第31話 神様、いました
翌朝。
5月17日。
異世界に来て6日目。
いつものようにタイムカードを切り、3階の調理家電コーナーへ向かうと、テーブルには朝食が並んでいた。
前日に売れ残ったおにぎりとパン。
異世界へ来てから、すっかり見慣れた朝食だ。
「いただきます」
鮭のおにぎりを一口食べる。
普通に美味い。
美味いんだけど。
「……納豆食いたいな」
思わず口から出た。
向かいに座っていた田中が顔を上げる。
「あー、分かります。俺、生卵欲しいです」
「卵かけご飯?」
「それです」
昨日、レーヴァン村の市場で新鮮な食材を見たせいだろう。
今までそれほど気にしていなかった、日本の朝飯が急に恋しくなった。
山本がパンを食べながら言う。
「卵なら昨日売ってましたよね?」
「いや。あっちの卵を生で食うのは怖い」
「ああ……確かに」
火を通すならともかく、生食は別だ。
どんな衛生管理をしているのかも分からない。
そこで、手元のおにぎりを見て気づいた。
「待てよ。おにぎりとかパンが毎朝来るなら、納豆とか卵も頼めるんじゃないか?」
言い終わるより先に、業務端末を開いた。
食品の商品マスタで納豆を検索する。
「……ある」
「あるんですか?」
「普通にある」
卵も検索すると、見慣れたパック商品が表示された。
「いけるじゃん」
田中が身を乗り出す。
「明日の朝、卵かけご飯いけます?」
「発注通ればな」
試しに納豆と卵を少量だけ発注する。
ほかにも扱いはありそうだが、今はこれで十分だ。
今までは、店にある物だけで何とか暮らすことばかり考えていた。
でも商品マスタをちゃんと探せば、まだ使っていない選択肢はいくらでもありそうだ。
「そういえば、自転車来てないんだっけ?」
俺が聞くと、山本が少し呆れた顔をした。
「昨日の夜に頼んだので、届くのは明日ですよ」
「ああ、14時締めか」
「帰ってきた時点で、とっくに過ぎてましたからね」
そうだった。
今日はまだ徒歩だ。
村まで20分ほどなら、大した距離でもない。
朝食を終えたあと、山本と一緒に1階へ向かった。
昨日の売上分。
GOD BOXの確認だ。
蓋を開けると、今日も現金が入っていた。
2,006,045円。
昨日の売上8,024,180円の、ちょうど25%だ。
「今日もきっちりですね」
「ああ」
金額を確認し、そのまま4階の事務所へ持っていく。
木村に伝えると、すぐに端末へ入力した。
「これで報酬累計8,872,920円です」
「もうそんなに?」
「前に100,000円を両替してるので、今ここにある現金は8,772,920円ですね」
900万円近い。
数字で聞くと、改めて重い。
「これ、明日あたり1,000万超えるんじゃない?」
「今日も同じくらい売れれば、超えそうですね」
木村の返事は軽い。
こっちは軽くない。
「……嫌だなあ。現金で1,000万以上、事務所に置いとくの」
売上金なら翌朝には会社側へ消える。
でも、GOD BOXから出てきた報酬は残り続けている。
金庫に入るかどうかではなく、これだけの現金を店内で保管し続けること自体が問題だ。
「これは早めに考えないとな」
「そうですね」
山本も頷く。
「早急に対策しよう」
ひとまず今日の分を事務所で保管する。
それから、昨日の買い物で思ったより現地通貨を使ったことを思い出し、追加で50,000円分を両替しておくことにした。
これから村との付き合いが増えるなら、ある程度は手元にあった方がいい。
2階の使っていない集中レジで《両替》を使う。
これで両替した金額は合計150,000円。
事務所に残る報酬の現金は8,722,920円になった。
追加で両替した現地通貨を持ち、午前中の店内を確認する。
そのあと、俺と山本、田中の3人でもう一度レーヴァン村へ向かった。
◇
今日は販売しない。
商品も持っていかない。
昨日お願いした大工を紹介してもらうことと、村についてもう少し話を聞くのが目的だ。
歩いて20分ほど。
昨日の今日なので、村へ入るとすぐ何人かに声をかけられた。
「あ、店の兄ちゃんたちだ」
「昨日はどうも」
「今日は何か持ってきたのか?」
