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10・1 結婚の決意

 夕方、エルゼが国史を学んでいるところにハインツがやってきた。

 ハインツは大切な話があるからと家庭教師や護衛たちを部屋の外に出し、エルゼとふたりきりになる。そうして彼が口にしたのは――


「カロリーネ嬢とはどうだった? 仲良くなれそうだろうか?」

 申し訳なさそうに、同席できなかったことを謝るハインツ。そんな彼に、エルゼは笑顔を向ける。

「はい。素敵な方で、楽しい時間を過ごしました。ご紹介くださり、ありがとうございます」


 それはよかったと、ハインツは安堵の表情を見せた。

 カロリーネの推察通り、ハインツの目的はエルゼに友を、カロリーネには気分転換をということだったらしい。


「兄上たちは見ているこちらが恥ずかしくなるぐらいに仲睦まじかったんだ。それが……」

 一瞬ハインツの笑顔に陰が差す。けれどそれはすぐに消えた。

「アーデル王女と親友であるエルゼはきっと、カロリーネ嬢とも馬が合うんじゃないかと思ってね」


 その言葉にエルゼははっとする。

(確かに雰囲気や思考が似ているかもしれない。ハインツ殿下はそこまで考えてくれていたのね)


「カロリーネ様がそばにいてくださると、私も立派な王太子妃になれるような気がします。彼女をお手本にして精進しますね」

「それは――」ハインツが目をみはった。「私と結婚する覚悟を決めたということか?」


 エルゼが「はい」と返事をするとハインツは、素早く彼女を抱き上げて自分の膝の上にすわらせた。

「ありがとうエルゼ! 嬉しくてたまらない!」

 ハインツはエルゼを抱きしめながら、あらゆるところにキスを落とす。

 その喜びように、エルゼは心苦しくなって身をすくめた。


「殿下、あの覚悟を決めたのはヴァルターのためなのです」

「だとしても、だ。君がいてくれるだけで私は嬉しい。だけれど積極的に隣に立ってくれるのならば、もっと嬉しい。愛しているよ、エルゼ」

『隣に立ってくれるなら』とエルゼは心の中で反芻した。

 じわり、と胸の奥が温かくなる。

 なぜだろうとエルゼは考えて――


(ああ、そうだわ。ハインツ殿下があまりに自分勝手に結婚話を進めるから、私の意思なんて必要としていないのかと、私は心の底で思っていたのね。でも殿下はちゃんと私の気持ちをほしがってくれている)


 それは嬉しいような気がする、とエルゼは思う。


「今はまだ殿下と同じ愛情をお返しすることはできません。けれど隣に立てる妃にはなりたいと思います」

 改めてエルゼが宣言すると、ハインツはピタリとキスをやめた。そうしてエルゼに視線を合わせる。


「そうか。本当に嬉しい。エルゼもヴァルターも、私にとってかけがえのない存在なんだ」

 ハインツは人差し指で、エルゼの頬をそっとなでた。

「いつの日か愛情ももらえたら最高だ。待っているよ」

「ええと……」


 なんて答えようかとエルゼが迷っていると、廊下に通じる扉が開いてヴァルターが「ママ!」と駆けこんできた。

 彼の後ろからは笑顔の教育係がやって来る。


「見てみてママ! おとしゃんも」


 頬を紅潮させ興奮した面持ちのヴァルターは、ぎゅっと目をつむり両手を突き出す。それからたどたどしい口調で短い呪文を唱えた。


 ヴァルターの掌からきらきらと輝くものが出現した。すぐに消える。


「見たっ!?」

 目をまんまるにしたヴァルターが、エルゼの足に抱き着く。

「ええ、見たわ! すごいわねヴァルター!」


 ハインツの膝にすわるエルゼは苦労して身をかがめると、ヴァルターを抱き上げて自分の足の上に座らせる。

 本当はハインツから降りたかったのだが、彼はエルゼの腰をしっかりと抱きしめたまま離そうとはしくれなかったのだ。


「ヴァルはもう魔法が使えるようになったの? 驚いたわ」

 えへへと照れるヴァルター。


「本当にすごいな。魔力放出のコントロールができるようになったか」

 ハインツも笑顔でヴァルターの頭をわしゃわしゃと撫でる。

「父が習得したのよりずっと早くできるようになったのだな。ヴァルターは天才かもしれない」


 ヴァルターには難しすぎる言葉だったけれど、褒められているのはわかったらしい。より嬉しそうな笑み浮かべながら「おとしゃん!」と父親に向かって手を伸ばした。


 その手を握りしめるハインツ。

「このコントロールがうまくなると、苦しくなることが減っていく。たくさん練習するといい」

 ヴァルターが見せたきらめきは魔法ではなく、魔力の放出だ。

 けれど魔力過多でうまく制御できない幼児が最初に習得する極めて重要なものである。


 その説明をハインツから受けたエルゼは、やはり王宮に留まる決意をしてよかったと改めて思った。


「ヴァルター様。アレはよろしいのですか?」

 教育係が穏やかにヴァルターに尋ねる。

 ヴァルターは「あっ!」と叫ぶとポケットからなにやら取り出して、母親に差し出した。

 もみじのような手に握られていたのは、青いヤグルマギクだった。


「ママに!」

「まあ、ありがとう」

 花は少しばかりしおれていたけれど、そんなことは些細なこと。

 ヴァルターが花をプレゼントしてくれるなんて初めてで、エルゼは思わず涙ぐんだ。


「ママ、元気になった?」

 エルゼをみつめながら、ヴァルターが心配そうな顔で首をこてんと傾ける。

「え……?」

「そうか、ヴァルターはママが元気がないと心配して、花をプレゼントしたのか。いい子だ」


 ハインツはふたたび息子の頭をわしゃわしゃと撫でた。


(もしかしてヴァルターは、王宮(ここ)に来てからの私の様子がおかしいと思って心配したの? 我が子にそんな不安を抱かせてしまうなんて、母親失格だわ)


 エルゼはヴァルターをギュッと抱きしめた。


「ヴァルのおかげでママは元気百倍よ」

「ママ!」

 ヴァルターも嬉しそうにエルゼを抱きしめ返す。


(ヴァル、見ててね。ママもがんばるわ)

 エルゼは決意を新たに、やる気をみなぎらせるのだった。



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