別話1 東山店が消えた
5月15日。
カワダ電器本部。
北村の机の上には、朝から東山店関連の資料が積み上がっていた。
普段なら、そこまで珍しい光景ではない。
店舗からの報告。
売上資料。
人員関係。
メーカーとの調整。
複数の店舗を見ていれば、毎日何かしら問題は起きる。
ただし。
今回ばかりは、問題の種類が違った。
「……意味が分からん」
北村は、もう何度目か分からない言葉を口にした。
机の上にあるのは、正確には。
『東山店消失に関する経過報告』
そんな題名の資料だった。
5月12日の朝。
開店前だったカワダ電器東山店が、建物ごと消えた。
比喩ではない。
火災でもない。
倒壊でもない。
閉店でもない。
本当に、消えた。
4階建ての店舗そのものが、その場所からなくなっていた。
店内にいたはずの従業員もいない。
出勤していた社員。
アルバイト。
清掃スタッフ。
誰一人として連絡が取れない。
当然、大騒ぎになった。
警察。
消防。
自治体。
本社。
関係会社。
確認できるところは、片っ端から確認した。
爆発の痕跡はない。
地盤沈下でもない。
火災でもない。
大型重機が入った形跡もない。
一晩で建物を解体して運び出した、なんて話でも当然ない。
周辺の防犯カメラも調べられた。
それでも。
東山店は、ある瞬間を境に消えていた。
「普通、こういうのってどう報告すればいいんだよ……」
北村は椅子にもたれた。
上には報告した。
もちろん報告した。
むしろ、ここ数日は報告させられ続けている。
直属の上司。
営業本部の上席。
管理部門。
経営陣。
そして今日は。
ついに社長まで出てきた。
東山店一店舗の話が、完全に会社全体の案件になっている。
当然だ。
大型店舗が、従業員ごと消えた。
それだけでも十分すぎるほど異常なのに。
さらに厄介なことが起きている。
消えたはずの東山店が。
社内システム上では、今も営業を続けているのだ。
午前中。
北村は会議室に呼ばれていた。
入った瞬間、帰りたくなった。
普段なら、自分が直接話す機会などほとんどない役職の人間まで並んでいる。
本部長。
担当役員。
管理部門の責任者。
経営陣。
そして一番奥には、社長まで座っている。
「北村君」
社長が資料から顔を上げた。
「東山店について、もう一度説明してくれ」
「はい」
もう一度。
ここ数日で何回目だろう。
北村は資料を開いた。
「5月12日朝、東山店は建物ごと現地から消失しました。現在も店舗、および出勤していた従業員の所在は確認できていません」
「警察から新しい情報は?」
「ありません」
「原因も?」
「不明です」
社長の横にいた役員が腕を組む。
「それなのに、営業は続いている」
「はい。社内システム上では」
北村は答える。
ここからが一番説明しづらい。
「売上が上がっています」
「発注も?」
「来ています」
「在庫は?」
「販売分だけ減少しています」
「入金も?」
「確認されています」
会議室が静かになる。
何度説明しても、この部分だけは空気が変わる。
店舗はない。
人もいない。
なのに。
売上。
発注。
在庫。
入金。
そのすべてが、まるで普通に店が営業しているかのように動いている。
「売上規模は?」
別の役員が聞く。
「普段の土日と変わらない程度です」
数千円や数万円ではない。
大型店が、普通に営業した日の数字だ。
しかも一日だけではない。
翌日も。
さらにその翌日も。
東山店の売上として、数字が上がってきている。
「……システム障害ではないのか?」
「情報システム部でも調査していますが、現時点では異常は確認されていません」
「架空売上の可能性は?」
「経理側でも確認していますが、売上金は実際に会社へ入っています」
また静かになる。
北村は内心で思う。
そうなるよな。
自分も最初はそうなった。
その時。
役員の一人が資料を机へ置いた。
「やはり、一度止めるべきじゃないか?」
北村はそちらを見る。
「止める、というのは?」