昨日買い物をした店の人や、販売の時に話した顔も混じっている。
まだ名前までは分からないが、向こうが覚えていてくれたことが少し嬉しかった。
「今日は商品は持ってきてないんです。村長さんに用事があって」
「ああ、そうなのか」
「店の方は今日も開いてるので、よかったらまた来てください」
「昨日買えなかった物があるんだ。また行くよ」
「ありがとうございます。お待ちしてます」
自然に頭を下げる。
田中が横で小さく笑った。
「完全に店長ですね」
「店長だからな」
少し進んだところで、今度は別の男性から声をかけられた。
「昨日の灯り、家で使ってみたぞ。明るくて驚いた」
「本当ですか? 使い方、大丈夫でした?」
「ああ。息子が面白がって、ずっと点けたり消したりしてる」
「それ、乾電池なくなりますよ」
男性が笑う。
「じゃあ、また買いに行かないとな」
「ぜひ。でも、使い切ってからで大丈夫ですよ」
「商売人なのに、それでいいのか?」
「必要ない物まで買ってもらっても仕方ないですから」
男性は少し意外そうな顔をしたあと、楽しそうに笑った。
「変わった商人だな」
その言葉に、山本と田中が揃ってこちらを見る。
「何?」
「いえ、別に」
何となく言いたいことは分かった。
昨日まで知らなかった人たちなのに、少しずつ会話が生まれている。
店と客というだけではない関係が、少しずつでき始めている気がした。
ロイド村長のところへ行くと、昨日の話を覚えていてくれて、すぐに大工を呼んでくれた。
やって来たのは、40代くらいのがっしりした男だった。
「ドイルだ」
「中村です。よろしくお願いします」
握手をして、こちらの希望を簡単に説明する。
店の中を仕切って個室を作りたいこと。
それから、前から考えていたキッチンと風呂の移設も見てほしいこと。
ドイルは一通り聞いたあと、腕を組んだ。
「その建物を見ないことには、何とも言えんな」
「ですよね」
むしろ、その答えの方が安心する。
「明日、店まで来てもらえます?」
「ああ。朝からでいいなら行ける」
「お願いします」
水回りについては、必要なら別の職人にも声をかけてくれるらしい。
これで、ずっと構想だけだった生活環境の改善が、ようやく具体的に動き始める。
用件を終えて帰ろうとしたところで、田中が少し離れた建物を指さした。
「あれ、何ですか?」
小さな石造りの建物だった。
ほかの家とは少し雰囲気が違い、入口の上には見覚えのない印が彫られている。
ロイド村長が答えた。
「あれは礼拝堂ですよ」
「礼拝堂?」
「ええ。神様へ祈りを捧げる場所です」
俺は建物を見る。
神様の土地。
昔から残っている言い伝え。
そして、俺が夢の中で一度だけ会った存在。
「……ちょっと見てもいいですか?」
「もちろんです」
礼拝堂の中は、思ったより簡素だった。
長椅子が並び、その奥に小さな祭壇がある。
派手さはなく、静かで落ち着いた場所だった。
「普通ですね」
田中が小声で言う。
「何を期待してたんだよ」
「もっとこう、光ってるとか」
「ゲームじゃないんだから」
そう言いながら祭壇へ視線を向けた、その瞬間だった。
周囲の音が遠くなった。
完全に消えたわけではない。
山本や田中の声も、外を歩く人の気配も聞こえている。
ただ、その全部が一枚向こう側へ押しやられたように、急に現実感を失っていく。
そして、祭壇の横に一人の人物が立っていた。
俺は思わず息を止める。
見間違えるはずがない。
夢の中で会った、あの人だ。
「こんにちは」
まるで昨日も会っていたような調子で、普通に挨拶された。
「…………」
「そんなに驚かなくてもいいでしょう?」
「……神様?」
口に出した瞬間、後ろから山本の声が聞こえた。
「店長?」
振り返ると、山本も田中も、俺が見ている先を不思議そうに見つめている。
やっぱり見えていないらしい。
たぶん、声も聞こえていない。
もう一度前を向くと、神様は何事もなかったようにそこに立っていた。
「お久しぶりです」
「いや、久しぶりって……」
前に会ったのは夢の中だ。
俺だけ若返った理由を聞いた時で、動きやすいだとか、体力があるだとか、長く働けるだとか、いまだに納得できたような、できていないような説明しかされていない。
