第76話 本当の未練
翌朝。
朝食の席。
アマリリスは、どこか晴れやかな表情で皆を見渡していた。
「昨日、夢を見たの」
その一言に、食卓の空気が静まる。
アマリリスは、ゆっくりと自らの過去を語り始めた。
幼い頃から病弱で、一生のほとんどをベッドの上で過ごしたこと。
流行病に倒れ、若くして命を落としたこと。
恋を知らないまま人生を終えたこと。
窓越しに外の世界を眺めながら、楽しそうに遊ぶ子どもたちを羨ましく思っていたこと。
忙しい両親とは、顔を合わせる時間もほとんどなかった。
世話をしてくれたのは、いつも使用人たちだった。
そして昨夜の夢で、忘れていた記憶を思い出した。
恋を知らなかったことも、確かに心残りだった。
けれど――。
本当の未練は、それではなかった。
「家族と過ごす時間が、ほとんどなかったこと」
一緒に食卓を囲み。
一緒に笑い。
何気ない話をする。
そんな当たり前の日常を、一度も知らないまま人生を終えてしまった。
アマリリスの瞳から、一筋の涙がこぼれる。
「でもね」
「シャルロットちゃんたちのおかげで、その夢はもう叶っちゃってた」
「みんなと暮らして」
「一緒に食卓を囲んで」
「笑って」
「毎日おしゃべりして」
「私、家族って温かいものなんだって初めて知れた」
涙を拭ったアマリリスは、穏やかな笑みを浮かべた。
「だからね」
「私、幸せだよ」
その一言に、皆の目から再び涙が溢れる。
アマリリスは少しだけ寂しそうに笑った。
「でも……」
「本当の私は、とっくに死んじゃってる」
「本当なら、この世界にはもういないはずの存在なんだよね」
誰も言葉を返せなかった。
アマリリスは天井を見上げ、小さく息をつく。
「だから、そろそろ行かなきゃ」
「きっと、お父さんとお母さんも待ってると思うから」
最初に堪えきれなくなったのはソレイユだった。
「アマリリスさん……!」
「本当は、ずっと一緒にいたいです……!」
「でも……」
「アマリリスさんが安心して旅立てるなら……」
「僕、笑って送り出します」
涙を流しながら、精一杯笑顔を作る。
ルークも静かに目を伏せた。
「寂しいよ」
「でも、それが君の願いなら」
「僕たちは送り出さなきゃいけない」
震える声でそう告げる。
リュンヌは顔を覆い、大粒の涙を流した。
「やだよぉ……」
「アマリリスちゃんがいなくなるなんて……」
「でも……幸せになれるなら……」
最後まで言葉にならず、嗚咽だけが漏れた。
エレナも静かに目を閉じる。
長い時を生きてきた竜である彼女の頬にも、一筋の涙が流れた。
「別れとは、何度経験しても慣れるものではない」
「じゃが、大切な者の幸せを願うのが家族じゃ」
「どうか、安らかに眠るのじゃ」
シャルロットは静かに歩み寄る。
そして、アマリリスをそっと抱き締めた。
「アマリリスさん」
「あなたと家族になれて、本当に幸せでした」
「ありがとうございました」
「どうか、安心して旅立ってください」
アマリリスも涙を流しながら抱き締め返す。
「ありがとう」
「みんな、本当にありがとう」
「私、この家族に出会えて幸せだった」
やがてアマリリスは、皆からゆっくりと離れた。
涙を拭い、晴れやかな笑顔を浮かべる。
「みんなのおかげで、この世の未練はなくなった」
「これで安心して、他界できる」
部屋は静寂に包まれた。
誰も言葉を発しない。
誰も動かない。
皆が、最期の瞬間を見届けようとしていた。
静かな時間だけが流れる。
一秒。
二秒。
三秒――。
しかし。
何も起こらなかった。
「……あれ?」
アマリリスは不思議そうに首を傾げる。
皆も、おそるおそる顔を上げる。
「……あれ?」
しばらく考え込んでいたアマリリスは、照れくさそうにはにかんだ。
「えへへ……」
「新しい未練、できちゃった」
「え?」
皆が同時に声を上げる。
アマリリスは少し恥ずかしそうに笑う。
「みんなと、もっと一緒にいたい」
「もう少しだけ、この家族と暮らしていたい」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間。
「よかったぁーー!」
ソレイユが泣きながら飛びついた。
リュンヌも涙を流したまま抱きつき、ルークは大きく安堵の息をつく。
エレナも目元を拭いながら笑った。
「まったく、お主らしいわ」
シャルロットは涙を浮かべたまま微笑み、そっと手を差し伸べる。
「これからも、私たちの家族でいてください」
アマリリスは満面の笑みで頷いた。
「うん!」
こうしてアマリリスは、自分がずっと求め続けていた本当の居場所を見つけるのだった。




