第12話 今夜はここで
プレオープンの準備が一段落した頃には、すっかり夜になっていた。
一階のイベントスペースも、明日の朝に最終確認をすればいい程度には形になっている。
商品も並んだし、動線も作った。
ヒアリングする内容も決めた。
あとは本当に、村の人たちが来るかどうかだ。
「今日は、もうここまでにしよう」
俺が言うと、何人かが一斉に息を吐いた。
朝からずっと動きっぱなしだった。
異世界に転移した初日としては、あまりにも仕事をしすぎている気がする。
「晩飯にしよう」
田中がすぐ反応した。
「待ってました」
「そこだけ元気だな」
「腹減りました」
それは俺も同じだった。
昼におにぎりを食べたとはいえ、そこからまた何時間も動いている。
「三階の調理家電コーナー使おう」
山本がこちらを見る。
「実演機ですか?」
「せっかくあるんだから使おう」
三階には炊飯器、電子レンジ、ホットプレート、電気ケトルなんかの実演用スペースがある。
近くには休憩用のテーブルと椅子もある。
十四人で使うには少し詰める必要があるが、今夜くらいなら十分だ。
「今日は俺の奢りでいいよ」
一瞬、静かになった。
山本が眉を上げる。
「本当に?」
「うん」
「全部ですか?」
「常識の範囲でな!」
先に言っておく。
絶対に必要だ。
「食べたいもの選んでいい。
酒も、飲みたい人は飲んでいいよ」
伊藤が少し残念そうな顔をした。
「私はダメですよね」
「十九歳だからダメ」
「ですよね」
すぐ横で渡辺が口を挟む。
「俺、二十歳です」
「聞いてない」
「一応アピールです」
「飲みたいなら飲め」
「やった」
ただし、ここは異世界だ。
酔いつぶれて動けない人間が何人も出るのは困る。
「飲むのはいいけど、酔っ払うほど飲むなよ。
何があるか分からないからな」
田中が笑う。
「異世界で晩酌する時の注意事項ですね」
「そんな注意事項、人生で言うと思わなかったよ」
俺自身も一本くらいは飲みたい。
でも、店長まで完全に酔っ払うわけにはいかない。
「石井さんも、よかったら一緒にどうですか?」
俺が声をかけると、石井さんは少し遠慮したように笑った。
「いいんですか?」
「もちろんです。
今日は本当に助かりましたし」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
これで十四人全員だ。
売場から夕食になりそうなものを選んでいく。
レトルトカレー。
カップ麺。
缶詰。
スープ。
おつまみ。
お菓子。
飲み物。
昼に食べなかったパンも少し残っている。
炊飯器には米をセットした。
明日のプレオープンでも使う予定なので、今夜動かしておけば実演機の確認にもなる。
「カレー多くないです?」
吉田が並んだレトルトパウチを見る。
「簡単だから」
「明日の試食もカレーですよね?」
「カレーは正義だから」
「店長が食べたいだけじゃないですか?」
「それもある」
ホットプレートでは、簡単に焼けるものや缶詰を温める。
電子レンジも使い、電気ケトルではカップ麺用のお湯を沸かす。
普段なら商品の性能を客に見せるための実演スペースが、今夜は完全に臨時の社員食堂になっていた。
「メーカーの人に見られたら怒られますかね」
佐藤が言う。
「今来れるなら、ぜひ来てほしい」
「確かに」
地球から誰か来られるなら、多少怒られても歓迎だ。
それくらい、今は地球側の人間に会いたかった。
そんなことを考えているうちに、炊飯器から炊き上がりの音が鳴った。
蓋を開けると、湯気と一緒に炊きたての米の匂いが広がる。
「おお」
思わず声が出た。
いつもなら珍しくもなんともない。
でも、異世界で炊いた最初のご飯だと思うと、妙にありがたく感じる。
「じゃあ、食べよう」
それぞれが好きなものを取っていく。
俺は炊きたてのご飯に、温めたレトルトカレー。
