第82話 大聖女生誕祭
春の訪れを告げる朝。
フルールの街は、一年で最も華やかな日を迎えていた。
今日は、大聖女生誕祭。
百五十年前、この街で生まれ、世界を救った大聖女ミュゲを称える、一年に一度の祭典である。
街路には色とりどりの花々が飾られ、建物の窓辺には白い花飾りが揺れていた。
広場では楽師たちが軽やかな音楽を奏で、露店からは焼きたてのパンや甘い菓子の香りが漂ってくる。
巡礼者。
商人。
冒険者。
近隣の村々から訪れた家族連れ。
世界各地から集まった人々の笑顔で、普段は穏やかなフルールの街は活気に満ちあふれていた。
「すごい人ですね」
シャルロットは街を見渡し、穏やかに微笑む。
ソレイユも嬉しそうに頷いた。
「毎年こうなんです!」
「大聖女生誕祭は、この街で一番大きなお祭りなんですよ!」
リュンヌは露店を見回しながら目を輝かせる。
「美味しそうなお店がいっぱい!」
エレナも感心したように周囲を見渡した。
「人間の祭りも賑やかでよいものじゃな」
アマリリスは宙をくるりと一回転する。
「楽しそう!」
ルークは苦笑しながら皆を見渡した。
「お祭りもいいけど、まずはお仕事だよ」
「あっ、そうでした!」
ソレイユは慌てて『シャルロット薬舗』へ駆け込んだ。
店先には風邪薬や胃薬、傷薬をはじめ、旅人向けの携帯薬がきれいに並べられている。
さらに、この日のために用意した薬湯も大きな鍋で湯気を立てていた。
「身体が温まる薬湯ですよー!」
「旅のお疲れを癒やしませんか!」
ソレイユの元気な呼び声に、多くの巡礼者が足を止める。
シャルロットも笑顔で薬を手渡していく。
「どうぞ、お大事になさってください」
「ありがとうございます」
「おかげで今年も安心して巡礼できます」
そんな温かなやり取りが、一日中絶えることはなかった。
ふと、シャルロットは広場の中央へ目を向ける。
そこには花々に囲まれた大聖女ミュゲの石像が建ち、多くの人々が静かに祈りを捧げていた。
「大聖女様、ありがとうございます」
「今年も家族が健康で過ごせますように」
「世界が平和でありますように」
一人、また一人と花が供えられていく。
その光景を見つめながら、シャルロットは少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
(皆さん……)
(そんなに立派な人ではなかったのですよ)
胸の奥に、懐かしい日々が静かによみがえる。
世界を救うために旅を続けた日々。
仲間たちと笑い合った日々。
苦しい戦いの中でも、未来を信じ続けた日々。
それらは今では、遠い昔の思い出となっていた。
けれど、目の前には人々の笑顔がある。
子どもたちが駆け回り、家族が笑い合い、旅人たちが安心して祈りを捧げている。
その穏やかな光景を見ているだけで、胸が温かくなった。
(……よかった)
(あの日、皆で守り抜いた世界は、今もこんなにも平和なのですね)
シャルロットは静かに目を細め、小さく微笑んだ。
その笑顔の理由を知る者は、まだ誰もいなかった。




