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10・2 カロリーネと庭園

 初顔合わせの翌日から、カロリーネはエルゼの王太子妃教育に参加してくれるようになった。

 もちろん、教える側としてだ。マナーやダンスといった実践的なものはお手本を見せ、座学は《かつて学んだ者》として覚えにくかったものなどのアドバイスをする。


 おかげでエルゼの理解度は格段に上がり、習得のスピードも早くなった。

 おまけに教師陣はカロリーネの前では、エルゼを見下す態度は見せようとはしなかった。そのために授業もスムーズに進み、エルゼのストレスもない。


(お腹の中ではなにを考えているかはわからないけれど、構わないわ。少しでも早く誰もが文句を言えない王太子妃になってみせる)


 ただどうしても解消できない心配はひとつある。彼女がヴァルターと離れている間、彼の教師やお付きの人間がなにか吹き込んでいないかだ。


(本来なら私がそばについていられればいいのだけど。とにかく、一刻も早く王太子妃教育を終えることが必要よね)

 そう密かに闘志を燃やすエルゼだった。



 マナーの勉強を終えたあと、エルゼとカロリーネは庭園に向かった。

 王太子妃たるもの、褒め言葉ひとつとっても語彙力が豊かでなくてはならない――ということで、カロリーネが庭園の花を題材にして個人的にレッスンしてくれることになったのだ。


 ふたりが出会って早一週間。すっかり打ち解けて、以前からの友人同士のような気軽い仲となっている。

 向かう庭園は《春の花園》で、種々様々な花が、野のように雑多に咲き乱れているところだという。


「ヨーゼフ殿下のお気に入りの庭園なのよ」

 頬をほんのり染めるカロリーネ。

「ふたりでたくさん散歩をしたわ。ガゼボがあるから、お茶もね。エルゼさんも落ち着いたらハインツ殿下とヴァルター様とするといいわ」

「まあ、素敵ですね」


 そう答えながら、エルゼはそっとカロリーネの顔を観察する。

(幸せそうなお顔だわ。本当にヨーゼフ殿下を慕っているのね。おふたりの婚約は、もうどうにもならないのかしら)


 エルゼはヨーゼフの状態を詳しく教えてもらっていない。今どこに住んでいるのかも。

 ハインツの兄ということは、ヴァルターの伯父ということでもある。せめて一度ご挨拶だけでもしたい。

 けれどハインツも彼の周りの人間も、ヨーゼフの質問をされるのは嫌がっているような雰囲気があり、エルゼはまだなにも聞けていなかった。


 突然カロリーネが足を止めた。右手の人差し指を口の前に立て、左手で遠くを指差す。

 その方向にエルゼが目を向けると、日が良くあたるシロツメクサの上で茶トラの子猫が気持ちよさそうに眠っていた。


 エルゼとカロリーネは顔を見合わせ微笑みあう。

 そのまま静かに歩みを進める。

 そろそろ声を出しても大丈夫かという距離まで来たところで、ふたりの耳に苛立たし気な声が届いた。


「ハインツ殿下は本当にあんな下賤な女と結婚するのかしら」

「なんとか中止にできないのかしら」

「殿下ほど立派な方が、まさか悪女に騙されてしまうなんてお可哀想だわ」


(ああ、また私の悪口ね)

 エルゼはため息をこぼす。 マグノリアとクラブアップルの木の向こうに小さなガゼボがあり、声はそこから聞こえるようだった。


「失礼なひとたちね」と、小声でカロリーネが怒る。「エルゼさんはこちらで待っていて。私が抗議してくるわ」

「いえ、自分で行きます。カロリーネ様は、私のふるまいが妃としてどうだったかを、あとで評価してくださいな」


 エルゼはカロリーネにそう頼むと、木々を迂回する小道を辿ってガゼボに近づいていく。中にいたのは三人の令嬢。先日エルゼの陰口叩いていた者がひとりと新規がふたり。

 三人は忌々しげにエルゼの悪口を続けていたけれど、当の本人が近づいてくるのに気づくとさすがに気まずそうに口を閉じた。


「ごきげんよう。楽しいお時間に邪魔をしてごめんなさい。あなたは――」エルゼは前回もいた令嬢を笑顔で見つめる。「二回目ですね」

 令嬢は不愉快げに顔をしかめた。エルゼはそれ以上はなにも言わずに、残りの二人を見る。


「ところでもうそろそろ、こちらの王族の仲間入りするというのにお友達が増えずに困っております。ヴァルターの教育に良い方と親しくなりたいと考えているのですが」

 エルゼはわざとらしく頬に手を当て首をかしげた。

「そうすればきっとハインツ殿下も喜んでくださるはずなのです。もしお心当たりのある令嬢をご存じでしたら、ぜひ紹介してくださいませ」


 では、とエルゼは踵を返した。

 少し先まで行くと、カロリーネが笑顔でエルゼを迎えてくれた。


「良い対応だったわ」

「緊張でのどがカラカラです」

 エルゼは小声で伝える。毅然と対応はできたはずだ。けれど元来、ひとと争うのは苦手だ。先日のようにヴァルターに関わりがあることならともかく、そうでないのなら、なるたけ穏やかに過ごしたい。


 けれども王太子妃になることを受け入れた以上、いままでどおりでいるわけにはいかなかった。


「とてもそうは見えなかったわよ」カロリーネは小声で褒めて、にっこりとした。「あなたと敵対するより親しくするほうが益があると匂わせて。あなたを軽んじていもいいことはひとつもないと、彼女たちもよくわかったでしょう。」

「アーデル様にお仕えてしていたころを思い出したのです。殿下の不敬な輩への対応を参考にしました」


 生粋の王女であるアーデルが不当に扱われることは滅多になかった。けれどそれでも女性だからというだけで、他国の男性王族や自国の高齢男性貴族にぞんざいな扱いを受けることがあった。


「カロリーネさんといると、アーデル様を思い出すことが多くて。だからカロリーネさんのおかげでもあります」

「まあ、光栄ね」嬉しそうに微笑むカロリーネ。「でも私もね、エルゼさんとお友達になってからずいぶんと気が晴れてきたの」

 

(あ、それは……。私も思っていたわ)

 エルゼもこの一週間で、カロリーネの印象がずいぶん変わったと思っていたところだった。


「私たちを引き合わせてくれたハインツ殿下には感謝しなければなりませんね」

(少しマイペース過ぎるけれど、あの方はいつだって私とヴァルターのことを考えてくれているのよね)


 エルゼが改めてハインツに感謝をしていると、カロリーネはふいに淋しげな表情を見せた。

「そうね。ハインツ殿下はとても相手を大切にする人なのよ。それがたとえ……」


 そこで言葉を切るとカロリーネは、いたずらげな表情に変えて「重すぎる愛だとしてもね」と微笑んだ。

「そうなんです! 重いのです!」

 エルゼも笑顔で言葉を返す。


 カロリーネが見せた一瞬の表情は、きっとヨーゼフを思ってのものだったのだろうと考えながら――


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