第40話 囚われた証人
第一公判が終わった、その日の夕方。
フルール中央医療院。
診療を終えた院内は静まり返り、人影もほとんどなくなっていた。
ジュリアンは一人、長い廊下を歩いていた。
その足取りは重い。
しかし、その瞳には確かな決意が宿っていた。
第一公判で、自分は偽証した。
罪のないシャルロットを、自らの証言で苦しめてしまった。
法廷で最後まで自分を責めることなく、穏やかな眼差しを向けてくれたシャルロットの姿が、何度も脳裏によみがえる。
「……もう終わりにしよう」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
「第二公判では、真実を話そう」
そう決意したジュリアンは、院長室の扉を叩いた。
「失礼します」
「入りなさい」
部屋の中では、院長テオドールとラ・フィオール調薬院院長ルシアンが待っていた。
「どうした」
ジュリアンは深く頭を下げる。
「院長」
「お願いがあります」
「第二公判では、真実を証言させてください」
その一言で、院長室の空気が凍りついた。
テオドールは無言のまま引き出しを開き、一冊の古い書類を机へ置く。
「覚えているな」
「三年前の診療ミスだ」
ジュリアンの顔から血の気が引いた。
三年前。
新人医師だった頃、診断を誤り、一人の患者を死なせかけた。
恩師が責任を背負い、必死の処置によって患者は一命を取り留めた。
事件は表沙汰になることなく収められたが、その記録だけは密かに残されていた。
医師として再び歩む機会を与えられた、決して忘れることのできない過去だった。
テオドールは冷たい声で言った。
「これを王国医師会へ提出すれば、お前は医師免許を失う」
「二度と医師として働くことはできん」
ジュリアンは拳を強く握り締める。
「恩師も監督責任を問われる」
「長年築き上げてきた名誉は失われ、この街では生きていけまい」
さらに、追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「母親は病弱だったな」
「妹も、ようやく就職が決まったそうじゃないか」
「やめてください……」
声が震える。
しかし、テオドールは容赦しなかった。
「お前が真実を話せば、お前だけでは済まない」
「恩師も」
「母親も」
「妹も」
「すべてを失う」
「その責任は、すべてお前が背負うことになる」
院長室は静まり返った。
ジュリアンは何も言い返せない。
逃げ道は、どこにもなかった。
長い沈黙の後。
テオドールは表情を和らげ、穏やかな笑みを浮かべる。
「……だが、私はお前を見捨てるつもりはない」
ジュリアンはゆっくり顔を上げた。
「昔、お前は話していたな」
「いつか王都ルミエールの『ルミエール王立中央医療院』で働き、一流の医師になりたい、と」
ジュリアンは息を呑んだ。
それは幼い頃から抱き続けてきた夢だった。
王国最高峰の医療院。
全国から優秀な医師が集う、憧れの場所。
いつかそこで学び、多くの命を救う医師になる。
それが、彼の夢だった。
テオドールは静かに続ける。
「事件が終われば、私の名で推薦状を書こう」
「多少ではあるが、あちらにも伝手がある」
「お前ほど優秀な医師なら、必ず歓迎される」
ルシアンも穏やかに頷いた。
「お前の才能は、このような辺境で終わる器ではない」
「未来は、お前自身の手で掴めばよい」
テオドールは最後に静かに言った。
「第二公判でも、第一公判と同じ証言をするだけでいい」
「そうすれば、この書類は永久に封印しよう」
「恩師も」
「家族も」
「そして、お前の夢も守られる」
その言葉は希望ではなかった。
逃げ場を完全に塞がれた者へ差し出された、甘い鎖だった。
ジュリアンは俯き、小さく肩を震わせる。
医師としての誇り。
恩師への恩。
家族の未来。
そして、幼い頃から抱き続けた夢。
そのすべてを天秤に掛けられ、心は少しずつ折れていく。
法廷で自分を見つめていたシャルロットの穏やかな笑顔が、再び脳裏によぎった。
その笑顔を裏切ることになると分かっていても――。
もう、自分には守るべきものが多すぎた。
「……分かりました」
かすれた声が院長室に響く。
その返事を聞いたテオドールは、満足そうに小さく頷いた。
こうしてジュリアンは、第二公判でも偽証することを受け入れてしまう。
良心を押し殺し、深い罪悪感を胸に抱えたまま――。




