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第9話 最初のお客様?

「……こんにちは」


子どもが、目を見開いた。


しばらく。


何も言わない。


俺も伊藤も動かない。


逃げないだけでも十分だ。


そう思っていると。


「……こんにちは?」


返ってきた。


「…………」


俺は固まった。


今。


分かった。


普通に。


いや。


日本語に聞こえたわけじゃない。


なのに、意味がそのまま頭に入ってきた。


「店長」


隣で伊藤が小さく言う。


「今の……分かりました?」


「伊藤も?」


「はい。普通に」


俺は一瞬、言葉を失った。


《万能言語理解》


ステータスに出ていた能力。


その名前が頭に浮かぶ。


俺だけじゃない。


伊藤にも通じている。


もしかして。


管理下のスタッフにも適用されるのか?


確認したい。


でも。


今はそれどころじゃない。


目の前には、この世界で初めて会う人間がいる。


女の子だった。


十歳くらいだろうか。


俺たちと同じような顔立ち。


少なくとも、耳が尖っているとか、角が生えているとか、そういう特徴はない。


ヒューマン。


たぶん。


着ているのは、少しくたびれた布の服。


靴も革を縫い合わせたような簡素なものだ。


女の子は俺と伊藤を交互に見ている。


そして。


「お兄ちゃんたち、誰?」


「…………」


お兄ちゃん。


その言葉が妙に引っかかった。


四十三年間生きてきて、最近そんな呼ばれ方をされた記憶がない。


横を見る。


伊藤が少しだけ笑っている。


「何?」


「いえ」


「笑ったよね?」


「笑ってません」


絶対笑った。


俺は気を取り直して、女の子を見る。


「俺たちは……」


どう説明する?


別の世界から来ました。


店ごと転移しました。


そんなこと言って通じるのか。


いや。


そもそも信じてもらえるわけがない。


「この建物の人」


「建物の人?」


「うん」


自分でも雑だと思う。


女の子がカワダ電器を見上げる。


四階建て。


巨大な看板。


広い駐車場。


この世界では明らかに異質だ。


「これ、何?」


「店」


「みせ?」


「商店みたいなもの」


女の子の目がさらに大きくなる。


「これ全部?」


「全部」


「お城じゃないの?」


「違う」


即答した。


伊藤が小声で言う。


「まあ、お城くらい大きく見えるかもしれませんね」


「言うな。俺も今思った」


女の子はまだ信じられないという顔をしている。


俺たちにとっては、郊外によくある大型家電量販店。


でも。


この子にとっては、見たこともない巨大建築物なんだろう。


そこで。


女の子の視線が伊藤の持っている買い物かごに移った。


色とりどりの袋。


クッキー。


ビスケット。


せんべい。


小袋のお菓子。


「これ?」


女の子が指さす。


「食べ物」


「たべもの?」


警戒している。


まあ、当然だ。


知らない人間。


知らない建物。


知らない袋に入った何か。


俺だって逆の立場なら食わない。


「ほら」


俺はかごからクッキーを一つ取った。


包装を開ける。


女の子がじっと見る。


俺はそのまま口に入れた。


「うん」


普通にクッキーだ。


「店長、それ商品ですけど」


伊藤が言う。


「後で記録する」


「はい」


俺はもう一つ取った。


女の子に差し出す。


「食べる?」


女の子は少し迷った。


俺を見る。


クッキーを見る。


また俺を見る。


そして。


恐る恐る手を伸ばした。


包装されたままのクッキーを受け取る。


しばらく眺める。


上下をひっくり返す。


「……開かない」


「ああ」


そりゃそうか。


伊藤がしゃがんだ。


「開けようか?」


女の子が少し迷ってから、うなずく。


伊藤が袋を開けて、中身を渡す。


女の子は匂いを嗅いだ。


それから。


本当に小さく、一口。


「…………」


止まった。


「どう?」


伊藤が聞く。


もう一口。


今度はさっきより大きい。


女の子の顔が一気に明るくなった。


「甘い!」


「おいしい?」


「うん!」


よかった。


少なくとも毒扱いはされなかった。


「こんなの初めて食べた!」


その言葉に、俺と伊藤が顔を見合わせる。


クッキーそのものがないのか。


それとも。


この子が普段食べられないだけなのか。


どっちだ?