「順調そうですね」
「順調なんですか、これ」
「とても」
神様は楽しそうに笑った。
こっちは聞きたいことが山ほどある。
だから、一番大事なことから聞くことにした。
「俺たち、帰れるんですか?」
「帰れますよ」
あまりにも簡単に答えられて、逆に言葉が止まった。
「……本当に?」
「はい」
「いつ?」
「まだです」
「何をすれば?」
「今やっていることを続けてください」
また、ふわっとした答えが返ってくる。
「それ、答えになってないですよね?」
「そうですか?」
「そうですよ」
神様は少し考えるように首を傾げ、それから俺を見て笑った。
「では、もう少しだけお話ししましょう」
俺は黙って続きを待つ。
「こちらの人たちと仲良くしてください。困っていることがあれば、できる範囲で助けてあげてください」
「……それだけ?」
「それだけで十分です」
思わず眉を寄せる。
「俺、普通に店やってるだけなんですけど」
「それでいいんです」
迷いのない即答だった。
「売ってるだけですよ?」
「本当に?」
言われて、少し考える。
客が何に困っているのかを聞き、必要なら商品を提案する。
昨日は村で買い物をして、今日は大工まで紹介してもらった。
さっきだって、昨日来てくれた客と普通に立ち話をしていた。
確かに、ただ商品を売るだけの関係ではなくなり始めている。
「今やっていることは、とてもいいことですよ。こちらの人たちは、自分たちで考えて、自分たちで前へ進めますから」
「前へ?」
「だから、答えを全部渡す必要はありません」
神様は祭壇の方へ視線を向けながら、穏やかに続けた。
「便利な物を見て、使って、考える。そのきっかけがあれば、それでいいんです」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
「……俺たちがここに来たのって、そのため?」
神様は答えを濁すように笑う。
「理由の一つ、とだけ言っておきます」
また肝心なところは教えてくれない。
「カワダ電器ごと?」
「ちょうど良かったんです」
「店一個持ってきて『ちょうど良かった』で済ませないでください」
神様は楽しそうに笑った。
こっちは笑えない。
それでも、少なくとも今やっていることが間違っていないらしいことだけは分かった。
「じゃあ確認しますけど、今みたいに店をやって、こっちの人たちと付き合っていけばいいんですね?」
「はい」
「困ってることがあったら、できる範囲で手伝う」
「はい」
「それで、いつか帰れる?」
「帰れます」
「絶対?」
「絶対です」
そこだけは、今までの曖昧な答えとは違い、はっきりと言い切った。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にずっと引っかかっていたものが、少しだけ軽くなる。
いつ帰れるのかは分からない。
それでも、帰れないわけではない。
今は、それだけでも十分だった。
「ほかに、何か教えてくれないんですか?」
俺が聞くと、神様は少しだけ考えてから笑った。
「そうですね。では、一つだけ」
「何です?」
「明日、中村さんが今ちょっと心配していることが、一つ解消されますよ」
「心配してること?」
思い当たることが多すぎて、逆に何のことか分からない。
「何のことですか?」
「明日になれば分かります」
「またそれですか」
「楽しみにしていてください」
「心配事を楽しみにしろって、おかしくないですか?」
神様は答えず、ただ楽しそうに笑っていた。
「じゃあ、みんなにも――」
言いかけたところで、その姿が少しずつ薄くなっていく。
「ちょっと待って。まだ聞きたいことあるんですけど」
「またそのうち」
「そのうちっていつですか?」
今度は返事すらなかった。
神様の姿が完全に消えた瞬間、遠くなっていた周囲の音が一気に戻ってくる。
「店長」
背後から聞こえた山本の声が、妙に低かった。
恐る恐る振り返ると、山本と田中が揃って俺を見ている。
「……はい」
「今、誰と話してたんですか?」
一瞬だけ、誤魔化そうかと思った。
