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第104話 救う為の一太刀

 封印の間。


 サンセリテは静かに魔王因子へ手を伸ばした。


「教皇様!」


 ソフィアが叫ぶ。


 だが、サンセリテは振り返らない。


 百年間。


 追い求め続けた答えが、今ここにあった。


 その指先が魔王因子へ触れる。


 次の瞬間。


 黒い結晶は液体のように溶け、サンセリテの身体へ吸い込まれていった。


「っ――!」


 苦悶の表情が浮かぶ。


 轟音。


 祭壇が激しく揺れた。


 黒い魔力が嵐のように吹き荒れる。


 封印の間そのものが悲鳴を上げるように震えていた。


「教皇様!」


 ソフィアが駆け寄ろうとする。


 しかし、サンセリテは片手を上げた。


「来ては……いけません……!」


 黒い魔力が全身を覆う。


 瞳は深紅に染まり。


 膨大な魔素が周囲へ溢れ出していく。


 魔王因子。


 世界を滅亡寸前まで追い込んだ災厄。


 その力が今、サンセリテを侵食していた。


「シャル……ロット……」


 サンセリテが苦しげに呟く。


「今です……」


「魔王因子が……不安定なうちに……」


 だが。


 シャルロットは動けなかった。


「できません……」


 震える声が漏れる。


「そんなこと……」


「できるわけありません……!」


 百年間。


 たった一人で使命を守り続けてきた人だった。


 大切な旧友だった。


 恩人だった。


 その人を傷付けることなど、できるはずがない。


 サンセリテは苦しみながらも微笑んだ。


「やはり……そうでしたか……」


「だから祭壇へ来るまで、お話ししなかったのです」


 黒い魔力がさらに膨れ上がる。


 理性は、もう限界だった。


 サンセリテは最後の力を振り絞り、シャルロットを真っ直ぐ見据えた。


「シャルロット!」


「私を斬りなさい!」


 その叫びが封印の間へ響き渡る。


 シャルロットは涙を流しながら首を横に振る。


「できません!」


「あなたを斬るなんて……!」


 サンセリテは苦しみながらも微笑んだ。


「これは教皇としての命令です!」


「私を斬りなさい!」


 なおもシャルロットは動けない。


 剣を握る手だけが震えていた。


 その姿を見たサンセリテは、小さく息を吐く。


「……やはり」


「あなたは最後まで優しい人ですね」


 その瞬間。


 シャルロットは涙を流しながら叫んだ。


「違います!」


「私は、あなたを犠牲にするためにここへ来たんじゃありません!」


「百五十年前に救えなかった命を――」


「今度こそ救うために来たんです!」


 右手へ光が集まる。


 眩い輝きは一本の剣となり、その手へ顕現した。


 光の聖剣。


 百五十年前、大聖女ミュゲが振るった希望の剣。


 そして今。


 薬師シャルロット・メシャントが握る救済の剣。


「サンセリテ!」


「あなたこそ逃げないでください!」


「百年間、一人で使命を背負い続けて!」


「最後は自分だけ犠牲になろうなんて……!」


 涙が止まらない。


「そんなの駄目です!」


「生きることを諦めないでください!」


「私は!」


「あなたを助けるために、ここまで来たんです!」


 その叫びに、サンセリテは静かに目を見開いた。


 そして、穏やかに微笑む。


「……そうですか」


「その言葉だけで十分です」


「ありがとうございます」


 一筋の涙が頬を伝う。


「ですが」


「百年間、この日のためだけに生きてきました」


「私の役目は、ここで終わりです」


「どうか……迷わないでください」


「あなたには守るべき未来があります」


「私は、その未来を守る礎になれれば、それで本望です」


 その声に、迷いはなかった。


「私を斬りなさい」


「これは――教皇としての最後の命令です!」


 次の瞬間。


 轟音。


 サンセリテは自ら魔王因子の力を解放した。


