第21話 今夜はバックヤードで
グループチャットに送ったメッセージを確認して、俺はスマホをポケットに入れた。
『今日はここまで。終わってない作業は明日に回していい』
『寝床作ったら、ご飯食べて休んでな!』
送った以上、俺もそろそろ仕事を終わらせるべきだ。
そう思いながら1階の奥へ向かうと、バックヤードから台車の音が聞こえてきた。
「まだやってるし」
中へ入る。
広いバックヤードには、昼間より明らかに空いたスペースができていた。
すぐには動かなそうな在庫や、明日の販売に影響しない商品は4階の予備倉庫へ移され、搬入口の前はかなり広く空いている。
渡辺が空の台車を押して戻ってきた。
「あ、店長。ちょうど終わります」
「終わるって送ったばっかりだからな」
「見ました」
「なら止まれ」
「これ戻したら終わりです」
「それならよし」
奥では鈴木さんが最後の荷物を壁際へ寄せていた。
「鈴木さんも、今日はそこまでで」
「おう。もうだいたい空いたぞ」
鈴木さんが手を止め、搬入口側を見る。
俺もつられてそちらへ目を向けた。
確かに広い。
今日の昼頃まで商品で埋まっていたとは思えないくらい、床が見えている。
「これだけありゃ、ある程度は入るだろ」
「ある程度、ですけどね」
今日の発注量を思い出す。
食品、日用品、電池、小型家電、モバイルバッテリー、ポータブル電源、おもちゃ。
売れた物を中心に、かなり多めに入れている。
本当に全部届くなら、このスペースでも足りるかどうか分からない。
ただ、届かなければもっと困る。
「来ると思います?」
渡辺が聞いた。
「来てくれないと困る」
「願望じゃないですか」
「今はそれしかない」
昨日は届いた。
今朝、確かに商品があった。
発注番号も一致していた。
だから今日も来る可能性は高い。
ただし、昨日は数量1。
今日は大量発注。
条件が違いすぎる。
「まあ、朝になれば分かるか」
俺がそう言うと、鈴木さんが少し考えてから口を開いた。
「店長」
「はい?」
「俺、今日ここで寝るわ」
「……ここで?」
「バックヤードで」
思わず周囲を見る。
商品棚。
台車。
搬入口。
どう見ても寝る場所ではない。
「なんでまた」
「納品だ」
鈴木さんが搬入口を指さす。
そこでやっと意味が分かった。
昨日の商品が届いた瞬間を、誰も見ていない。
搬入口は施錠されたまま。
防犯設備にも異常はなかった。
人もトラックも来ていないのに、朝には商品だけが置かれていた。
「ここにいりゃ、何か分かるかもしれねえからな」
「寝てたら分からなくないです?」
「なんか音すりゃ起きるだろ」
渡辺が苦笑する。
「鈴木さん、普通に寝そうですけど」
「お前よりは起きる」
「絶対俺の方が起きますって」
「じゃあ渡辺も寝るか?」
「いや、俺は会議室戻ります」
即答だった。
賢明だと思う。
俺はもう一度、空いた納品スペースを見る。
正直、俺も気になっていた。
商品はどうやって届いているのか。
何もない空間から突然現れるのか。
それとも、俺たちが見ていない時だけ何かが起きているのか。
もし何か分かるなら、確認しておきたい。
「……俺もここで寝ようかな」
鈴木さんがこっちを見る。
「店長も?」
「見たいんですよ。届くところ」
「じゃあ2人だな」
「見張りってほどじゃないですけどね」
「寝るけどな」
「それ言ったら終わりでしょ」
渡辺が笑う。
「じゃあ俺、先に戻りますね」
「ああ。ご飯食べて、寝床作って休んで」
「店長もですよ」
「分かってる」
渡辺を送り出してから、俺と鈴木さんは寝床の準備に取りかかった。
さすがに床へ直接寝る気はない。
使うことにした展示用のマットレスと寝具を、必要な分だけ運ぶ。
俺たちの分は2組。
寝具を使ったことは、加藤に記録を頼んだ。
「ここでいいか?」
鈴木さんがバックヤードの端を指す。
搬入口から少し離れているが、扉は見える。
もし納品時に何か起きれば、気づける可能性はある。
「いいんじゃないですか」
マットレスを並べ、毛布と枕を置く。
それだけで、さっきまで完全な作業場だった場所に、妙な生活感が生まれた。
「……なんか嫌ですね」
「何がです?」
「倉庫に寝床があるの」
「非常時っぽくていいじゃないですか」
「もう十分非常時ですよ」
確かに。
店ごと異世界に来ている時点で、これ以上の非常時もなかなかない。
寝床を作り終えると、一度バックヤードを出た。
夕食は3階の調理家電売場近くの休憩スペース。
今日も全員で食べる余裕はなく、それぞれ作業が終わった順に済ませている。
俺は冷凍食品とご飯を適当に選んだ。
贅沢を言える状況じゃない。
それでも、昼のカップラーメンよりはずっといい。
食べ終わったら、4階のシャワーへ向かう。
順番待ちは少しあったが、昨日よりは流れができている。
着替えを済ませ、さっぱりしてバックヤードへ戻る頃には、店内はかなり静かになっていた。
照明も必要最低限まで落としてある。
「店長」
マットレスの横で鈴木さんが待っていた。
その手には、小さめの箱がある。
見覚えがある。
「それ」
「720の方だ」
「開けるんですか?」
「山本さんには許可もらってる」
「いつの間に」
「寝床作る前にな」
抜け目がない。
昨日持ってきた1.8Lの大吟醸は、さすがに開けるのを止めた。
でも720mlの方なら、2人で少し飲むくらいはいいだろう。
少なくとも、山本の許可も出ている。