でも、すぐにやめた。
ここまで来て、また一人で抱え込む意味はない。
「神様」
数秒、沈黙が続いた。
田中は祭壇の周りを見回しているが、当然もう誰もいない。
「……どこに?」
「もう消えた」
「店長」
山本の目が細くなる。
疑っているというより、説明を求めている顔だった。
「本当に。だから……今まで黙ってたことも含めて、全部話す」
俺は、転移直後に自分だけが見た表示のことから話し始めた。
《移送処理 完了》
《対象》
《カワダ電器 東山店》
《管理者選定》
《中村大祐》
《現地適応処理 完了》
あの表示を見たあと、夢の中で神様に会ったこと。
俺だけが若返った理由について聞いたこと。
そして今、その神様が礼拝堂に現れ、俺と話していたこと。
途中で遮られることもなく、最後まで全部話した。
山本は黙って聞いていた。
何も言わない分、余計に怖い。
話し終えると、山本がゆっくり息を吐いた。
「……それ、なんで今まで黙ってたんですか?」
「いや、その……」
「店長」
「ごめん」
ここは言い訳しても仕方ない。
「管理者に選ばれたって言っても、俺自身何のことか分からなかったし、俺のせいでみんなが巻き込まれたみたいに思われるのも嫌だったというか……」
「だからって、一人で判断しないでください」
「はい」
正論だった。
田中が少し困ったように笑う。
「でも、店長が今さらこんな嘘をつく意味もないですよね」
「ないよ」
「ですよね」
山本も怒ってはいるが、話そのものを疑っているわけではなさそうだった。
しばらくして、少し落ち着いた声で聞いてくる。
「それで、神様は何て?」
俺は、さっき聞いたことをそのまま伝えた。
こちらの人たちと仲良くすること。
困り事があれば、できる範囲で助けること。
今やっていることを続ければいいこと。
そして、一番大事なこと。
「帰れるって言った」
その一言で、2人の表情が変わった。
「絶対に?」
山本が聞く。
「絶対って言ってた」
山本の表情が、ほんの少し緩む。
田中も大きく息を吐いた。
「それ、かなり大きいですよね」
「ああ。いつになるかは分からないけど、帰れないわけじゃない」
村に残っていた言い伝えだけではなく、今度は神様本人から聞いた。
それだけでも、これまでとは意味が違う。
「で、いつ帰れるんです?」
田中が聞く。
「まだだって」
「何をすれば?」
「今やってることを続けろって」
田中は少し考えてから、苦笑した。
「……雑ですね、神様」
「俺もそう思う」
「ほかには?」
「明日になったら、俺の心配事が一つ解消されるらしい」
今度は山本が眉をひそめる。
「心配事って?」
「それを教えてくれなかった」
「……本当に雑ですね」
「だろ?」
田中が笑い、ようやく少しだけ空気が緩んだ。
山本は小さくため息をついてから、俺を見る。
「次に会った時のために、質問まとめておきましょう」
「俺が?」
「店長にしか見えないんですよね?」
「たぶん」
「じゃあお願いします」
また仕事が増えた。
でも、今度はそれほど嫌な気はしなかった。
礼拝堂を出ると、外では村人たちがいつも通り行き交っていた。
さっき灯りの話をしていた男性が遠くからこちらに気づき、軽く手を上げる。
俺も同じように手を上げて返した。
神様と話したからといって、目の前の景色が急に変わるわけじゃない。
こちらの人たちと仲良くして、困っていることがあれば、できる範囲で力になる。
言われてみれば、それは特別な使命というより、俺が今まで店でやってきたことと大して変わらなかった。
「結局、接客と同じだな」
俺が言うと、山本がこちらを見る。
「店長にとっては、そうなのかもしれませんね」
「何に困ってるか聞いて、合うものを提案する。それだけだろ?」
田中が笑う。
「異世界でも店長ですね」
「店長だからな」
帰れる日がいつになるのかは、まだ分からない。
それでも、帰れることは分かった。
そして、ここで何をすればいいのかも、少しだけ見えてきた。
だったら、今後も店を開け続けて、神様の気が済むまでこの異世界の人の役に立ち続けてみようと思う。
次回は明日21時公開予定




