと言われて、一緒に行ってしまったのです。私どももてっきり――」

「どういうこと! ヴァルターはいないの!?」


 エルゼの悲壮な叫びに、侍女はがっくりと首を縦に振った。


すみません。月内に終わりませんでした。

もう少しお付き合いくださいませ。

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