第10話 やっちまった……
「……やっちまった」
二階の集中レジ前。
俺は両手で顔を覆った。
頭の中で、どこかで見たことのある猫が絶望した顔をしていた。
たぶん今の俺も、だいたいあんな顔だ。
山本がこちらを見る。
「今さらですか?」
「いや、分かってたけどさ」
「何がです?」
「明日から営業するって言ったこと」
「言いましたね」
「しかも村のみんな連れてきていいって」
「言いましたね」
「……やっちまった」
少しの沈黙。
山本は業務端末を開いた。
「では、明日からの営業について決めましょう」
「切り替え早くない?」
「店長が営業すると言ったので」
「まだ撤回できるんじゃない?」
「誰にですか?」
「…………」
森の向こうへ帰っていった女の子の姿が頭に浮かぶ。
お菓子の入った子ども用の買い物かご。
特売チラシ。
そして。
『村のみんな連れてきていいぞ!』
自分で言った。
完全に自分で言った。
俺は周囲を見る。
「……とりあえず、会議室からホワイトボード持ってこようか」
山本が顔を上げる。
「ここでやります?」
「携帯コーナーの待合使おう。椅子もテーブルもあるし」
スマートフォン売場には、契約や機種変更を待つ客向けの待合スペースがある。
十四人全員で座るには少し狭い。
でも、近くのカウンターや椅子を使えば、話し合うくらいなら十分だ。
「あと」
俺は食品売場の方を見る。
「なんか食べながらやろう」
「会議しながらですか?」
「朝から誰もまともに食ってないだろ」
山本が時計を見る。
「確かに」
異世界に転移して。
外を確認して。
電気や水を調べて。
生活場所を決めて。
そのうえ、初めてこの世界の人間と話した。
腹が減らない方がおかしい。
店に生鮮食品はない。
でも、おにぎりやパンくらいなら少量置いてある。
社員が休憩中に買うことも多いからだ。
あとはカップ麺。
レトルト食品。
お菓子。
ペットボトルや缶の飲み物。
とりあえず今日の昼飯には困らない。
「加藤」
「はい」
「おにぎりとパン出して。足りなかったらカップ麺も。飲み物も頼む」
「十四人分ですね」
「うん。使った分は記録しといて」
「分かりました」
「田中と渡辺は、四階の会議室からホワイトボード持ってきて」
田中が笑う。
「異世界来て最初の本格会議ですね」
「議題は明日の営業だけどな」
「普通の店っぽいですね」
「外見てから言え」
しばらくして。
携帯コーナーの待合スペースに、四階から運んできたホワイトボードが置かれた。
テーブルには、おにぎり。
パン。
カップ麺。
お菓子。
ペットボトルの飲み物。
それぞれが椅子や近くのカウンターに腰を下ろす。
異世界に転移した初日の昼食としては、妙にいつもの休憩時間っぽかった。
俺も鮭のおにぎりを一つ取った。
包装を剥がす。
海苔を巻く。
一口。
「…………」
普通にうまい。
だからこそ。
ふと思った。
「これも、最後かもな」
山本が顔を上げる。
「何がです?」
俺は手に持ったおにぎりを見る。
「おにぎり」
一瞬、みんなが黙った。
「店にある分食べたら、次いつ食えるか分からないだろ」
米はある。
炊飯器もある。
水もある。
だから米を炊くこと自体はできる。
でも。
鮭。
ツナマヨ。
昆布。
梅。
こういう出来上がったおにぎりが、明日また普通に納品される保証はない。
今までは。
売れたら発注して。
翌日には補充される。
それが当たり前だった。
でも今は。
店の外に道路すらない。
「……そう考えると、急に惜しくなりますね」
伊藤が自分のおにぎりを見る。
田中も言う。
「俺、いつも何も考えずに食ってました」
「俺も」
俺はもう一口食べる。
当たり前だったものが。
急に、当たり前じゃなくなる。
それだけで味まで違って感じる。
「まあ」
俺は少し笑った。
「食えるうちに食っとこう」
山本がため息混じりに言う。
「食料在庫はちゃんと管理しますからね」
「分かってるって」
少しだけ重くなった空気が戻る。
俺は残りのおにぎりを食べ終えて、ホワイトボードの前に立った。
ペンを持つ。
「じゃあ」
全員を見る。
「食べながらでいいから、明日どうやって店開けるか考えよう」
山本がすぐ横に立つ。
「まず、決めないといけないことを全部出しましょう」
「ブレストだな」
「そうですね」
俺はホワイトボードの上に大きく書いた。
『明日の営業』
その下に。
営業時間。
販売商品。
価格。
現地通貨。
決済方法。
接客方法。
安全対策。
電源。
一つずつ書いていく。
森がパンを食べながら言った。
「……多くないですか?」
「多いな」
佐藤が続ける。
「家電売るなら電気どうするんです?」
加藤。
「値段も決められませんよね」
高橋。
「そもそも向こうのお金が何か分かってません」
小林。
「配送もありますよ」
俺はホワイトボードを見る。
