第85話 コカトリス石化事件
教皇サンセリテと聖女ソフィアは、『シャルロット薬舗』の店内を見学していた。
薬草の保管方法。
調合器具の配置。
患者一人ひとりに合わせて整理された薬棚。
サンセリテは感心したように頷く。
「とてもよく工夫されていますね」
「ありがとうございます」
シャルロットが微笑んだ、その時だった。
勢いよく扉が開く。
「シャルロット先生!」
「助けてくれ!」
銀ランク冒険者ロシェが仲間たちと共に飛び込んできた。
担架には、一人の冒険者が横たわっている。
右腕から肩にかけて、灰色の石へと変わり始めていた。
「ロシェさん!」
シャルロットはすぐに駆け寄る。
ソレイユは慌てて診察台の周りを片付けた。
「こちらへ!」
ルークは毛布と水を運び、リュンヌは担架を支えながら患者を診察台へ移す。
エレナは店内にいた巡礼者たちへ静かに声を掛けた。
「皆、少し下がるのじゃ」
「診療の邪魔にならぬよう頼む」
仲間たちの手際の良い連携によって、店内は瞬く間に診療の場へと変わった。
「何があったのですか?」
シャルロットが尋ねると、ロシェは荒い息を整えながら答えた。
「討伐依頼で森へ向かった」
「そこで、本来この辺りにはいるはずのない魔物と遭遇したんだ」
「コカトリスだ」
店内に緊張が走る。
コカトリス。
雄鶏の頭と翼、蛇の尾を持つ高位魔物。
牙や爪には石化毒と呼ばれる特殊な毒が宿っており、体内へ入り込むと肉体は少しずつ石へと変わっていく。
進行すれば全身が完全に石化し、命を落とすことさえある恐ろしい魔物だった。
「私が診ます」
ソフィアはすぐに患者の傍らへ膝をつく。
高位光魔法。
柔らかな光が石化した腕を包み込む。
しかし、石化はわずかに和らぐだけで、完全には解除できない。
「そんな……」
ソフィアの額へ汗が滲む。
「石化毒が深く浸透しています……」
焦りが表情に浮かぶ。
その様子を見たシャルロットは、穏やかな声で口を開いた。
「焦らなくて大丈夫です」
ソフィアが顔を上げる。
「魔法は、急ぐほど乱れます」
その言葉を聞いた瞬間。
サンセリテの瞳が大きく揺れた。
(その言葉は……)
百年前。
まだ若き魔術師だった頃。
失敗を繰り返し、焦る自分へ。
ミュゲが優しく微笑みながら掛けてくれた言葉。
『焦らなくて大丈夫です』
『魔法は、急ぐほど乱れます』
一言一句、違わなかった。
シャルロットは落ち着いた様子で薬箱を開き、数種類の薬草を素早く調合する。
「まずは石化毒を中和します」
完成した薬を患者へ飲ませると、灰色だった肌が少しずつ元の色を取り戻し始めた。
「これで大丈夫です」
シャルロットは患部へそっと手を添える。
優しく傷をいたわるような、何気ない手当だった。
次の瞬間。
石化していた腕は音もなく元の姿へ戻り、冒険者はゆっくりと目を開いた。
「助かった……」
店内に安堵の空気が広がる。
ソフィアは目を見開いたまま、その光景を見つめていた。
そして、その場でただ一人。
サンセリテだけは見逃さなかった。
患部へ触れた、その一瞬。
ごく僅かに溢れた淡い光。
(……今のは)
(間違いありません)
(光魔法……)
それも、極めて無駄がなく、自然に行使された治癒。
まるで呼吸をするかのように。
百五十年前、ミュゲが当たり前のように使っていた技そのものだった。
さらに、店先へ横たえられたコカトリスの亡骸へ視線を向ける。
本来、この地方には決して生息しない高位魔物。
(……ここまで、封印の綻びの影響が及び始めているというのですか)
百年もの間、教皇として守り続けてきた魔王因子の封印。
その均衡が、静かに崩れ始めている。
教皇の胸には、新たな危機への警鐘と、一人の少女への確信にも似た想いが静かに芽生え始めていた。




