第十一話 ノート奪還作戦始動
二週間後、すっかり体調のよくなった私は、メガネの昇叙式に臨んでいた。
私が纏うのは、金糸で神鳥の刺繍が刺された、真っ白な法衣。
左手に聖女の杖のレプリカを持ち、右手はメガネに繋がれている。というより、私が精霊聖女役として導いているという設定だ。
青い絨毯の上をゆっくりと進む。
メガネには、まったく緊張の色が見えず、むしろ私を気遣いながら歩を進めている。
母上の横を通ると、今にも泣き出しそうな瞳で、それでもにこりと笑った。
……いや、何も嫁に行くわけじゃなし。
祭壇の前まで進み、メガネは法皇代理から上級神官に叙され、証の精霊石を与えられる。
ゾランが祝福を授け、精霊聖女である私からも祝福を授ける真似事をする。
メガネは祭壇の前でこちらを向いて跪き、私は台座に乗せられた。右手を彼の額にかざし、口上を読み上げる。
……なんだっけ?
確か、着替え中にメガネが何か言うておったな。
話半分で聞いておったわ。
まあ、祝福の言葉なんて型が決まっておるし、なんでもいいか。子どもでも言えそうな短いやつといえば……。
「われ、なんじにしゅくふくをさじゅけん。そなたのたましいが、めがみとともにあ……」
突然、メガネが私の手首をつかんだ。
その瞳は、驚きと……どこか焦りの色を帯びていた。
予想外の出来事に、聖堂の空気がぴんと張り詰める。
メガネはそのまま私の両手を握りしめて、頭を垂れた。
「祝福の言葉、確かに頂戴いたしました。私の魂は常にあなたとともにあります」
……ん?
そんな返答するんだったか?
昇叙式は法皇に任せっきりだったし、あまり覚えておらんが。
それからメガネは私を抱っこしてさっと立ち上がり、ゾランに一礼をすると踵を返した。
彼の肩越しで見たゾランの目は、愉しそうに細められていた。
*
聖堂の一室で、私は膝に抱っこされたまま、メガネに詰められていた。
「祝福の言葉、何を言うかお伝えしましたよね? 聞いておられましたか?」
「きいてた」
半分だけ。
目をそらすと、ほっぺを両手で挟まれた。
「嘘をついてはいけません。あなたが言ったのは、略式とは言え、本物の祝福です。大聖紋を持つあなたが言えばどうなると思うんです?」
……祝福される。
いいじゃないか、祝福されれば。
よくわからず唇を尖らせると、メガネは呆れ果てたようにため息を吐いた。
……なっ、なんだその態度は!
生意気なやつめ。
「あなたは聖女をやりすぎて、一般常識から乖離しておられます。あなたが祝福をすれば紋が光って浮かび上がります。もしや、誰が祝福してもそうなるとお思いですか?」
……違うのか?
いや、違うからこんなこと言われてるんだよな。
「普通は大聖紋を持つ方から、力の委譲を受けるんですよ」
……知らんし。そんなもん。
細々したことは法皇がやっとったし。
「膨れっ面してもダメですよ。もう少し気をつけてください」
「うむ」
「……本当に、困った人だ」
ため息まじりに笑みをこぼして、頭をなでられる。
うぐぐ。
子ども扱いするなと言うに。
「さて、これからが本番ですよ。重要書類を取りに行くのですから」
なんか張り切っておるが……。
それが"恋人とやりたいことリスト"ってバレたらどうなるかのぅ。
……ま、いいか。
*
「まずは、お母様をあなたから遠ざけます」
メガネが作戦を開始した。
聖堂事務での仕事に急ぎの案件が入ったとして、母上を事務室に足止めする。今日は休日なので、対応できるのは式に参加している母上のみ。
「ごめんね、ジェレン。先生と一緒にいてね」
こちらこそすまぬ、母上。
ですがあなたの娘の危機なのです。
厄介なゾランは、まだ他の者の昇叙式を担当している。メガネはどうやったのか自分を一番目に押し込み、後には二十人くらいの者が控えている。
誰かの法衣のボタンを一つとってみたり、メモをすり替えて、やたら難しい祝福の言葉を言わせるように仕向けたり──何やら姑息な手段で少しずつ式を遅らせているようだ。
私は抱っこ紐でぴたりと胸にくっつけられ、上から法衣で隠された。
夏前なので、ものすごく暑い。
そして心臓の音がうるさい。
メガネは体の前で荷物を持ち、不自然な膨らみを隠して歩く。
「お持ちしましょうか? 上級」
若いお姉ちゃんの声がかかる。
ここにいるということは、聖女だろう。
「いえ、結構です。ありがとうございます」
「バルシュ様、お手伝いいたしますよ?」
「いえ、結構です。ありがとうございます」
「バルシュ上級」
「バルシュさまぁ」
「じょおきゅー」
なんなのだこいつらは!
暇なら結界監視でもせんか!!
こっちは急いどるんだ!!
大聖女の部屋に入ることは、上級聖女ナターシャから許可を得ているらしい。
理由は"忘れ物"と書いたら通ったという。
……ナターシャ。
お前、ちゃんと申請書見ておるのか?!
恋愛にばかりうつつを抜かしやがって!
「でも本当に忘れ物があるんですよ」
……何をだ。
歩くうちに、空気が変わる。
しんと静かになり、足音だけが廊下に響く。
この奥には、大聖女の部屋しかない。
メガネの足がぴたりと止まった。
荷物を下ろす動作、そしてかちりと音がして、扉が開く。
ローブがぱさりと足元に落ち、風がふわりと舞って、私のほてった頬を冷やす。
まるで止まっていた時が動くかのように、懐かしい香りが私たちを包んだ。
「変わりませんね、あの時から」
絨毯に下ろされた私は、ゆっくりと部屋を見まわした。
本当に、何もかもが、息を引き取った時のままだ。
調度品はおろか、書きかけのメモまで、テーブルの上に置かれたまま、薄く埃をかぶっている。
メガネは飾り棚の方へ歩み寄り、何かを手にしたようだった。さっき言っていた、忘れ物だろうか?
長い長い時をここで過ごしてきた。
戻ってきたくはないが、感慨深くはあった。
だが、思い出にひたっている時間はない。
私はよちよちと私室の前に向かい、右手をかざした。大聖紋が浮かび上がり、扉が音もなく開く。
……ここも、変わらないな。
備え付けの調度品のまま、殺風景なほどに何もない、寝るためだけの部屋。
病室の方がまだマシだな。
私は思わず自嘲の笑みを浮かべた。
メガネは少し驚いたように、扉の前で突っ立っている。知らなければ、片付けられたと思っても仕方あるまい。
私は机の下潜り込んで、隠した鍵を取り出し、メガネに渡した。
彼は小さく頷くと、引き出しにそれをはめ、かちりと回した。木の擦れる音とともに、ピンク色のノートが姿を現す。
なぜか、メガネが息をのむ気配がした。
その時、微かに足音が聞こえてきた。
私たちは目を見合わせ、メガネは慌ててノートを取り出した。そして私を抱き上げようと屈もうとして──思い直したように、顔を上げた。
扉がきぃ、と鳴る。
外に出るのは、もう間に合わない。
重い衣擦れの音がこちらへ向かってくる。
そして、私室の鍵が解除された。