まだ始めて数分なのに、問題だらけだ。
「……やっぱり、やっちまったな」
山本が即答した。
「だから今、それを解決するんです」
「はい」
俺はペンを持ち直した。
「じゃあ、一個ずついこう」
まず。
価格。
ここが一番どうしようもない。
「向こうの物価が分からない」
俺が言うと、加藤がうなずく。
「ですね」
「クッキー一袋が向こうで高いのか安いのかも分からない」
山本が続ける。
「通貨の単位も分かってません」
「貨幣があるかどうかも、まだ聞いてないな」
村に商店があるとは聞いた。
なら、何かしら取引の手段はあるんだろう。
でも。
それが硬貨なのか。
紙幣なのか。
それとも別のものなのか。
何も分からない。
仮に貨幣があったとしても。
こちらで198円の商品が、この世界ではどれくらいの価値になるのか。
一食分なのか。
一日働いた分なのか。
とんでもない高級品なのか。
判断のしようがない。
「値付け、無理ですね」
木村が言った。
「無理だな」
俺はホワイトボードの『価格』を丸で囲む。
そして。
少し考えた。
「じゃあ明日、売るのやめよう」
「え?」
何人かが一斉に俺を見る。
山本も。
「明日から営業するって言いましたよね?」
「言った」
「今、販売しないって」
「だから」
俺はホワイトボードに新しく書いた。
『プレオープン』
「これでいこう」
田中が首をかしげる。
「プレオープン?」
「店は開ける。でも販売はしない」
「何するんです?」
「まず見てもらう」
俺は続ける。
「お菓子配って、店に何があるのか紹介する」
森が言った。
「展示会みたいな感じですか?」
「それに近い」
いきなり本営業なんて無理だ。
でも。
昨日、明日から店を開けると言った。
なら。
開ける。
ただし。
売らない。
「見るだけ」
ホワイトボードに書く。
「触るだけ」
さらに書く。
「食べてもらうだけ」
山本が少し考える。
「それなら物価が分からなくてもできますね」
「だろ?」
「営業と言えるかは微妙ですけど」
「プレオープンだから」
便利な言葉だ。
山本が小さく笑った。
「では、それでいきましょう」
「ただし」
俺はペンを止めなかった。
「何も売らない代わりに、聞く」
「何をです?」
「いくらなら買うか」
ホワイトボードに大きく書く。
『いくらなら買う?』
田中が読み上げた。
「値段を向こうに決めてもらうんですか?」
「決めてもらうんじゃない。感覚を聞くんだよ」
例えば。
クッキー。
タオル。
石鹸。
鍋。
おもちゃ。
目の前に置いて。
「これなら、いくらまでなら出す?」
そう聞く。
「一人だけじゃダメだけどな」
「安く言われるかもしれませんしね」
高橋が言う。
「そう。だから何人かに聞く」
大人。
若い人。
子ども。
立場の違う人。
同じ商品について何人かの答えを集めれば。
少なくとも、その村の価格感は少し見えてくる。
加藤が言った。
「普段買ってる物の値段も聞いた方がいいですね」
「それだ」
俺はさらに書く。
『普段何にいくら使う?』
「パンはいくら?」
「石鹸はいくら?」
「服はいくら?」
「道具はいくら?」
普段の生活に必要な物の値段が分かれば。
こっちの商品が高いのか、安いのか。
多少は比較できる。
「魔道具も聞きたいですね」
佐藤が言う。
「絶対聞こう」
昨日の女の子が言っていた。
明かり。
お湯。
火。
冷却。
魔石で動く生活道具。
家電と役割が被っている。
なら。
「魔道具がいくらなのか」
俺は書く。
『魔道具はいくら?』
「どれくらいの家が持ってるのか」
『どのくらい普及してる?』
「魔石そのものの値段も」
『魔石はいくら?』
ホワイトボードがどんどん埋まっていく。
山本が整理するように言った。
「明日は販売というより、市場調査ですね」
「そういうこと」
何を欲しがるのか。
何なら買うのか。
いくらなら買うのか。
何に普段お金を使っているのか。
魔道具はいくらなのか。
それが分かれば。
次から、本当に値段を考えられる。
「急に仕事っぽくなりましたね」
田中が言う。
「最初から仕事だよ」
「異世界ですけど」
「それはもういい」
次。
安全対策。
ここも重要だ。
「店全部を開けるのはやめよう」
鈴木がうなずく。
「その方がいいな」
何人来るかも分からない。
どんな人間が来るかも分からない。
いきなり四階まで自由に入ってもらうのは、さすがに危険だ。
「一階だけ」
俺は言う。
「それも、イベントスペースだけ開放」
一階には、メーカーイベントや体験会、季節催事なんかに使うスペースがある。
正面入口から近い。
区切りやすい。
スタッフも配置しやすい。
「そこだけなら管理もしやすいですね」
山本が言う。
「うん。ほかの売場には行けないように動線を作ろう」
什器。
パーテーション。
案内ボード。
