第四話 魔王様のDVD
連休が明けた。
五月の風が教室の窓から入ってきて、カーテンを揺らしている。
昼休み、弁当を食べ終えた俺がぼんやりと窓の外を眺めていると、視界の端に、黒い靄が漂いはじめた。
「伺君、はい、あーん」
結愛が俺にはい、あーんでタコさんウィンナーを食べさせようとしていた。
【-999】
このマイナスの好感度で、きらっきらの笑顔。
一体何を考えているのかわからない。
彼女が転校してきてから数日で結成された取り巻きたちも、結愛の突然の行為に呆然としている。
ひょっとすると、箸でそのまま目を突き刺すつもりなのか。
それとも誘いに乗って食べようとすると自分で食べて、口をぽかんと開けている俺をみんなで笑う、みたいなからかい方をするつもりだろうか。
どうする。
どうするのが正解だ。
俺はタコさんウィンナーをにらみつけていた。
そのとき、視界の反対側に虹色が光った。
見なくてもわかる。
【999】
すぐ傍に雫が立っていた。
相変わらずの無表情。相変わらずの黒髪ロング。相変わらずの虹色999。周りの連中が「えっ、雫ちゃん?」とざわつく中、雫はまっすぐ結愛を見て、それから俺の腕をぐいっと引っ張った。
「……部活、来て」
部長命令なら仕方がない。
立ち上がらされる俺。
がたっと椅子をけって教室から出ていった。
結愛は、ごごご、と不穏な空気を漂わせながら、俺たちをじっと見ていた。
---
三階の奥、特別教室棟の、一番端。
「旧視聴覚準備室」が俺たち『魔王部』の部室だった。
扉を開いた瞬間、甘い匂いが廊下まで溢れてきた。バターと砂糖が焼ける、幸せの匂い。
「あっ、来た来た〜!」
最初に聞こえたのは、弾けるような声だった。
教室の半分ほどの空間。南向きの窓から午後の陽が差し込んでいて、その光の中に三人がいた。
窓際のテーブルにオーブン——なぜかオーブンがある——を設置して、生地を天板に並べているのがこむぎ。頭上の数字は【487】。黄金色で、ほかほかと湯気みたいに光っている。
その隣でデコダンベルを上げ下げして上腕二頭筋を鍛えているのがあかね。長い髪をゆるく巻いて、爪はパステルカラー。頭上には【461】。明るい金色で、元気に弾んでいる。
そして部屋の奥、長机の前でノートパソコンを叩いているのがしおり。眼鏡の奥の瞳がモニターの光を反射している。頭上には【415】。落ち着いた金色が、知的に光っていた。
四天王。
——と、自称する四人組。
雫を含めて四人。なぜか全員が俺に対して異常な好感度を持っている、謎の美少女集団。先週会ったばかりなのに、もう馴染みの仲間みたいな空気を出してくる。
「あっ、こむぎのクッキー、もうすぐ焼けるの! 待ってて待ってて〜」
こむぎが笑うと、頭上の【487】が【502】に跳ねた。
不思議なことに、彼女たちの俺に対する好感度は、リアルタイムで上下する。
「で、俺は何で呼ばれたんだ」
「それについてはわたしから説明いたします」
しおりが立ち上がった。ノートパソコンを閉じ、眼鏡を押し上げ、ゆっくりと俺の前に歩いてくる。
佇まいが完全にプレゼンのそれだった。
「現在この部屋は、文芸部の活動拠点として登録されています」
「文芸部……まだ正式な肩書は文芸部なんだ」
「はい。ですが、これから魔王部としての活動を推し進めていく上で、どうしても正式に登録したい、と雫部長がおっしゃっておいでです」
雫が横で小さく頷いた。魔王部として一体どんな活動を推し進めようとしているのか。999は微動だにしない。
「そこで……こちらの部活動届を作成させていただきました」
しおりが一枚の紙を差し出した。部活動届。学校の正式な書式だ。
目を通す。
```
部活動名称:魔王部
活動内容:魔王様の日常生活の補佐及び余暇活動
部長:雫(名字は空欄)
顧問:(教員の署名あり)
部員:5名
```
「…………」
「何か問題がございましたか?」
「問題しかないが?」
「ご安心ください。職員室にはすでに提出済みです」
「もう出したの!?」
「顧問の先生には、『現代社会におけるロールプレイングを通じた対人関係の研究活動』と説明しましたところ、快くサインをいただけました」
「それ詐欺じゃないのか」
「事実ですので問題ありません」
しおりの好感度が【415】から【440】に上がった。楽しんでやがる。
「ってかさ〜、魔王部ってネーミングやばくない?」
あかねは、デコダンベルを上げるたびに好感度を【1】ずつ上げていた。
いつの間にか【500】を超えている。
あれが【999】になるまえに逃げた方がいい。
「ウケるんだけど。あーし的にはぜんぜんアリ。ってかむしろイイ」
「あかねさん、例の物を広げてください」
「はいはい」
あかねが机の下の段ボールから引き出したのは黒い布——広げるとマントだった。
五枚。
全部黒。全部同じサイズ。裏地だけ深い紅色。無駄に上質な光沢がある。
