第8話 異世界でもノルマですか?
目の前に浮かぶ半透明の画面を、俺はしばらく眺めていた。
《STATUS》
中村大祐。
年齢18。
所属、カワダ電器東山店。
階級、店長。
職業、商人。
そこまでは分かった。
いや、分かりたくなかった部分もあるけど。
問題は、その下だ。
《固有スキル》
・鑑定
・管理者 Lv.1
・チームビルド Lv.1
・スキル貸与 Lv.1
「管理者……」
どう考えても、さっき事務所のパソコンに出た《管理者選定》と関係がある。
だったら。
「鑑定って、こういう時に使うんだよな?」
半透明の画面に視線を向ける。
試しに《管理者 Lv.1》を意識してみた。
すると。
表示が切り替わった。
《管理者 Lv.1》
管理対象となる組織を運営し、成果を上げることで成長する固有スキル。
管理目標の達成状況に応じて、管理者Lv.の維持・昇格が行われる。
「……成果?」
嫌な単語が見えた。
さらに下を見る。
《現在の管理目標》
対象期間:今月度
売上目標:150,000,000円
現在実績:74,862,430円
達成率:49.91%
月末締め
「…………」
一度、目を閉じた。
もう一度開く。
消えていない。
売上目標。
150,000,000円。
「いやいやいや」
声が出た。
それ。
知ってる。
ものすごく知ってる。
今月の東山店の売上目標だ。
会社から設定されている数字、そのまま。
そして。
74,862,430円。
昨日の閉店時点で確認した数字と同じ。
1円単位まで。
同じ。
「なんでだよ……」
異世界に転移した。
店ごと。
外は草原と森。
地球とは連絡できない。
なのに。
なぜか会社の今月度売上だけは、きっちり引き継がれている。
表示の下に、さらに文章が続いた。
《管理目標の達成状況は、月末締め時に判定されます》
《管理実績は月末締めまで継続して加算されます》
《管理目標の達成状況は、管理者Lv.の維持・昇格判定に使用されます》
《一定期間、管理目標を達成できなかった場合、管理者Lv.が低下する場合があります》
「下がるの!?」
思わず声が大きくなる。
慌てて口を押さえた。
ここ、トイレだった。
誰かに聞かれたら、完全に怪しい。
もう一度数字を見る。
150,000,000円。
現在、74,862,430円。
残り。
75,137,570円。
「……客いないんだけど」
売場には十四人。
外には草原。
道路もない。
看板を見て入ってくる客なんているはずもない。
なのに、売上目標だけはある。
しかも月末締め。
「異世界でもノルマですか……?」
誰に聞いているのか、自分でも分からなかった。
普段なら。
月前半で遅れて。
後半で焦って。
最後の数日で数字を追いかける。
それが家電量販店の月末だ。
まさか異世界に来ても同じことをやらされるとは思わなかった。
「……勘弁してくれよ」
俺は頭を抱えた。
そこで。
ふと、別のことに気づいた。
「……待てよ」
月末締め。
今月度。
達成できなければ、管理者Lv.が下がる可能性がある。
つまり。
この仕組みは少なくとも、俺が今日か明日に地球へ帰ることを前提にしていないんじゃないか?
「…………」
急に笑えなくなった。
もちろん、単なるシステム表示かもしれない。
明日になったら何事もなく元の場所へ戻っている可能性だってある。
でも。
もし。
帰れなかったら?
一週間。
一か月。
半年。
それ以上。
俺は壁にもたれた。
店のことは考えていた。
電気。
水。
食料。
寝る場所。
スタッフ十四人をどうするか。
店長なんだから当然だ。
でも。
自分のことは、ほとんど考えていなかった。
家。
……まあ、一人暮らしだから、帰らなくても家で誰かが待っているわけじゃない。
冷蔵庫。
あれ、何入ってたっけ。
卵。
牛乳。
あと、昨日買った惣菜。
「……終わったな」
数日後には、かなり悲惨なことになっていそうだ。
それから。
宅配便。
確か、今日か明日に届く荷物があった。
「あ」
予約していた本。
それと、ネットで買った細かいものがいくつか。
置き配にしてたか?
してなかったか?
思い出せない。
「いや、それより……」
今夜。
楽しみにしていたアニメの配信がある。
毎週見ているやつだ。
「…………」
異世界に転移して、最初に心配することじゃない。
分かっている。
分かっているけど。
楽しみにしていたんだから仕方ない。
録画はしていない。
配信で見るつもりだった。
「ネットは繋がってるんだよな……?」
一般のインターネットは見られた。
だったら、ストリーミングサービスも使えるんじゃないか?
いや。
今それ確認する?
店長が?
みんなが生活環境を整えてる最中に?
トイレの個室でアニメが見られるか確認する?
「……後だな」
さすがにやめた。
でも。
少しだけ気持ちが軽くなった。
帰れないかもしれない。
それは怖い。
不安じゃないと言えば嘘になる。
ただ。
電気がある。
水がある。
食料がある。
ネットもある。
店には生活に使えるものが山ほどある。
少なくとも、今日明日を生き延びる心配はない。
何より。
一人じゃない。
十四人いる。
「まあ……」
俺は小さく息を吐いた。
「なんとかするしかないか」
そう思った、その瞬間だった。
――ピピピピピピッ!
