14・1 帰らぬ夫
夜には戻るはずだったハインツは、朝になっても帰ってこなかった。
どこへ、なんのために出かけているのか。尋ねても誰もエルゼに教えてくれない。トップシークレットなのだという。
それだけ重要任務なのだろうとは考えるものの、エルゼはどうしても不安を拭えなかった。
(もしかしたらハインツ殿下は、私を信頼できないと判断してなにも言わずにお出かけされたのかもしれない)
常に笑顔で、エルゼを包み込むような大きすぎる愛をもって接してくれるハインツ。
その彼の信頼を失ったと思うと、いたたまれない。
エルゼの落ち着かない様子を見たカロリーネが、なにかあったのかと心配してくれたので経緯をすべて包み隠さず話した。
すると彼女は「考えすぎよ」と笑い飛ばした。
「多少はショックだったかもしれないけれどね。ハインツ殿下がどれだけあなたを思っているか、エルゼはまだまだ自覚が足りないようね。今回のことはたまたまタイミングが悪かっただけよ」
そんな友人の言葉に、なんとか落ち着こうとしたエルゼだったけれど、ハインツはなかなか帰ってこない。ついには二晩めを迎えてしまう。
「おとしゃんいなくてさみしかったね」
エルゼがヴァルターを寝かしつけていると、我が子はさみしげな声をこぼした。
「そうね。……ママもさみしかったわ」
「おとしゃんに会いたいな。あたらしい魔法、見せたいの」
「……きっと驚いて『ヴァルターはすごいな!』と褒めてくれるわ」
エルゼは不安が顔に出ないよう、微笑みをうかべながらゆっくりとヴァルターの頭をなでる。
「うん。おとしゃん、だいすき」
うっすらと開いたまぶたの間から瞳が金色に煌くのが見える。
「……おとしゃん、たいへん……」
「大変……って、どうして?」
エルゼが驚いて聞き返す。けれどヴァルターはすでに寝息を立て始めていた。
(今の言葉はなにかしら。いつか私の恐怖を悟ったみたいに、父親のなにかに気がついたの?)
エルゼの中に、今までのものとは別の不安が生じる。行き先も目的もわからない仕事がもう丸
一日も押している。
いつもは優しい義父も、今回ばかりはなにも教えてくれない。
エルゼはヴァルターの頭をふたたび優しくなでた。
(なにが起きたとしても、ヴァルターを守らなければ。いつまでも、くよくよしていてはだめよね。しっかりしなさい、エルゼ。あなたはひとりではないのだから……)
◇
ヴァルターが寝付いたのを見届けたエルゼは、図書室に向かっていた。
どうにも落ち着かないから、なにか書物を読むことにしようと考えたのだった。
毛足の長い絨毯が敷かれた廊下を進んでいると、「ハインツ殿下は今日もお戻りにならなかったな」という声が聞こえてきた。すぐに別の声で、「上のほうもバタついているし、ただごとじゃないよな」と続く。
声の主は幾つかあるサロンのひとつで話しているらしい。どうやら役人が仕事終わりに寛いでいるようだった。
ハインツの話題であるから、エルゼは歩みこそは止めないものの、ついつい耳をそばだててしまう。
「やっぱり残党がみつかったんじゃないか?」
「徹底的に掃討していて遅れているのかもな」
(んん? 残党とかソウトウってなんのことかしら)
エルゼは数歩離れてついてくるふたりの護衛をちらりと見たけれど、護衛はどちらも素知らぬ顔をしている。
「また血の雨か。俺はあの方が恐ろしいよ」
「容赦がないよな。もちろん反逆した人間が悪いんだが……」
血の雨、とエルザは呟いて足を止めた。
(容赦がない? 恐ろしい? それってハインツ殿下のことなの?)
エルゼは、ジーモンと共にいた魔術師がハインツのことを『冷酷王太子』と呼んだことを思い出す。
(あれは遠い国へ歪んで伝わった結果の通称ではなかったの?)
戸惑ったエルゼはふたりの護衛を見ると、彼らはバツの悪そうな顔をしていた。
「『血の雨』ってどういうこと?」
思い切って尋ねると、護衛たちは困ったように顔を見合わせた。あげくに「……私どもは任務中の妃殿下との私語は禁じられております」と答えた。
「そう……」
彼らの答えが真実なのか言い逃れなのかは、わからない。
けれど護衛たちが教えてくれないのならば、会話の主に尋ねればいいだけのこと。
いつの間にやら役人たちの声は途切れていたけれど、扉が開いている部屋をのぞけばいいのだ。エルゼはすぐに彼らをみつけて、サロンに入った。
役人たちもエルゼと護衛の声が聞こえていたらしい。気まずそうな顔で、長椅子から立ち上がる。
「あなたがたのお話が聞こえたの。先ほどの会話について、質問があるわ」
そうしてエルゼが役人たちから聞いたのは、反乱を平定したハインツがいかに冷酷かつ残酷だったかという話だった。
戦場での戦いぶりは言うまでもなく。心労で床に伏した王の代理として当たった後処理でも、首謀者の王弟や追随した貴族たちだけでなく、その家族も容赦なく処刑したとかその遺体をさらしたとか。
情け容赦はいっさいなかったという。
エルゼやヴァルターに見せる陽気で温かな笑顔のハインツからは、到底想像もつかない話だった。
「むろん、悪いのは反逆者です。とはいえ平定後に流れた血が予想上に多かったのも事実でして、はい……」
役人たちは言葉を濁し、それから「とはいえ――」とハインツがいかにすぐれた王太子であるかを熱弁をふるった。
エルゼは役人たちに礼をいって、サロンを出ると図書室行きをやめて自室に向かった。
(私はハインツ殿下のことを、まったくわかっていなかったのだわ。私とヴァルターの前での彼しかしらない)
そう考えると胸の奥がきりきいと痛んだ。
けれどその痛みよりも、不安のほうがずっと大きい。
(もし今回の外出が、彼らがいうように本当に残党の対応に出ているのなら。それに苦戦しているのなら。殿下はご無事なのかしら。なにかよくない状況になっているなんてことは――)
エルゼはいてもたってもいられない。だけれど事情を知っているだろう人たちは、なにも教えてはくれない。
(いったいどうすれば。ハインツ殿下の帰りを待つしかないのかしら……)