「東山店の処理を全部だ」
発注。
売上処理。
店舗システム。
必要なら店舗コード自体を一時停止する。
役員は続けた。
「あまりにも不気味だ」
「それは、そうですね」
北村も否定はしない。
不気味かどうかで言えば。
ものすごく不気味だ。
「なら止めるべきだろう」
「ただ」
北村は資料を一枚めくった。
「売上金、入ってます」
「……それは聞いた」
「POSの数字とも一致しています。販売した商品分だけ在庫も減っていますし、発注も通常処理です」
「だからといって」
「会社として、現時点で金銭的な損失は出ていません」
直属の上司が、少し嫌そうな顔をした。
またそれを言うのか。
そんな顔だ。
北村は構わず続ける。
「商品だけ消えて金が入らないなら、私も止めます。架空売上なら止めます。在庫が合わないなら止めます」
資料の数字を指す。
「でも、今のところ全部合っています」
「気味が悪いという理由だけでは止めないと?」
「少なくとも、営業を止める理由としては弱いと思います」
会議室の空気がさらに重くなった。
自分でも、よく社長の前でこんなことを言っているなと思う。
だが。
数字は数字だ。
しかも。
理由はそれだけではない。
北村は別の資料を手に取った。
「それと、もう一つあります」
「何だ?」
「今、東山店から来ている処理をこちらで止めた場合、向こうにいる人間の生存に関わる可能性があります」
さっきまでとは違う意味で、会議室が静かになった。
社長が少し身を乗り出す。
「生存?」
「はい」
北村は頷いた。
「何が起きているのかは分かりません。でも、東山店からは食品や飲料、日用品も発注されています」
電池やランタンだけではない。
食べる物。
飲む物。
生活に必要な物。
そういった商品も動いている。
「もし中村たちが、本当にどこかで東山店を拠点に生活しているなら」
北村は一度言葉を切った。
「こちらがシステムを止めることで、必要な物資まで届かなくなる可能性があります」
「本当に商品が届いている保証はないだろう」
役員の一人が言う。
「ありません」
北村は即答した。
「でも、納品処理は完了しています。在庫も実際に動いています。その後、同じ物について未着扱いの動きも出ていません」
少なくとも。
届いていないと考えるより、届いていると考えた方が辻褄は合う。
「今の状態で止めるのは、原因が分からない機械の電源を抜くようなものです」
北村は続けた。
「その先で何が動いているかも分からないのに」
誰もすぐには反論しなかった。
売上が入っている。
会社に損失が出ていない。
それも大きい。
だが、それ以上に。
この不可解なシステムが、中村たちへ物を届ける唯一の手段になっている可能性がある。
「正直、不気味なのは私も同じです」
北村は言う。
「でも、向こうで人が生きている可能性がある以上、止める方が怖いです」
その時。
それまで黙って聞いていた社長が口を開いた。
「北村君」
「はい」
「中村店長が動かしていると思うか?」
北村は少し考えた。
「証拠はありません」
「推測でいい」
「……可能性は高いと思っています」
「理由は?」
「発注が現場の動きだからです」
売れた物を補充する。
足りない物を追加する。
在庫がなければ、別の商品へ切り替える。
欠品している物は、ちゃんと欠品の影響を受ける。
必要とされる商品群も、少しずつ変わっている。
機械が勝手に数字を動かしているようには見えない。
「中村が売場を見ながら発注していると言われた方が、まだ納得できます」
「店舗がどこにあるかも分からないのに?」
「そこだけは全く納得できません」
社長が小さく息を吐いた。
一瞬だけ。
笑ったようにも見えた。
「分かった」
社長は資料を閉じた。
「現時点では止めない」
何人かの役員が社長を見る。
「社長」
「ただし条件付きだ」
売上。
入金。
在庫。
発注。
数字に明確な異常が出た場合は、即時確認。
東山店は引き続き注意店舗として扱う。