鋭い警報音が店内に響いた。
「うわっ!」
トイレの個室で飛び上がる。
同時にスマホが震えた。
チャットグループに木村からメッセージが入る。
『店長、正面入口側で侵入検知です』
「侵入!?」
ステータス画面が視界から消える。
俺は慌てて個室を出た。
手を洗う。
いや、今そこ大事か?
大事だ。
そのまま二階の集中レジへ走る。
「何があった?」
到着すると、山本と木村が防犯カメラの映像を見ていた。
伊藤と高橋も戻ってきている。
木村が画面を指さした。
「正面入口側です」
「人?」
「……たぶん」
俺も画面を見る。
そこには。
駐車場の端を、おそるおそる歩いてくる小さな人影が映っていた。
「子ども……?」
山本が呟く。
小さい。
どう見ても大人じゃない。
粗い布の服。
見慣れない格好。
こちらを警戒するように、何度も建物を見上げながら進んでいる。
「人、いたんですね……」
伊藤の声が少し震えている。
いた。
本当に。
この世界に人がいる。
それも。
少なくとも見た目は、俺たちと大きく変わらない。
子どもは正面入口の前まで来ると、閉まったシャッターを見上げた。
当然だ。
今日は臨時休業。
正面入口は閉めてある。
自動ドアの前にはシャッターが下りている。
子どもは建物の前を少しうろうろすると、今度は中を覗けそうな場所を探し始めた。
「どうします?」
山本が聞く。
誰もすぐには答えなかった。
人がいた。
それは大きな前進だ。
でも。
初めて会う、この世界の人間だ。
しかも、向こうから見れば俺たちの方がよほど怪しい。
突然現れた巨大な建物。
見たこともない看板。
閉ざされた入口。
下手な出方をすれば、子どもを怖がらせる。
そして。
もしこの子が村へ戻って、
『変な建物があった』
『知らない人間がいた』
『怖いことをされた』
そんなふうに伝わったら。
次に来るのが、様子を見に来た大人一人や二人とは限らない。
武器を持った大人が、大勢で来る可能性だってある。
この世界の常識も。
治安も。
武器も。
魔法が本当にあるのかどうかさえ、まだ何も分かっていない。
そんな相手と最初から敵対するのは、まずい。
かなり、まずい。
「……絶対、怖がらせない方がいいな」
俺が言うと、山本もうなずいた。
「そうですね。できれば、こちらに敵意がないことだけでも伝えたいです」
「誰か、話しに行った方がいいですよね」
伊藤が言った。
「そうだな」
俺はうなずく。
「ただ、全員で行くのはダメだ」
「余計に怖がらせますね」
「それに、俺と山本が二人とも離れるのもよくない」
何かあった時、集中レジ側で全体を動かせる人間は残しておいた方がいい。
俺と山本が顔を見合わせる。
「私が残ります」
山本が言った。
「いいの?」
「店長が行った方がいいです。現場で判断できますから」
「分かった」
となると、俺一人――
いや。
画面に映る子どもを見る。
知らない男が一人で近づくより、女性が一緒の方が警戒されにくいかもしれない。
それも、できれば人当たりの柔らかい人間。
「伊藤」
「はい?」
「一緒に来てくれる?」
「私ですか?」
「子ども相手なら、俺一人より伊藤がいた方が怖がられないだろ」
伊藤が画面を見る。
少し緊張した顔をしたあと、うなずいた。
「分かりました。行きます」
「無理に話さなくていいからな。俺が話す。伊藤は横にいてくれるだけでいい」
「はい」
そこで俺は、もう一度モニターを見る。
子どもはまだ入口付近にいる。
手ぶらで行って、いきなり話しかける。
それでもいい。
でも。
「……あ、お菓子」
「え?」
伊藤が振り返る。
「お菓子持ってこい!」
「お菓子ですか?」
「そう。子どもだろ。手ぶらより何かあった方がいい」
「何持ってきます?」
「ほら、あれ」
名前が出てこない。
「チョコじゃないやつ。普通のクッキー的なの!」
「ああ、個包装のやつですね」
「そうそう。それと……」
俺は少し考える。
「子ども用の買い物かごあるだろ?」
「あります」
「それ持ってきて。お菓子、何種類か入れよう」
山本が俺を見る。
「そんなに持っていくんですか?」
「全部渡すとは言ってないよ」
「じゃあ、何のために?」
「見せるため」
俺は防犯カメラに映る子どもを見る。
知らない建物。
知らない人間。
知らない食べ物。
それなら。
少なくとも、ここが何かを売っている場所だと分かるものを持っていった方がいい。
「食べ物がいっぱいある店だって分かれば、多少は警戒解けるかもしれないだろ」
「なるほど」
伊藤が食品売場へ向かおうとする。
「あ、待って」
「はい?」
「チラシも一部持ってきて」
「チラシ?」
「うん」