店にあるものだけで十分作れる。
「何かあったら、すぐ入口側を閉められる位置だな」
鈴木が言う。
「そこも大事だな」
相手を敵と決めつける気はない。
でも。
安全対策は別だ。
イベントスペースだけ。
明日はそれで十分。
「で、何を並べます?」
吉田が聞いた。
俺はホワイトボードに書いていく。
お菓子。
飲み物。
タオル。
石鹸。
洗剤。
ティッシュ。
文房具。
調理用品。
簡単なおもちゃ。
電池式の商品。
「日用品中心ですね」
「分かりやすい方がいいだろ」
触れば用途が分かるもの。
食べれば分かるもの。
説明が難しくないもの。
まずはそこから。
「ゲームも少し置いていいですか?」
森が聞く。
「簡単なのなら」
「じゃあ何個か選びます」
「頼む」
十歳くらいの女の子もいた。
村に子どもがいるなら、遊べるものもあった方がいい。
「家電は?」
佐藤が聞いた。
「展示だけ少し」
「何置きます?」
考える。
電気ケトル。
ドライヤー。
炊飯器。
LEDランタン。
小型扇風機。
「動いてるところ見せられるやつ」
「店内なら電源ありますしね」
「そう」
向こうには魔道具がある。
なら。
家電を見た時、どう反応するのか。
それも明日確認したい。
「でも家電は売らない」
「紹介だけですね」
「うん」
ホワイトボードに、
『家電=展示・実演のみ』
と書いた。
次。
営業時間。
「何時からにします?」
木村が聞いた。
「……分からん」
「でしょうね」
村人が何時に活動を始めるのか知らない。
昨日の女の子には、明日店を開けるとしか言っていない。
「朝から来るかもしれませんね」
伊藤が言う。
「あるな」
農村なら日の出と一緒に動き出す可能性だってある。
「じゃあ早めに準備しよう」
「何時です?」
「八時?」
山本が首をかしげる。
「根拠は?」
「ない」
「ですよね」
「じゃあ、明るくなったら準備開始」
「営業時間じゃないですね」
「来たら開ける」
「随分柔軟ですね」
「プレオープンだから」
また便利な言葉を使った。
そして。
展示する商品について話していた時。
加藤が手を上げた。
「店長」
「ん?」
「値札、どうします?」
「値札?」
「商品についてるプライスカードです」
「ああ」
日本円の値札。
確かに。
売らないなら、外してもいい。
でも。
一つずつ外して。
終わったらまた戻す?
面倒だ。
ものすごく。
「そのままでいいんじゃない?」
山本が俺を見る。
「いいんですか?」
「販売しないんだし」
「でも、向こうの人が見る可能性はありますよ」
「どうせ読めないだろ」
高橋が言う。
「数字は分かるかもしれませんよ」
「数字が分かっても円は分からないだろ」
「まあ、それはそうですけど」
昨日渡したチラシだって。
写真は分かっても、文字は読めていなかった。
なら。
店内の値札も同じ。
少なくとも。
俺はそう思った。
「値札外す時間あるなら、展示準備に使おう」
「分かりました」
加藤がメモする。
『値札そのまま』
これも決まった。
ホワイトボードには、だいぶ内容が増えていた。
『明日 プレオープン』
・1Fイベントスペースのみ開放
・販売はしない
・お菓子配布
・日用品、食品、雑貨を紹介
・家電は一部展示・実演のみ
・店内移動はイベントスペース周辺に制限
・来客人数を確認
・現地通貨を確認
・普段の物価を聞く
・「いくらなら買うか」を聞く
・欲しい商品を聞く
・魔道具、魔石の価格を聞く
・値札はそのまま
俺は一通り眺める。
「これならいけるんじゃない?」
山本がうなずく。
「本営業よりは、かなり現実的です」
「まずは調査」
「そうですね」
「売るのはその後」
「はい」
よし。
これなら問題ない。
少なくとも。
値段も決めず。
通貨も分からず。
いきなり商品を売るよりは、ずっといい。
「じゃあ午後は準備しよう」
俺が言うと、みんなが立ち上がり始めた。
一階のイベントスペースへ商品を運ぶ。
動線を作る。
テーブルを出す。
配るお菓子を決める。
展示する家電を選ぶ。
聞き取り用の項目もまとめておく。
やることはいくらでもある。
でも。
朝から何も分からなかった時に比べれば。
明日やることは、かなり明確になった。
俺はホワイトボードの前で、最後にもう一度確認する。
「明日は売らない」
山本がうなずく。
「はい」
「見るだけ」
「はい」
「触るだけ」
「はい」
「食べてもらうだけ」
「それと、聞く」
「ああ」
俺はホワイトボードを見る。
何を欲しいか。
いくらなら買うか。
普段、何にいくら使っているのか。
「それを調べてから、値段を決める」
「それでいきましょう」
「よし」
これなら。
さすがに問題は起きないだろう。
……たぶん。
次回は明日21時公開予定
同じく書き溜め5話分を公開します
鈴木の口調を統一させました




