消えてしまったみたい
「大丈夫かッ! おい、返事をしろ、おいッ!」
ガクガクと世界が揺れている。ナニコレ? と思った瞬間に、あの黒い影が、私の周りを囲っていることを思い出した。腕と足を必死に振り回し、か弱い抵抗を見せる。
「いやぁぁああああああああああああああああああああッ」
「あ、暴れるな、痛い、や、やめないで、もっと、はぁはぁ殴って……クダサイ」
その物言いにさっと胸が冷えて、目を見開くと、一人の男性が、私の顔を覗きこんでいた。坊主頭に、紫色の伊達メガネ。制服を着ている。「お、お兄さん?」マユちゃんのお兄さんだった。
「やっと、落ち着いた。……いや、でも……もっと、ん、なんでもない」
「ここは?」
「ここはって、お嬢さん、ここは、このボロい家の庭にある、小屋の中だよ」
慌てて辺りを見回してみるけど、あの黒い影の姿は無い。代わりに、木材の骨組みを組み合わせた荷物置きのような物が四方に備え付けてあった。
「君、名前は?」
「……私?」
「うん」
「……会川、カンナです」
「お、その名前だと、君は名前順だとトップだね」
「は、はぁ……」
「駄目だぞ、勝手にこんなところに忍びこんじゃ!」
お兄さんは得意げに言う。何か忘れている、と思った刹那「マユちゃんッッッ!」と叫んだ。
「な、なんだ、急に、まだ混乱しているの? しっかりしろ」
「それよりも、マユちゃんは?」
「マユチャン?」
不思議そうに眉毛を曲げて、お兄さんは問う。「ナニソレ?」
「ナニソレって、マユちゃんはマユちゃんですよ。マユちゃんは、あなたの妹です」
「……え、何? 妹?」
「決まっているでしょ。今日、私とマユちゃんで、この屋敷を探検に来たんですよ」
「二人……で?」
私の言葉が上手く伝わっていないらしく、お兄さんはいちいち顔にクエスチョンマークを出す。
「今日、私とマユちゃんの二人で、この屋敷に探検に来たんです。でも、途中ではぐれちゃって、この近くに居ませんでしたか?」
「いや、お嬢さん一人だけだったよ。他には、誰も見ていない」
「じゃあ、今すぐ探しましょう! 多分、この付近にいるはずですから!」
そう言って立ち上がった私の腕を、お兄さんは優しく掴んだ。
「まぁ、待ってよ」
「だから、マユちゃんは、いなくなったんです。早く見つけないと」
だけど、お兄さんは手を離してはくれなかった。年上の高校生に腕を掴まれて、私は動くことが出来ない。
「ごめん、もう一度、君の話を聞かせて……最初から」
「……だから、えっと、今日は、マユちゃん」「そのマユちゃんというのは、俺の妹なの?」「当たり前です、さっきから言ってるし、他にマユちゃんなんていないでしょ、私の友達です。で、このお化け屋敷に探検に来たんです」
「あー、待って、待って、わかった、話がかみ合わない理由が一つわかった。いいか、お嬢さん、俺にはね、……いないんだよ、妹なんか」
え?
「……ふざけているんですか?」
「いたって真剣に君の話を聞いているんだけど……。でも、俺には、妹なんかいないんだ」
「お兄さんの苗字は、有野間、ですよね」
そう問うと、お兄さんは目を開いてビックリした。「そう。よく知ってるね。あ、でも、昔は違うよ、俺は再婚したから。昔は、めさ」「昔のことなんかどうでもいいです。その再婚した有野間さんには、娘がいて、それが、あなたの義理の妹の、マユちゃんですよ」
「いや、あの人には、娘なんていなかったはずだ」
「は、はぁー? 今は冗談なんかいいです」
「マジで冗談じゃないから。俺はずっと一人っ子だよ」
目が笑っていない。私が、言葉を飲み込んでしまうほど、お兄さんは真剣な眼差しをしていた。
「本当に、マユちゃんのこと、知らないんですか?」
「うん。それに、さっき君は二人でこの屋敷に入ったって言っていたけど、俺が見た時は、君は一人だけだったよ」
「え、どういうこと?」
「ん、えーと、たまたまこの道を通った時さ、君を見かけたんだ。君は一人でその屋敷に入っていった。こんなボロ屋敷だから、不安に思っていた俺は、観察していると、五分ほど立って、君は屋敷から飛び出てきたのを見た。そして、この小屋に逃げるように入っていった。で、いきなり悲鳴が聞こえてきたから、俺は意を決して助けにきたんだよ」
「私は、一人で、ですか?」
「……うん」
「証拠とか、あります?」
「ほら」
そう言って、お兄さんが差し出した手の中には、デジカメが握られている。その画面には、一枚の画像があった。
私だ。
私が、一人で、入口の前に立っている姿だった。私は、マユちゃんと最後にはぐれた以外、ずっと一緒にいたはずだから、この写真は、ありえない。
「君、大丈夫? ちょっと混乱しているんじゃない?」
そんなはずない。
「疲れているのかな。幻覚を見て、それが現実とごっちゃに」
嘘でしょ。
「家まで送ろうか? ここの近く?」
全部、嘘なの? これが小説とかだったらそれでいいけど、マユちゃんは、マユちゃんは私の親友で、今まで一緒に行動していたはずなのに。ってことは、え、待ってよ、マユちゃんは幻で、私が、狂っていたの?
「歩ける? 歩けないのなら、くひひ、そうだ、おんぶしてあげ……お、おい、どうしたの? どっか痛いの? 怪我したの?」
ポロポロと涙が止まらない。それは恐怖とか、私が狂っていたからに対しての涙じゃない。
悲しいから、だ。
マユちゃんが、この世から消えてしまったみたいで、それが受け入れられなくて、泣いてしまったんだと思う。