自分で言っておいて、なぜ必要なのかはよく分からない。
今日の特売チラシ。
冷蔵庫。
洗濯機。
テレビ。
炊飯器。
食品。
ゲーム。
写真と値段が大量に載っている、いつものカワダ電器のチラシだ。
山本が首をかしげる。
「読めるんですかね?」
「分からん」
「じゃあ、なんで持っていくんです?」
「……文字が分からなくても、写真なら分かるかもしれないだろ」
「なるほど」
「それに」
俺は少し考えてから言った。
「なんか、店の人間が初めて会う相手のところ行くのに、手ぶらなの落ち着かない」
山本が笑う。
「完全に営業ですね」
「うるさい」
伊藤も少し笑った。
「じゃあ、お菓子とチラシですね」
「頼む」
少しして、伊藤が戻ってきた。
手には、店内で子ども向けに用意している小さな買い物かご。
その中には、個包装のクッキーやビスケット、せんべい、小袋のお菓子がいくつも入っている。
そして、その上に。
今日の特売チラシが一部。
「……結構入れたな」
「たくさんって言ったじゃないですか」
「まあ、いいか」
俺はチラシを一度手に取る。
写真だけなら、何かは伝わるかもしれない。
文字が読めなくても。
食べ物。
家電。
ゲーム。
この建物が、何かを置いている場所だというくらいは。
「これも持っていこう」
「はい」
山本がかごを覗き込む。
「でも、いきなり食べさせるのは怖がりません?」
「だから俺が先に食べる」
俺はクッキーを一つ手に取った。
「目の前で開けて食べる。それから渡す」
「毒じゃないって見せるんですね」
「それで安心するかは分からんけどな」
少なくとも、何もしないよりはいい。
伊藤が買い物かごを持ち直す。
「かご、私が持ちますね」
「頼む」
山本が俺たちを見る。
「中村店長と伊藤さんの二人で。私はここに残ります」
「うん。木村とカメラ見てて」
「何かあったらすぐ戻ってください」
「分かってる」
俺と伊藤。
子ども用の小さな買い物かごいっぱいのお菓子。
そして、なぜか家電量販店の特売チラシ一部。
異世界で最初に会う人間に持っていくものとして正しいのかは分からない。
でも。
武器を持っていくよりは、ずっといい。
「じゃあ、行こう」
「はい」
俺たちは一階へ向かった。
階段を下りながら、伊藤が小声で聞く。
「正面から出ます?」
「いや」
俺は首を振った。
正面入口のシャッターは閉まっている。
あれを開ければ、かなり大きな音がする。
ただでさえ警戒している子どもの目の前で、突然金属のシャッターが動き出したら。
「たぶん逃げるな」
「ですよね」
「隣の非常用扉から出よう」
正面入口のすぐ脇に、非常時に使うための扉がある。
普段、客が出入りする場所ではない。
でも今は、そっちの方がいい。
シャッターを開けずに済むし、二人だけ静かに外へ出られる。
「扉開ける時も、ゆっくりな」
「はい」
一階へ着く。
非常用扉の前まで来た。
俺は一度スマホを見る。
山本からメッセージが入っていた。
『まだ正面入口付近にいます』
「まだいるって」
「よかった……」
伊藤が、小さな買い物かごを抱え直す。
中にはクッキーやビスケット、小袋のお菓子。
その上には、なぜか特売チラシが一部。
「……緊張しますね」
「するな」
「言葉、通じますかね」
「それなんだよな」
そこで。
俺は思い出した。
ステータスにあった能力。
《万能言語理解》
あれが文字通りなら。
「……試すしかないか」
「何をです?」
「いや、こっちの話」
伊藤が怪訝そうな顔をする。
まだステータスのことは誰にも言っていない。
説明は後だ。
俺は非常用扉の取っ手に手をかけた。
一気には開けない。
ほんの少しだけ。
外を確認する。
いた。
正面入口の前。
子どもは、まだ巨大な建物を見上げている。
こっちには気づいていない。
俺は扉を少しだけ広げる。
「行くぞ」
「はい」
俺が先に外へ出る。
伊藤も続く。
扉が閉まる小さな音に、子どもが振り向いた。
びくっと肩を震わせる。
でも。
逃げなかった。
俺たちを見る。
俺も見る。
伊藤は、買い物かごを抱えて俺の少し後ろに立っていた。
子どもの視線が、一瞬だけかごへ向く。
色とりどりのお菓子。
その上のチラシ。
見たことのないものばかりだろう。
俺はゆっくり両手を見える位置に出した。
敵意はない。
少なくとも、それだけは伝えたい。
「……」
向こうも黙っている。
こっちも黙っている。
何を言えばいい。
こんにちは?
いや。
本当に通じるのか?
俺は一度だけ息を吸った。
《万能言語理解》
頼むぞ。
そして。
できるだけ穏やかに。
声をかけた。
「……こんにちは」
子どもが、目を見開いた。