 自ら暴走へ身を委ねる。


 そして。


 シャルロットへ向かって駆け出した。


「私を斬りなさい!」


 凄まじい速度だった。


 まるで百五十年前の魔王そのもの。


 禍々しい魔力が唸りを上げながら迫る。


 激突。


 白銀の光と黒い魔力がぶつかり合う。


 轟音が封印の間を揺らした。


 一合。


 二合。


 三合。


 光と闇が激しく交錯する。


 サンセリテは攻め続ける。


 シャルロットは受け続ける。


 涙を流しながら。


 救う方法を探しながら。


「斬りなさい!」


 サンセリテが叫ぶ。


「あなたにしかできないのです!」


 その時だった。


 シャルロットの視界に見えた。


 サンセリテの身体ではない。


 その奥。


 膨大な魔素の奔流の中心。


 脈打つ黒い結晶。


 魔王因子。


 無限の魔素の集合体。


 災厄そのもの。


「そこです……!」


 シャルロットは踏み込んだ。


「ごめんなさい……!」


 白銀の光が閃く。


 一刀。


 それは命を奪う剣ではなかった。


 命を救うための剣だった。


 白銀の軌跡がサンセリテの身体を通り抜ける。


「教皇様!」


 ソフィアが悲鳴を上げる。


 エレナも固唾を飲んで見守る。


 そして――静寂。


 サンセリテは立っていた。


 傷一つ負うことなく。


「……え?」


 ソフィアが呆然と呟く。


 次の瞬間。


 サンセリテの胸元から黒い結晶が弾き出された。


 ドクン。


 ドクン。


 ドクン。


 魔王因子だった。


 シャルロットはその場へ膝をつく。


 全身から汗が噴き出している。


「で……できた……」


 震える声だった。


「サンセリテさんを傷付けず……」


「魔王因子だけを切り離せました……」


 サンセリテは目を見開く。


 信じられないものを見るように。


「まさか……」


「そのような芸当が……」


 全盛期のミュゲですら到達できなかった領域だった。


 人を斬らず。


 魔素だけを断つ。


 それは薬師として人を救い続けてきたシャルロットだからこそ辿り着いた奇跡だった。


「やったのじゃ……」


 エレナが呆然と呟く。


 そして力が抜けたように笑う。


「本当に、お主というやつは……」


 サンセリテが無事だった。


 それだけで胸を撫で下ろした。


 だが。


 誰も喜ぶことはできなかった。


 切り離された魔王因子が再び脈動を始めていたからだ。


 ドクン。


 ドクン。


 ドクン。


 暴走状態は終わり。


 内部構造は再び安定を取り戻しつつある。


 百五十年前。


 暴走した魔王因子に対し、全盛期のミュゲが放った《光の投擲聖槍》。


 それですら傷一つ付けることはできなかった。


 今さら破壊など不可能だった。


「そんな……」


 ソフィアの顔から血の気が引く。


 その時。


 シャルロットは静かに立ち上がった。


 そして魔王因子を見つめる。


「なら――」


 決意に満ちた声だった。


「私が封印します」


「何を言っておる!」


 真っ先に反対したのはエレナだった。


「ようやく助けたのじゃぞ!」


「今度はお主が背負うというのか!」


 シャルロットは静かに微笑む。


「私ならできます」


「光魔法で浄化を続けながら封じることが」


 エレナは拳を握り締めた。


 止めたい。


 絶対に止めたい。


 だが、その瞳を見れば分かってしまう。


 シャルロットはもう決めている。


 百五十年前に終わらせられなかった責任を、誰かへ押し付けるつもりなどないのだと。


「……本当に」


 エレナは悔しそうに目を閉じた。


「昔から変わらぬのう、お主は」


 その声は呆れ半分。


 そして誇らしさ半分だった。


 百五十年前から続く戦いは、最後の局面を迎えようとしていた。

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