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15・1 ヨーゼフ元王太子の秘密

 夫婦の寝室にハインツがやって来たのは、だいぶ深い時間になってからだった。

 昨晩だってろくに眠っていないはずで、エルゼは話し合いは延期にしたほうがいいのではないかと提案をした。

 けれどハインツはどうしても今日中に話してしまいたいと譲らなかった。


 ローテーブルの上には葡萄酒と軽食が並んでいる。ハインツが用意した。


(ということは、きっと長い話になるということよね。ハインツ殿下が涙を流すほどつらいお話。いったいなんなのかしら)

 不安で胸がざわつくのを感じながら、エルゼはとなりに腰かけるハインツの横顔を見つめた。


 視線に気づいたハインツは、手にしていたグラスを置くとエルゼに微笑みかける。

 いつも自信に満ちた顔が、さみしそうな表情をしている。


「では、話そうか。君に連絡もせずに、私がなにをしていたか」

 こくりとうなずくエルゼ。

「兄を――ヨーゼフ元王太子を探していた」


(え? どういうこと?)

 思わず二、三度瞬きをするエルゼ。


「……ヨーゼフ殿下はお怪我の後遺症で療養中なのではないのですか?」

「表向きはそうするしかなかったのだ。兄はすべてを捨てて出奔した」


 ハインツの顔はわずかに歪み、声には苦渋が滲み出ている。


「――私を憎みに憎んでね」

「っ!」

 エルゼは息をのんだ。それから、どうして、とかすれ声で尋ねる。

 ハインツが目を伏せる。

「兄とは本当に仲が良かった。優しく寛容で、細かい心配りができて、いつでも私を導いてくれた。兄は私の誇りで、尊敬していた。――だがその裏で、兄は苦しんでいたらしい。愚かな私は、まったく気づくことができなかった」


 どれほどヨーゼフが努力をし結果を出しても、世間はリーデルシュタイン王族の特徴を色濃く持つ第二王子をもてはやす。

 無尽蔵かのような魔力に、それを完璧に操る技量。なにより竜の子孫である証とされる竜眼。


 次代の王にふさわしいのは、第二王子ハインツだ。

 卓越した能力で、リーデルシュタインを強い国へと導いてくれるだろう。

 竜の加護を持つ彼が王にならなければ、きっと竜の怒りを買って国は衰退するだろう。


 そのような無責任な言葉に、ヨーゼフはずっと、それこそハインツが生まれてから二十年もの長い間、晒され傷ついていた。

 もちろんハインツが兄のためにと思って、都から離れていた間も。


「相当なストレスだったはずだ。けれど私はなにも気づかなかった。離れて暮らしていたときも、都に戻ってからも」


 ハインツとて、まったくなにも気づいていないわけではなかった。ただ、兄は自分の中で折り合いをつけているのだと思っていたのだ。ヨーゼフは苦しい胸の内を、ハインツにも父親にも婚約者にもまったく見せることはなかったから。


「長年兄上と父を苦しめていた、第一王子派と第二王子派の対立。私は兄上のためにみずから第二王子派を潰した。よかれと思ってのことだったが、兄は自分で解決できなかったことを弟がやり遂げたと、コンプレックスを刺激されたらしい」

「そんな……」


 エルゼはハインツの手を握りしめる。


「次は私の婿入りだ。エルゼが処刑された経緯をさぐりたかった私が、アーデル王女の婿に立候補したのは、第二王子派を壊滅させて父と兄の地位が万全になったと安心していたからだ。けれど私が都を出たとたんに反乱が起きた」


 暗い表情のハインツがため息をつく。


「首謀者たちは、私がいなくなったことを好機と捉えて、反旗を翻した。つまり――」

「首謀者たちは、ハインツ殿下を失った第一王子殿下や国王陛下には勝てると判断したのですね」

 そうだとうなずくハインツ。


「あげくに兄たちが苦戦していた反乱軍を、私が制圧した。兄と父を守りたいがためのことだったが、兄からすれば『圧倒的な格差を見せつけられた』ということだったらしい」


 あまりの話に、エルゼはなんと言葉をかけていいかわからなく、せめて王太子の勘違いを否定しようとゆるゆると頭を左右にふった。


「身体が震えるほどの屈辱だったそうだ。反乱軍に勝利した知らせを私が父にもってきたときに、兄上のストレスは爆発してしまった。錯乱し、私への恨みつらみを叫び続け、最後に『お前が王になればいい。誰にも必要とされない役立たずは消えることにしよう!』と叫んで姿を消してしまった。あれほど愛していたカロリーネまで捨てて」


「余程おつらい日々だったのでしょうね」

 ハインツがエルゼを見た。泣きそうな顔だ、とエルゼは思った。


「……兄は恐らく精神を病んでしまったのだ。私だけでなく父やカロリーネの言葉がまったく聞こえていないようだった。到底ほっておけるような状態ではなくてね。ずっと秘密裏に兄を捜している。エルゼの捜索に金しか出せなかったのは、このせいだ」


(なるほど。極秘で動かせる人員はそんなに多くないでしょうからね。でもこんなの、つらすぎるわ……)


「しかも兄は――」ハインツは言葉を切って、少しだけ逡巡したようだった。が、すぐに話を続ける。「悪魔術に傾倒しているようなんだ。何度かあと一歩というところで兄を逃がしてしまっているのだが、兄の家にその痕跡があった。そんなものに頼らずとも、王族としては十分な魔力も技量もあるというのに」

「悪魔術って、民間伝承にあるあの(・・)悪魔術ですか」


 そうだとうなずくハインツ。エルゼはなんと言っていいかわからず、ハインツを見つめることしかできない。


 悪魔術は通常の魔法とは流派が異なる魔法で、通常とは別の要素と理論でなりたっている。

 要素で最も重要なのは術者の命だという。術者は魔法を使うたびに自らの命を削り、その代わりに甚大な魔力を発現するという仕組みらしい。


 だけれど悪魔術に関する書物は複数存在するものの、それを使えると主張するものは過去においても現在においても皆無である。

 悪魔術は一部の好事家を喜ばせる、おとぎばなしのようなものなのだ。


(それを元王太子殿下が研究しているということ?)

 となればヨーゼフはやはり通常の精神状態ではないだろう。

 それに王家として国家としての外聞もよくない。


 ハインツは苦渋に満ちた表情をしている。

「私は兄本人や父、カロリーネや国のために、兄を保護しなければならないのだ。そしていつか、元の兄に戻ってほしい」

「わかりました、殿下」


 エルゼはまたも、なんと言えばいいのかがわからなかった。

 ただ、破裂してしまいそうなほどに、ハインツに苦しんでもらいたくないという気持ちでいっぱいだった。


「私がお役に立てることは少ないでしょう。その代わり、ハインツ殿下がお疲れになったときに安心して安らげる場所になります。どうぞいくらでも身を預けてくださいな」

「エルゼ……」

 ハインツは不安そうにエルゼを見る。

「疲れ、弱音を吐く私を情けないと思わないか?」

「むしろ愛しいです」


 反射的に言葉が出てきて、エルゼは自分はそんな風に感じていたのかと驚く。

 

「殿下にただ愛されるだけでなく、頼ってもらえると嬉しい……みたいです」

「そうか。私は考えていたよりもずっと、エルゼに愛されているようだ」


 心の底から嬉しそうな笑顔になると、ハインツはエルゼを抱き寄せ額にキスをした。



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