第9話 崩れゆく日常
成人の儀は、静かなざわめきの中で幕を閉じた。
大神殿を後にするシャルロットへ向けられるのは、先ほどまでの期待に満ちた眼差しではなかった。
驚き。
困惑。
そして、失望。
「本当に魔法なしだったのか……」
「測定水晶が反応しないなんて聞いたことがないぞ」
「まさか、メシャント伯爵家の令嬢が……」
貴族たちは小声で囁き合い、その視線は痛いほどシャルロットへ突き刺さる。
誰もあからさまに嘲笑う者はいない。
だが、その沈黙こそが何より残酷だった。
父オンブラージュは終始無言だった。
母フロワドも俯いたまま、娘と目を合わせようとはしない。
兄姉たちも何も言わず、それぞれ馬車へ乗り込んでいく。
唯一、弟ルークだけが心配そうに振り返った。
「姉さん……」
その小さな声も、馬車の扉が閉まる音にかき消された。
帰り道。
車輪が石畳を転がる音だけが、静かな車内へ響いている。
誰一人として口を開かなかった。
シャルロットは何度も父の方を見た。
何か言ってほしかった。
「大丈夫だ」と。
「気にするな」と。
たった一言でよかった。
しかし、その願いが叶うことはなかった。
やがて馬車は伯爵邸へ到着する。
「お帰りなさいませ」
玄関では使用人たちが一斉に頭を下げた。
だが、いつもと何かが違う。
笑顔がない。
誰もシャルロットの顔を見ようとしない。
目が合えば、気まずそうに視線を逸らしてしまう。
それはほんの些細な変化だった。
けれど、その小さな違和感が胸へ重くのしかかった。
屋敷の廊下を歩く。
普段なら「お嬢様、お疲れさまでした」と笑顔で声を掛けてくれる使用人たちも、今日は静かに一礼するだけだった。
屋敷全体が重苦しい空気に包まれている。
シャルロットは足早に自室へ戻った。
椅子へ腰を下ろし、ぼんやりと窓の外を眺める。
庭では庭師が花壇の手入れをしていた。
小鳥が枝から枝へ飛び移り、風が花々を優しく揺らしている。
世界は何も変わっていない。
変わってしまったのは、自分だけだった。
「どうして……」
思わず声が漏れる。
魔法がない。
ただ、それだけで。
これまで当たり前だった日常が、こんなにも簡単に変わってしまうのだろうか。
その時だった。
廊下の向こうから、使用人たちの小さな話し声が聞こえてくる。
「伯爵様も、お気の毒に……」
「名門メシャント家で、まさか魔法なしの令嬢が生まれるなんて……」
「これから、どうなるのでしょうね……」
悪口ではなかった。
主人を案じる声だった。
それでも、その一言一言がシャルロットの胸へ深く突き刺さる。
聞こえないふりをしても、耳から離れない。
シャルロットは静かに目を閉じた。
胸の奥で、小さな不安が少しずつ大きくなっていく。
まだ、この時の彼女は知らなかった。
今日失ったものは、魔法の才能への期待だけではない。
家族との絆も。
婚約者との未来も。
この屋敷で過ごす居場所さえも。
そのすべてが、静かに崩れ始めていたことを。
そして翌日、自らの運命を決定づける残酷な宣告が待ち受けていることを――。




