第33話 忍び寄る影
フルールの街は、今日も穏やかな朝を迎えていた。
「シャルロットさん、いつもの咳止めをお願いします」
「先生、この前のお薬、本当によく効きました」
「今日は腰痛薬をお願いできますか」
『シャルロット薬舗』の店内には、開店直後から多くの患者が訪れていた。
受付ではソレイユが笑顔で患者を迎え、ルークは棚に並ぶ薬の在庫を確認している。
リュンヌは大きな薬箱を軽々と運び、エレナは待合室で子どもたちの遊び相手をしていた。
そしてアマリリスは、ふわりと壁をすり抜けながら店の周囲を見回っていた。
「異常なーし!」
元気よく戻ってくるアマリリスに、ソレイユが笑顔を向ける。
「ありがとう、アマリリスさん」
「えへへ!」
「幽霊だから、こういう見回りは得意なんだ!」
忙しくも温かな空気が店内を包んでいる。
「では、次の方どうぞ」
白衣姿のシャルロットは、一人ひとりの症状を丁寧に聞き取り、その場で薬を調合していく。
薬を受け取った患者たちは皆、安心したような笑顔で店を後にした。
「やっぱりシャルロット先生の薬が一番だ」
「安いのによく効くから助かるよ」
「もう中央医療院へ行くことはなくなったな」
そんな評判は日に日に広まり、『シャルロット薬舗』はフルール屈指の人気薬舗へと成長していた。
その一方で、この繁盛を快く思わない者たちもいた。
◇
フルール中央医療院。
院長室では、院長テオドールが収支報告書を睨みつけていた。
「また患者数が減ったのか」
苛立ちを隠せず、書類を机へ叩きつける。
向かいに座る老舗『ラ・フィオール調薬院』院長ルシアンも、険しい表情で頷いた。
「調薬院への注文も激減しております」
「街の薬の需要が、そのままシャルロット薬舗へ流れております」
以前なら、薬が必要になれば中央医療院かラ・フィオール調薬院を訪れるのが当たり前だった。
しかし今では違う。
軽い病気や怪我であれば、多くの住民が真っ先にシャルロット薬舗を訪れる。
「たかが小娘一人に、ここまで追い詰められるとは……」
テオドールは奥歯を噛み締めた。
「このままでは医療院の経営も立ち行かなくなるでしょう」
ルシアンの言葉に、重苦しい沈黙が流れる。
その時だった。
院長室の扉が勢いよく開かれた。
「院長、大変です!」
飛び込んできた看護師は、血の気を失った顔で叫ぶ。
「辺境伯家のご嫡男様が急変しました!」
「何だと!」
二人は同時に立ち上がった。
「服用されたポーションから毒草反応が出ています!」
その一言で、二人の顔色は一変する。
慌てて治療室へ駆け込むと、辺境伯エリアスの嫡男が苦しげに呼吸を繰り返し、医師たちが必死に処置を続けていた。
「解毒剤を急げ!」
「脈が弱い!」
「急げ! まだ間に合う!」
怒号が飛び交う中、懸命な治療が続く。
解毒剤が投与され、長い時間をかけて容体はようやく安定した。
しかし――。
嫡男は意識を取り戻すことなく、深い昏睡状態に陥っていた。
命は繋ぎ止めた。
だが、いつ目を覚ますのか、それとも二度と目覚めないのか。
それは誰にも分からなかった。
そして、その傍らに残された一本のポーションが、新たな悲劇の始まりを告げていた。
調査を行った薬師が、震える声で報告する。
「……毒草が混入しています」
室内は静まり返った。
中央医療院で調製したポーションに毒草が混入していた。
もしこの事実が公になれば、医療院の信用は地に落ちる。
薬を納めたラ・フィオール調薬院も責任を免れない。
長年積み重ねてきた信頼は、一瞬で崩れ去るだろう。
院長室へ戻ったテオドールは、力なく椅子へ腰を下ろした。
「……終わったな」
ルシアンも青ざめた表情で俯く。
「被害者は辺境伯家のご嫡男です」
「この事件は必ず王都まで報告されるでしょう」
再び重い沈黙が流れる。
やがてテオドールは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、医師としての良心はもはや残っていなかった。
「終わらせるわけにはいかん」
「院長……?」
「事故を、他人へ背負わせればいい」
ルシアンは息を呑む。
「まさか……」
テオドールは静かに口元を歪めた。
「街中が信頼している薬舗があるだろう」
「……シャルロット薬舗」
「証拠さえ揃えば、人は真実ではなく証拠を信じる」
その低い声には、底知れぬ悪意が滲んでいた。
二人は静かに視線を交わす。
そしてその瞬間。
シャルロットを陥れる陰謀が、誰にも知られることなく静かに動き始めたのだった。