田中はカップ麺とパン。
森はカレーに缶詰を追加している。
山本はパンとスープだった。
「統一感ないですね」
木村が笑う。
「家電量販店の売場で作れる晩飯だからな」
「でも豪華ですよ。
選び放題ですから」
それは確かにそうだった。
普段なら少し迷うようなものまで、今日は俺の奢りだ。
「だからって高いやつばっか選ぶなよ」
「もう遅いです」
田中の手元を見る。
少し高めの缶詰が二つある。
「返せ」
「店長の奢りって言ったじゃないですか!」
「常識の範囲って言った!」
笑いが起きる。
ようやく、本当にようやく、一日の緊張が少し抜けた気がした。
食事が始まってしばらくすると、山本が立ち上がった。
「シャワーも順番に回しましょう」
「そうだな」
四階のシャワーは連続60分使えて、10分ほど休ませればまた使える。
何人かずつ順番に上がれば、十四人でも問題なく回せる。
「最初、女性陣から行きます?」
吉田が聞く。
「その方がいいか」
「じゃあ数人ずつ行きます」
「時間だけ気をつけて」
食事を終えた人から順番に四階へ上がり、シャワーを浴びる。
戻ってくる時には、制服からジャージやTシャツに着替えていた。
それだけで、店員から急に合宿中の人たちみたいになる。
「なんか、一気に休日感出ましたね」
伊藤が言う。
「ここ職場だけどな」
「しかも異世界ですけど」
「そこも忘れてない」
しばらくすると、酒を飲む組もでき始めた。
ビール。
缶チューハイ。
ハイボール。
それぞれ好きなものを持ってくる。
俺も一本だけ開けた。
「乾杯します?」
田中が言う。
「何に?」
「異世界転移一日目?」
「縁起悪くない?」
「じゃあ、プレオープン前夜」
「そっちで」
紙コップや缶を軽く上げる。
「お疲れ」
「お疲れさまです」
「明日よろしく」
「乾杯」
十四人分の声が重なった。
異世界の家電量販店、その調理家電コーナーで晩酌。
たぶん、世界で俺たちしかやっていない。
そう思っていた時だった。
「店長」
鈴木が呼んだ。
「ん?」
見る。
鈴木の手には、一升瓶があった。
しかも、ラベルには大吟醸と書いてある。
「…………」
「これ、いいか?」
「待て待て待て待て!」
思わず立ち上がった。
「何でそれ持ってきた!?」
鈴木が不思議そうに瓶を見る。
「酒ならいいって」
「一升瓶とは言ってない!」
「みんなで飲めば」
「絶対ほとんど鈴木さんが飲むでしょ!」
周囲から笑いが起きる。
鈴木は酒が強い。
とにかく強い。
会社の飲み会でも、こっちが心配になるくらい普通の顔で飲み続ける人だ。
「大丈夫だろ」
「そのセリフ、酒強い人が一番言っちゃダメなやつ!」
山本が笑いながら瓶を見る。
「しかも大吟醸ですね」
「そうなんだよ!」
「店長の奢りですよね?」
「山本までそっち側に回るな!」
俺は一升瓶を取り上げた。
「今日はなし!」
鈴木が珍しく残念そうな顔をする。
「じゃあ何なら」
「缶一本か二本!」
「少なくねえか?」
「異世界初日!」
「……おう」
渋々。
本当に渋々、鈴木は一升瓶を元に戻しに行った。
田中が小声で言う。
「開けてたら全部いってましたね」
「絶対な」
「店長、危なかったですね」
「財布もな」
俺の奢りだ。
危ないところだった。
食事が落ち着いてくると、森が何か思いついたように立ち上がった。
「せっかくだし、何かやります?」
「何か?」
「ボードゲーム」
その言葉に、俺が即座に反応する。
「いいね」
山本がこっちを見る。
「店長、食いつくの早いですね」
「仕事終わったから」
「さっきまで疲れた顔してたのに」
「ボードゲームは別腹」
「食べ物みたいに言わないでください」
森が二階へ取りに行こうとする。
「何にします?」
少し考える。
「宝石の煌き」
山本がため息をつく。
