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第10話 婚約破棄

 成人の儀から一日が過ぎた。


 メシャント伯爵邸は、重苦しい空気に包まれていた。


 昨日まで聞こえていた使用人たちの笑い声は消え、屋敷全体が静まり返っている。


 そんな中、シャルロットは応接室へ呼ばれていた。


「失礼いたします」


 静かに扉を開ける。


 そこには、一人の青年が座っていた。


 ギヨーム・ド・モンテール。


 モンテール伯爵家の嫡男。


 そして、シャルロットの婚約者だった。


 幼い頃から婚約を結び、将来は夫婦となることを約束した相手。


 互いに支え合い、同じ未来を歩むと信じてきた人だった。


「来てくださったのですね」


 シャルロットは安堵したように微笑む。


 きっと励ましに来てくれたのだ。


 魔法がなくても大丈夫だと。


 一緒に頑張ろうと言ってくれるのだと。


 そう信じていた。


 しかし。


 ギヨームはシャルロットと目を合わせようとしなかった。


 部屋には重い沈黙だけが流れる。


 やがて彼は、小さく息を吐いた。


「……今日は、君に伝えなければならないことがある」


 その声は、ひどく重かった。


 シャルロットは静かに頷く。


「はい」


 ギヨームは膝の上で拳を強く握り締める。


 何度も言葉を飲み込み、ようやく決意したように顔を上げた。


「シャルロット」


「僕たちの婚約を……解消してほしい」


 一瞬。


 意味が理解できなかった。


「……え?」


 思わず聞き返す。


 ギヨームは苦しそうに目を伏せる。


「成人の儀の結果は、もう王都中へ知れ渡っている」


「父上も母上も、この婚約を続けることは認められないと言った」


 シャルロットの唇が小さく震えた。


「私は……」


「魔法が使えなくても努力します」


「きっと、お役に立てるようになります」


 必死に言葉を紡ぐ。


 だが、ギヨームは静かに首を横へ振った。


「君の努力を疑っているわけじゃない」


「君が悪いわけでもない」


「だけど……」


 言葉が続かない。


 苦しそうに目を閉じる。


 そして、ようやく絞り出すように告げた。


「魔法の使えない君に、伯爵家の未来は任せられない」


 その一言は。


 刃よりも鋭くシャルロットの胸を切り裂いた。


 努力では覆せない現実。


 想いだけでは変えられない運命。


 そのすべてを突きつけられた気がした。


「……そう、ですか」


 シャルロットは俯く。


 視界が滲む。


 けれど泣いてはいけないと思った。


 泣いてしまえば、本当に終わってしまう気がしたから。


 ギヨームは立ち上がる。


 その顔は苦しみに満ちていた。


「ごめん」


「僕には……家の決定に逆らう勇気がなかった」


 深く頭を下げる。


 その姿は、どこか泣き出しそうにも見えた。


 だが。


 その言葉はシャルロットを救わない。


 婚約が戻るわけでもない。


 失われた未来が返ってくるわけでもない。


 ギヨームは静かに扉へ向かう。


 一度だけ振り返った。


 何かを言いたそうに唇が動く。


 しかし結局、何も言えなかった。


 扉が開く。


 そして静かに閉じられた。


 応接室には、シャルロット一人だけが残される。


 しばらく、何も考えられなかった。


 幼い頃から当たり前のように信じてきた未来。


 いつか結婚し、家族となり、共に歩んでいく人生。


 その夢は、あまりにもあっけなく終わりを迎えた。


「終わって……しまったんですね」


 ぽつりと漏れた言葉は、静かな部屋へ虚しく消えていく。


 窓の外では春風が花々を揺らし、小鳥たちが楽しげにさえずっていた。


 世界は昨日と何一つ変わらない。


 けれど。


 シャルロットの未来だけが、音を立てて崩れ去っていく。


 婚約者との未来。


 夢見ていた幸せな家庭。


 そのすべては、たった一日で手の届かないものとなってしまった。


 しかし。


 それはまだ始まりに過ぎなかった。


 翌日、シャルロットを待ち受けていたのは――。


 さらに残酷な運命だった。

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