第九話 □ 恋人に名前を呼ばれてみたい
□ 恋人に名前を呼ばれてみたい(下の名前で、優しい声で)
(はぁ、それでまた病院送りになったと。バカだね)
エミルが呆れたように笑う。
こいつは個室で、私は大部屋なのだが、メガネが部屋を近くにしてくれたおかげで、かろうじて思念伝達ができている。
(私は、魔力酔いに調節してもらったが、そなた……魔力焼けは、痛かったのではないか?)
(そうだね。死ぬほど痛かったんだから、感謝しろよ。それなのに、もうバレそうになるなんて、バカだよ、バカ)
(バカバカうるさいわ! そなたの方がバカだ!
ばーかばーか!)
(子どもかよ……)
しかし、今回のことで私は猛省しておる。
エミルの献身を危うく無駄にするところだったし、メガネには八つ当たりした挙句、無茶をさせてしまった。
それに何より、母上にご心配をおかけしてしまった。
……決めた。
私は、聖女関連には金輪際関わらぬ。
メガネの昇叙式も断りたいのだが、母上が乗り気だからのぅ。どうしたものか。
「ジェレン」
おお、メガネ。ちょうどよいところに。
「お加減はいかがですか?」
「よい」
「……それは、よかった」
なんか、暗いな?
「……本当に、申し訳ございません。あなたを傷つけない方法が他にもあったはずです」
そうか?ゾランは超しつこいし、本気でぶっ倒れないとこども園から出られなかったと思うぞ?
それにそなたがやらなければ、自分でやって魔力焼けになっていた自信がある。
つまり気に病むな!
「ジェレン、昇叙式の精霊役は他の子どもに頼みます。あなたはなるべく聖堂から離れた方がいい」
……それは、願ったり叶ったりなのだが。
なんだろう、胸がちくちくする。
「だれ?」
「え?」とメガネが首をかしげる。
「だれが、しゅるのだ」
「まだ打診もしておりませんが、アレン君のご両親に聞いてみようかと」
あー、子鹿組の男の子か。
あいつはまあ、しっかりしておるな。
任せてもよいだろう。
「もしくは、エレナさんでもよいかと」
……エレナ?
確か子馬組の可愛らしい女子だが。
「……あれんにしゅるといい。えりく、どらごでもよい」
「男の子推しですね」
そんなことはない。
しっかりしてる者を思い浮かべたら、この三人だっただけだ。他意はない。
「わかりました。聖下のご推薦とあらば」
あっ!こいつまた聖下って言いやがった!
「じぇれん!」
メガネは一瞬、驚いたように目を瞬いた。
それから、ゆっくりと表情がほどけていく。
「……はい。ジェレン」
まったく、気を抜くとすぐにこれだ。
そういえば、名前で呼び合うというのも、恋人とやりたいことリストにあったな。
……あれ?
あのリスト、どこにやったっけ。
…………。
え?あれ?ヤバい。
考えれば考えるほど、頭が真っ白になっていく。
あんなもの誰かに見られたら……!
……あ!
あぁぁぁぁぁあ!!
大聖女の部屋に置きっぱなしではないか!
あの部屋は今どうなっておるのだ?!
早く取り返さねば!
メガネ!助けろ!
「……たのみがある」
「はい」
「ノートを、もってきてくれ」
「……はい?」
私はなんとか身振り手振りを交えつつ、リストが書かれたノートの場所と、引き出しの鍵の在処を伝えた。
「そんなに重要なノートなのですか?」
「うむ。すっごくだいじなのだ」
メガネは眉根を寄せ、しばし深刻に考え込むと、小さく首を振った。
「それでは……やはり昇叙式はジェレンにお願いしてもよろしいでしょうか?」
……なぬ?
「お忘れですか?大聖女室の奥、私室の方は大聖紋でなければ開きません」
……そうだった!
自分はそのまま出入りできるから失念しておったわ!
大聖紋を有する者は、法皇代理のゾラン、上級聖女のナターシャくらいか?
このまま、大聖女も法皇も姿を現さなかったら……当然、手がかりを探すために部屋を捜索する流れになる。
そこで、あの忌まわしいリストが発見されてしまったら——。
「え〜ウケる〜。あの喪女、こんなリスト作ってたの? 必死すぎじゃない?」
……ナターシャの嘲りの声が脳内に鮮明に再生される。
おのれナターシャ!
ちょっとモテるからと調子に乗りやがって!
……こうしてはおられぬ。
早くあの危険物を奪還せねば、夜もおちおち寝られぬわ。
「しょーじょしきはいつだ? めがね」
「……メガネ?」
しまった!ついうっかり!
でも、名前が覚えられんのだ!
メガネは呆れとも苦笑ともつかぬため息をこぼし、
次いで、ふわりと私を抱き上げた。
「バルシュ。言えますか?」
「ば……ばぅしゅ」
くそっ、この役に立たぬ可愛らしい口め!!
メガネ——いや、バルシュは、ほんのわずかに目尻を和らげた。
「……今ので十分伝わりました。はい、よく言えました」
なっ……なんだその言い方は!
子ども扱いするでないわ!
いや、間違いなく子どもなのだが。
「昇叙式は二週間後ですよ、ジェレン」
「わかった……ばぅしゅ」
午後の病室に静けさが満ちていく。
開け放たれた窓からあたたかい風が流れ込み、真っ白なカーテンがゆるやかに揺れた。
どこかで赤ん坊が「ふぇぇ」と泣き、またすぐ穏やかな寝息をたてる。
ふと、バルシュの目が優しく細められ、つられるように、私も微笑んだ。
…………。
……いや、なんだこれ。
私は恋人と名前を呼び合いたいのであって、別にそなたとやりたいわけではなくてだな?
「ジェレン?」
だから……そうではなく……。
……くっそ!お前などメガネで十分だ!
☑︎ 恋人に名前を呼ばれてみたい(下の名前で、優しい声で)