「店長が好きなやつじゃないですか」
「悪い?」
「いえ。
予想通りです」
十四人全員で遊べるゲームじゃない。
だから、食べながら話している人、晩酌を続ける人、シャワーへ行く人、ボードゲームをする人と自然に分かれた。
森が箱を持って戻ってくる。
テーブルを少し片付けて、カードと宝石トークン、貴族タイルを並べる。
見慣れた光景だ。
「じゃあ四人で」
俺。
森。
田中。
あと一人。
「山本やる?」
「やります」
「意外」
「店長に勝ちたいので」
「理由が物騒」
ゲームが始まる。
最初は静かだったが、すぐにいつもの調子になった。
「それ取る?」
「取ります」
「そこ予約するの?」
「します」
「山本、絶対俺の邪魔してるよね」
「偶然です」
「嘘つけ」
いつもの会話。
いつものゲーム。
いつものスタッフ。
窓の外さえ見なければ、本当に普段の閉店後みたいだった。
田中がカードを取りながら言う。
「なんか変な感じですね」
「何が?」
「朝、異世界に来たんですよね」
「来たな」
「今、カレー食って酒飲んで宝石の煌きやってますよ」
「やってるな」
「適応早すぎません?」
俺は宝石トークンを取りながら答える。
「何もしないで震えてても帰れないだろ」
怖くないわけじゃない。
不安がないわけでもない。
家に帰りたいし、明日になったら元の場所へ戻っていてほしいとも思う。
それでも、十四人でいる。
飯もある。
水もある。
電気もある。
今夜寝る場所も作った。
だったら、飯を食って、風呂に入って、少し遊んで寝る。
今夜くらい、笑ってもいいだろう。
「店長らしいですね」
田中が言う。
「褒めてる?」
「たぶん」
その時、山本の声で現実に戻された。
「店長」
「ん?」
「これで終わりです」
見る。
山本の前には15点。
「…………」
「勝ちました」
「え?」
森が笑う。
「店長、しゃべりすぎです」
「いや待って。
今のなし」
「なしになりません」
「もう一回」
「店長、明日プレオープンですよ」
山本が勝ち誇った顔をしている。
悔しい。
ものすごく悔しい。
「もう一回だけ」
「ダメです」
「なんで!」
「シャワー行ってください」
「…………はい」
完全に負けた。
俺は空いた缶を片付けて、四階へ向かった。
シャワーを浴び、売場から出した新しいTシャツとジャージに着替える。
制服じゃない自分で店内を歩くのは、妙な感じがした。
四階の会議室へ戻ると、床には毛布が並んでいる。
何人かはもう横になっていた。
「店長、電気消します?」
田中が聞く。
「まだ起きてる人いる?」
「俺は大丈夫です」
「じゃあ少し暗くしよう」
照明を落とす。
完全には消さず、最低限だけ残した。
俺も毛布の上に横になる。
当然、床なので硬い。
天井は見慣れた会社の会議室だった。
なのに、その建物がある場所は地球じゃない。
今日一日だけで、いろんなことがありすぎた。
店ごと異世界に来た。
十八歳になった。
ステータスが出た。
売上目標まで出た。
異世界の女の子と話して、勢いで明日から営業すると宣言した。
その結果、プレオープンの準備までして、今はスタッフと同じ会議室で寝ようとしている。
改めて考えると、意味が分からない。
家じゃない。
自分のベッドでもない。
でも、今夜はここで寝るしかない。
隣から田中の声がした。
「店長」
「ん?」
「明日、客来ますかね」
「分からん」
「来なかったら?」
「その時考える」
「店長、そればっかですね」
「まあ、なんとかなる」
いつもの言葉が出た。
田中が少し笑う。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
目を閉じる。
異世界生活、一日目が、ようやく終わる。
今夜はここで。
明日のことは、明日考えよう。
鈴木の口調を統一させました