大きな処理は本部側で追跡する。
そして。
「生活に関わる依頼が来た場合も、むやみに止めるな」
社長が付け加えた。
北村は少しだけ肩の力を抜いた。
「はい」
「それと、北村君」
「はい」
「君が引き続き窓口をやってくれ」
一瞬。
聞き間違いかと思った。
「……私がですか?」
「東山店を一番分かっているだろう」
いや。
普通の東山店ならともかく。
消えてからの東山店は、誰にも分からない。
そう言いたかったが。
さすがにやめた。
「分かりました」
そう答えるしかない。
会議が終わり、廊下へ出る。
直属の上司が横を歩きながら言った。
「お前、社長相手にも押し通したな」
「金は入ってますから」
「またそれか」
「かなり強いんですよ」
「それを盾にするな」
「でも事実ですし」
上司がため息をつく。
「怖くないのか?」
「怖いですよ」
「じゃあ、何でそこまで止めたくないんだ」
北村は少しだけ足を緩めた。
「……止めて、向こうで誰か死んだら嫌じゃないですか」
上司は何も言わなかった。
北村自身も。
口に出してみて、ようやく分かった気がした。
売上。
発注。
入金。
それは会社にとっては数字だ。
でも今の北村にとっては。
どこかで東山店の人間がまだ生きているという、唯一の手掛かりでもあった。
自席へ戻る。
パソコンには、すでにいくつか通知が溜まっていた。
《注意店舗 処理アラート》
《カワダ電器 東山店》
東山店は、店舗消失直後から注意店舗として登録されている。
大きな売上変動。
発注。
入金。
異常な在庫移動。
通常なら流れて終わる処理でも、東山店に関係するものはアラートが上がる。
北村は通知を開く。
乾電池。
LEDランタン。
モバイルバッテリー。
ポータブル電源。
食品。
日用品。
そして今日は。
ソーラーパネルの動きが目立っている。
「……何売ってるんだよ」
商品だけ見れば、防災需要が急増したようにも見える。
だが、東山店周辺で災害が起きているわけではない。
そもそも。
その東山店自体がない。
販売実績を見る。
商品は実際に減っている。
売上も立っている。
金も入っている。
経営上だけ見れば。
何の問題もない。
むしろ優秀だ。
それが余計に気味が悪い。
さらに発注も続いている。
売れた商品を補充する。
足りなくなった物を追加する。
在庫がなければ、代わりになる物を選ぶ。
メーカー欠品なら、その影響も受ける。
適当に数字だけが動いているようには見えない。
どう見ても。
誰かが売場を見て、判断している。
北村の頭に、一人の顔が浮かぶ。
中村大祐。
東山店店長。
販売は強い。
現場判断も早い。
客を見ながら、その場で売り方を変えるタイプだ。
反面。
書類は遅い。
報告もたまに遅い。
趣味に走った売場を作る時は妙に熱が入る。
そして。
何か起きても最終的には、
『まあ、なんとかなる』
で押し切ろうとする。
「……中村、お前なのか?」
もちろん返事はない。
電話は繋がらない。
メールも届かない。
社内メッセージも反応なし。
なのに。
発注だけは来る。
売上も上がる。
金も入る。
「何で業務だけ続けてんだよ……」
思わず呟いた。
午後。
北村は、各部署から上がってきた東山店関連の処理報告を確認していた。
すべての細かい処理まで、リアルタイムで北村へ通知されるわけではない。
通常の補充。
社内供給依頼。
店内使用申請。
そういったものは各部署で処理され、後から報告書へまとめられる。
北村はページをめくる。
売上。
在庫。
発注。
入金。
そこまでは、ここ数日で見慣れてしまった。
慣れていい内容ではない。
さらにページをめくる。
そこで手が止まった。
「……制服?」
《社内供給依頼》
従業員用制服。
サイズと数量まで指定されている。
北村は数秒、文字を見つめた。
「制服送ってこいって言ってるの?」
店舗が消えてから。
誰とも連絡は取れていない。
それなのに。
制服だけは普通に要求してくる。
北村は物流へ確認を入れた。