「見張りですよね?」
「飲み過ぎなきゃ大丈夫だろ」
「それはそうですけど」
紙コップを2つ用意する。
小さな折り畳みテーブルをマットレスの間に置いて、その上で大吟醸を開けた。
会社のバックヤードで、閉店後に店長と倉庫担当が日本酒。
元の世界なら、説明するのが面倒すぎる光景だ。
でも、俺自身は43歳のままだ。
見た目が若返っていようが、記憶も感覚も何も変わっていない。
だから酒を飲むことにも、特に違和感はなかった。
鈴木さんが俺の紙コップに少しだけ注いだ。
「じゃあ、初営業お疲れさん」
「ああ。お疲れさまでした」
紙コップを軽く合わせる。
1口飲む。
「……うま」
疲れているせいか、妙に身体に染みる。
鈴木さんも満足そうに飲んでいる。
「今日はすごかったな」
「すごかったですね」
「ほぼ1,000万だろ?」
「16,240円足りませんけどね」
「細かいなあ」
「木村と山本に言ってください」
2人で少し笑った。
売る予定なんてなかった。
朝の時点では、見るだけ、触るだけ、食べてもらうだけのつもりだった。
それが終わってみれば、来店者数1,024人。
売上9,983,760円。
こんな営業日になるなんて、誰が想像しただろう。
「店長、楽しそうだったぞ」
鈴木さんが言った。
「俺が?」
「接客してる時な」
今日のことを思い返す。
確かに忙しかった。
判断することも多かったし、失敗もした。
売り切れも出したし、朝に言ったことを客に突っ込まれて謝りにも行った。
それでも。
「いつもの店長だったぞ」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
異世界。
若返った身体。
意味の分からないスキル。
空には2つの月。
何もかもがおかしい。
それでも、客が来て、何に困っているのか聞いて、商品を提案する。
買ってもらった後のことまで考える。
そこだけは、元の世界と同じだった。
「……そう見えました?」
「見えたぞ」
「なら、よかった」
紙コップに残った酒を少し飲む。
しばらく2人とも黙っていた。
昼間はあれだけ騒がしかったバックヤードも、今は店内設備の低い作動音が聞こえるだけだ。
静かになると、余計なことまで考えてしまう。
「……帰れるんですかね」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
鈴木さんはすぐには答えなかった。
少しだけ酒を飲んでから、いつもの調子で言う。
「分かんねえな」
「ですよね」
妙に安心した。
大丈夫です。
きっと帰れます。
そんな根拠のない言葉より、その答えの方が今はありがたかった。
分からない。
それが今の事実だ。
今日で2日目。
店は動いた。
客も来た。
売上も立った。
食べる物もあって、寝る場所も少しずつ整い始めた。
明日の営業準備までしている。
この世界で困らないように動けば動くほど、ここで暮らす準備が整っていく。
それは安心できることのはずなのに、同時に少し怖かった。
「俺、店長だから」
口に出してから、自分でも変な言い出し方だと思った。
鈴木さんは何も言わず、続きを待っている。
「みんなには、なんとかなるって言わないといけないじゃないですか」
「まあ、そうだな」
「でも俺も、分かんないんですよ」
帰れるのか。
なぜ店ごとここへ来たのか。
どうして俺だけこんなに若返ったのか。
夢に出てきた創造神は何を知っているのか。
そして、明日の朝、本当に商品が届くのか。
考えれば考えるほど、分からないことばかりだった。
鈴木さんは紙コップを置く。
「分かんねえなら、分かんねえでいいんじゃねえか」
「店長がそれでいいです?」
「店長だって人間だろ」
俺は自分の手を見る。
昨日までとは明らかに違う、若い手だ。
「……見た目はだいぶ変わりましたけどね」
「中身は変わってねえだろ」
「まあ、それはそうですけど」
思わず笑った。
鈴木さんも笑う。
それだけで、胸の奥にあった重いものが少しだけ軽くなった気がした。
目の前には、今日必死に空けた納品スペースが広がっている。
明日の朝、ここに大量の商品が並んでいるのか。
それとも何もないのか。
今はまだ分からない。
「……頼むから来てくれよ」
俺は小さく呟いた。
「商品か?」
「商品です」
「帰る方法じゃねえのか?」
「それも来てほしいですけど」
「欲張りだな」
「店長なんで」
また少し笑う。
紙コップに残っていた酒を飲み切った。
もう1杯飲みたい気もしたが、やめておく。
今日は十分疲れているし、何か起きた時に起きられなければ、わざわざバックヤードで寝る意味がない。
大吟醸を片付けて、俺たちはそれぞれマットレスへ横になった。
照明を落とすと、バックヤードは一気に暗くなる。
搬入口の方をぼんやり眺めながら、耳を澄ませた。
何か起きれば、きっと分かる。
少なくとも、その時の俺は本気でそう思っていた。
「鈴木さん」
「なんだ?」
「物音したら、起こしてくださいね」
「店長もだぞ」
「もちろん……」
そう返したところまでは覚えている。
朝から動き続けた疲れと、少しだけ飲んだ酒。
その両方が一気に押し寄せてきて、さっきまで気になっていた搬入口すら、少しずつ視界から遠ざかっていく。
何かが起きる瞬間を見届けるはずだった俺の意識は、思っていたよりずっと簡単に途切れた。
鈴木の口調を統一させました