聞きたいことは山ほどある。


でも。


一気に聞いたら怖がらせる。


まずは簡単なところから。


「この近くに住んでるの?」


「うん」


女の子が森の方を指さした。


「あっちに村があるよ」


村。


やっぱり近くに人が住んでいる。


「遠い?」


「そんなに遠くないよ」


子どもの「遠くない」は信用していいのか分からないけど。


少なくとも歩いて来られる距離らしい。


「一人で来たの?」


「うん。木の実探してたら、すごく大きいのが見えたから」


やっぱり。


この店は向こうの住民にとっても、突然現れたものらしい。


昨日まではなかった。


たぶん。


「村には、こういう大きい建物ない?」


「ないよ」


即答だった。


「町には?」


女の子が少し考える。


「町には大きい建物あるよ。でも、こんなに大きくない」


なるほど。


少なくとも、都市そのものはある。


「お店もある?」


「あるよ」


「どんなもの売ってるの?」


「食べ物とか、服とか。道具とか」


そこは普通だ。


中世とか近世。


そんな感じなのかもしれない。


もちろん、まだ分からない。


その時。


女の子が非常用扉の向こうを覗き込んだ。


店内の照明を見ている。


「それ、魔道具?」


「……魔道具?」


今度は俺が聞き返した。


女の子がうなずく。


「だって、火がないのに明るいから」


俺と伊藤が顔を見合わせた。


魔道具。


本当にあるらしい。


「魔道具って、普通に使うの?」


「うん」


「家にもある?」


「あるよ」


俺は少し身を乗り出した。


「何がある?」


女の子が指を折りながら答える。


「明るくするやつ」


「うん」


「お水あったかくするやつ」


「うん」


「火をつけるやつ」


「うん」


「あと、冷たくするやつ」


「冷たく?」


「うん」


あるじゃん。


普通にある。


照明。


給湯。


着火。


冷却。


やっていることだけ聞けば、家電とかなり被っている。


「全部の家にあるの?」


「ないよ」


そこは即答だった。


「高いから」


なるほど。


「じゃあ、普段はどうしてるの?」


「火は薪。水は井戸」


生活そのものは、かなり昔ながらだ。


でも。


そこに魔道具が入り込んでいる。


中世。


近世。


その辺りの生活に、魔法の便利道具が部分的に混ざっている。


そんな感じか。


「魔道具って何で動くの?」


「魔石」


また新しい単語。


「魔石?」


「うん」


女の子にとっては当たり前らしい。


詳しく聞きたい。


ものすごく聞きたい。


でも。


十歳くらいの子に魔道具の構造を聞いたって、分かるわけがない。


それは大人が来てからだ。


「店長」


伊藤が小声で言った。


「家電、売れるかもしれませんね」


「電気があればな」


そこが問題だ。


冷蔵庫を売っても。


洗濯機を売っても。


コンセントがなければ、ただの大きな箱だ。


でも。


魔石。


その単語は覚えておこう。


女の子が残りのクッキーを食べ終えた。


名残惜しそうに指先を見る。


俺は伊藤が持っている買い物かごを見た。


「それ」


「はい?」


「この子に渡そう」


伊藤が目を丸くする。


「全部ですか?」


「全部」


女の子も驚いた。


「え?」


「持って帰っていいよ」


「ぜんぶ!?」


「うん」


女の子がかごを見る。


明らかに欲しそうだ。


でも、すぐには手を出さない。


「いいの?」


「いいよ」


俺は笑った。


「村のみんなにも配って」


「みんなに?」


「お父さんとかお母さんとか、友達とか。みんなで食べて」


女の子の顔が明るくなる。


「ほんとに?」


「ほんと」


伊藤が俺を見る。


「店長、これ完全にサンプリングですよね」


「今それ言う?」


「販促です」


「分かってるから」


女の子が首をかしげる。


「はんそく?」


「気にしなくていい」


俺はかごを受け取って、女の子に渡した。


子ども用とはいえ、お菓子がかなり入っている。


女の子は両手で大事そうに抱えた。


「それで」


俺は買い物かごの上に載せていたものを取った。


特売チラシ。


なぜか持ってきた一枚。


冷蔵庫。


洗濯機。


テレビ。


炊飯器。


食品。


ゲーム。


いろんな商品の写真と値段が載っている。


「これも持って帰っていいよ」


女の子が受け取る。


じっと見る。


「……分かんない」


「文字?」


「うん」


やっぱり。


万能言語理解は会話だけなのか。


それとも、この世界の文字と日本語が違うだけなのか。


今は分からない。


「まあ、文字が分からなくても写真なら分かるだろ」


俺はチラシを開く。


女の子が覗き込む。


「あ!」


お菓子の写真を指さした。


「これ!」


「あるよ」


別のページを見る。


「これも?」


「ある」


「これも?」


「それもある」


どんどん目が輝いていく。


家電より。


まずお菓子か。