「この制服の件なんだけど」
『はい』
「出した?」
『出しました』
「……出したの?」
『はい』
思わず聞き返した。
「東山店だよ?」
『はい』
「店、ないんだよ?」
『知ってます』
「じゃあ何で出したの?」
電話の向こうで少し間が空いた。
『いや、そんなことあるかとは思ったんですけど』
「思ったんだ」
『でも、依頼自体は普通に通ってたので』
「それで?」
『何も考えずに、現場は出しちゃったみたいです』
「何も考えずに出しちゃったの?」
『……はい』
北村は額を押さえた。
気持ちは分からなくもない。
社内システム上で正式な依頼が来た。
在庫もある。
処理も止まらない。
なら出す。
普段なら、それで終わる話だ。
問題は。
送り先の店舗が消えていることだけだ。
「で、その制服どうなった?」
『納品完了になってます』
「は?」
北村は報告書を見直した。
確かにそう書かれている。
《納品完了》
「誰が持っていったの?」
『配送記録はありません』
「受け取ったのは?」
『分かりません』
「でも納品完了?」
『はい』
意味が分からない。
いや。
ここ数日、意味が分からないことしか起きていない。
北村は椅子にもたれた。
「……これ、本当に届いてるんじゃないの?」
電話の向こうは黙った。
制服を欲しがる。
サイズまで指定する。
そして、納品完了。
それが中村たちではないなら。
逆に誰なんだ。
電話を切る。
報告書の続きを見る。
そして今度は。
別の意味で手が止まった。
《店内使用申請》
冷蔵庫。
大型ドラム式洗濯乾燥機。
ベッド。
マットレス。
北村はしばらく一覧を見つめた。
「……完全に住んでるな」
店舗の商品を、事務所や従業員用として店内使用すること自体は珍しくない。
冷蔵庫を休憩室で使う。
電子レンジを事務所へ回す。
季節家電を従業員スペースで使う。
必要なら申請を上げて、承認する。
そこまでは普通だ。
ただ。
ベッドとマットレスが何台も並ぶ申請は普通ではない。
さらに。
大型のドラム式洗濯乾燥機。
短期の休憩用ではない。
どう見ても。
生活するための物だ。
北村は申請内容を上からもう一度見る。
冷蔵庫。
洗濯乾燥機。
ベッド。
マットレス。
店舗が消えてから、東山店の人間とは誰一人連絡が取れていない。
それでも売上は上がる。
商品を発注する。
制服まで要求する。
そして今度は。
生活用品を店内使用しようとしている。
「……まあ、必要だよな」
北村は小さく呟いた。
もし中村たちが生きていて。
どこかで東山店そのものを拠点にしているなら。
冷蔵庫は必要だ。
洗濯機も必要だ。
寝る場所も必要になる。
むしろ。
今まで何で寝ていたのか気になるくらいだ。
北村は申請画面を開く。
冷蔵庫。
承認。
「まあ、いる」
大型ドラム式洗濯乾燥機。
承認。
「14人もいたら洗濯も大変だろ」
ベッド。
少しだけ手が止まる。
だが。
床や椅子で寝ている可能性を考えれば。
迷う理由はなかった。
承認。
マットレス。
承認。
気付けば、ほとんど止めることなく処理していた。
「……中村なら、どうせ置く場所まで決めてるんだろうな」
申請を出している時点で。
現場では、もう話が進んでいる気がする。
最後の承認を押す。
「生きてるなら、ちゃんと寝ろよ」
返事はない。
でも。
売上が上がる。
発注が来る。
制服を要求する。
冷蔵庫を使う。
洗濯機を置く。
ベッドを申請する。
その一つ一つが。
今の北村にとっては、東山店の人間がどこかで生きている証拠に見えていた。
直後。
画面右下に通知が出た。
《注意店舗 処理アラート》
《カワダ電器 東山店》
北村は一瞬身構える。
売上異常か。
在庫か。
入金か。
通知を開く。
《追加発注を受信しました》
数秒。
無言で画面を見る。
そして。
椅子に深く座り直した。
「……はいはい」
マウスへ手を伸ばす。
「今度は何が足りないんだよ、中村」
消えた店舗は。
今日も、営業を続けていた。