まあ、十歳ならそうなるよな。


「その紙も、村のみんなに見せてくれる?」


「うん!」


「こんな店ができたって紹介して」


「分かった!」


よし。


少なくとも。


『森に突然、怪しい巨大建造物が現れた』


だけにはならない。


『お菓子をくれた変な店がある』


になる。


たぶん。


そっちの方が百倍マシだ。


女の子が嬉しそうに森の方を見る。


「みんなに教えてくる!」


「うん」


「お父さんとお母さんにも!」


「うん」


「村のみんなにも!」


「…………」


待て。


村のみんな。


さっきまでの話が頭をよぎる。


もし。


この子の説明がうまく伝わらなかったら。


次に来るのが、好奇心旺盛な村人だけとは限らない。


武器を持った大人が大勢。


警戒して。


この建物を囲む。


「ちょ、ちょっと待った!」


女の子がびくっとする。


まずい。


声が大きかった。


「ごめん、ごめん。怖い意味じゃない」


女の子が不思議そうに俺を見る。


俺は必死に考えた。


どう言えばいい?


危険じゃない。


敵じゃない。


怪しい建物でもない。


俺たちは。


そうだ。


「ここ、商店だから!」


女の子が瞬きをする。


「しょうてん?」


「そう。物を売る店」


チラシを指さす。


「こういうの、いっぱいあるから」


「うん」


「だから怪しいところじゃない」


伊藤が横で俺を見る。


何か言いたそうだ。


でも。


今は止めないでほしい。


女の子が聞く。


「また来てもいい?」


「もちろん!」


即答した。


そこで。


店長としての癖が出た。


客に「また来てもいい?」と聞かれて。


「どうぞ」とだけ答えられる店長ではない。


「明日から営業するから!」


「…………」


伊藤が固まった。


女の子は首をかしげる。


「えいぎょう?」


「明日、店を開けるってこと」


「あした?」


「そう。明日」


もう言ってしまった。


止まらない。


「村のみんな連れてきていいぞ!」


女の子の顔がぱっと明るくなる。


「ほんと?」


「ほんと!」


「分かった!」


女の子は買い物かごとチラシを抱えたまま、大きくうなずいた。


「みんなに言ってくる!」


「ああ!」


女の子が駆け出す。


森の方へ。


途中で一度振り返る。


「ありがとう!」


手を振る。


伊藤も手を振った。


俺も振る。


そして。


女の子の姿が見えなくなった。


静かになった。


「…………」


「…………」


俺と伊藤は、しばらく森を見ていた。


先に口を開いたのは伊藤だった。


「店長」


「はい」


「明日、営業するんですか?」


「…………」


「言いましたよね?」


「……言ったね」


「村のみんな連れてきていいって」


「……言ったな」


伊藤が俺を見る。


俺も伊藤を見る。


「どうするんですか?」


「…………」


通貨。


知らない。


物価。


知らない。


村の人数。


知らない。


何を売ればいいのか。


分からない。


家電を売ったところで、電気がない。


魔石というものはあるらしい。


でも、それがどう使えるのかも知らない。


それなのに。


明日、営業すると言った。


「……戻ろうか」


「はい」


俺たちは非常用扉から店内へ戻った。


二階の集中レジへ上がる。


山本と木村が待っていた。


俺の顔を見る。


嫌な予感がする。


山本が口を開いた。


「店長」


「はい」


「明日から営業するんですか?」


やっぱり。


「防犯カメラで聞こえてました?」


「しっかり」


木村もうなずく。


「営業宣言してましたね」


「…………」


高橋も戻ってきていた。


「値段、どうするんです?」


加藤もいる。


「向こうのお金、何か分かってるんですか?」


佐藤。


「家電売っても、電源ないですよね」


小林。


「配送は?」


森。


「そもそも何人来るんですか?」


一気に来た。


「待って待って」


全員を見る。


「俺も今から考えるから」


山本がため息をつく。


「どうして考える前に営業宣言するんですか?」


「子どもに『また来てもいい?』って言われたら、いいって言うだろ!」


「そこまでは分かります」


「そしたら流れで」


「流れで店を開けないでください」


正論だった。


俺は頭をかく。


でも。


一つだけ。


さっきまでとは違う。


客がいない。


そう思っていた。


でも。


いた。


人が。


村が。


ここに来るかもしれない相手がいる。


俺はふと、ステータスで見た数字を思い出した。


残り。


75,137,570円。


「…………」


いや。


今は考えるのやめよう。


胃が痛くなる。


「まあ」


全員が俺を見る。


「客が来るかもしれないなら、やるしかないだろ」


山本が即座に返した。


「そこからですか?」

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