「こんなのどこで買ったの」と俺が聞くと、あかねは「気にしないで」と言った。
気になるが。
ドンキとかに売ってるんだろうか。
「これが魔王部の正装となります」
しおりが一枚を手に取り、するりと肩にかけた。黒いマントが彼女の制服の上に重なると、たしかにそれっぽく見えなくもない。眼鏡が理知的な印象を与える。
「マジで着るの?」
「マジで着るの」
あかねが自分の分を肩にかけた。ギャルがマントを着ると妙にサマになるから困る。
こむぎはオーブンの前でクッキーの焼き加減を見ながら、器用に片手でマントを羽織った。
「えへへ、マント〜。こむぎ、こういうのすきなの〜」
好感度が【512】に跳ねている。本当にぴこぴこ変動する。
雫は——もう着ていた。いつの間に。黒髪に黒マント。似合いすぎて怖い。
最後の一枚が俺の前に差し出される。
「どうぞ」
雫の手から。無表情で。999のまま。
「……まあ、羽織るだけな」
袖を通す——袖はなかった。マントだから。肩にかけてフックで留める。
「おー」
「……いいじゃん」
「似合うの〜!」
三人が声を上げた。しおりだけが無言でメモを取っていた。好感度が【471】に上がっている。何を書いているかは聞かない方がいい気がする。
「で、魔王部って何するの?」
「……まずは、これを観る」
雫が懐から何かを取り出した。
DVDケース。
透明なケースに、銀色のディスクが一枚。ラベルには何も書かれていない。
「DVD?」
「……うん。重要。魔王様の指示が入っている」
「魔王様の指示が?」
あかねがデコダンベルを床の上に置いた。こむぎがオーブンの前から離れて、こちらに来た。
空気が変わる。
四人全員が、静かにDVDを見ている。
好感度の数字は変わらない。変わらないのに、部屋の中の何かが張り詰めた。
「……見ればいいのか?」
「はい」
雫が備え付けのモニターの前に歩いた。DVDプレイヤーの電源を入れる。
しおりがディスクを渡す。
雫がそれを受け取り——
指先がディスクに触れた瞬間、銀色の表面がかすかに光った気がした。
雫がディスクをセットする。モニターの画面が青から黒に変わる。
砂嵐。
数秒の沈黙。
そして——
画面に、男が映った。
暗い部屋。背景は石壁。蝋燭の灯りがちらちらと揺れている。
男はフードを被っていた。深く目元まで覆ったフードの下から、口元だけが見える。
口元が動いた。
『——我は魔王である』
いたたたた。
俺は思わず画面から目をそらした。
数秒。
落ち着いて、間を開けてから、ちらっと画面を見た。
まだ漆黒のマントを羽織った男がいた。
あいたたたたた。
低い声。だが不思議と不快ではない。むしろどこか聞き覚えがあるような——いや、ない。ないはずだ。
『お前がこれを見ているということは、まあ、色々うまくいったんだろう。……たぶん』
男は椅子に座っていた。大きな背もたれのある椅子。画面越しでも、なんとなく偉そうなシルエットだとわかる。
『単刀直入に言う』
男がこちらを——カメラを正面から見据えた。
『お前には、そのうち人の頭の上に数字が見えるようになる』
心臓が跳ねた。
『それは好感度だ。お前に対する、そいつの感情の数値化。見えるだろう? もう見えているか? ……まあ、見えていなくても、そのうち見える』
見えている。
もう見えている。
やはりこの数字は……好感度だったのか。
『便利だろう?』
男の口元がかすかに笑った。
『……まあ、便利なだけじゃないがな』
その言い方に、一瞬、影が差した。声のトーンが落ちたのか、蝋燭の灯りが揺れたのか。すぐに元に戻る。
『プラスは味方だ。数字が高いほど、お前を想っている。お前を守ろうとしている。お前のために動く奴だ。信じていい』
それは——雫のことか。
999。あの虹色の数字。
『マイナスには気をつけろ。特に——』
男が言葉を切った。
『——大きなマイナスを抱えた奴が近づいてきたら、逃げろとは言わん。だが、目は離すな』
-999。
血の色の数字が脳裏をよぎった。結愛の、あの完璧な笑顔の上に浮かんでいた、禍々しい数字。
『お前の周りに集まる奴らは、おそらく本物だ。数字を信じろ。言葉より、態度より、数字のほうが正直だ』
一拍の間。
『……ただし、数字がすべてだとも思うな。矛盾しているがな』
男は肩をすくめた。芝居がかった仕草。でもその矛盾という言葉だけが、妙に引っかかった。
そして。
『最後に一つ』
男の声が、急に真剣になった。
背筋が伸びる。四天王の全員が画面を注視している。雫は微動だにしない。こむぎの手が膝の上で握られている。あかねが唇を引き結んでいる。しおりがペンを止めている。
『——プリンは隠せ』
は?
『以上だ』
ブツッ。
画面が黒に戻った。
「…………」
沈黙。
「…………は?」
俺の声が部屋に響いた。
「プリン?」
「…………」
四天王が黙っている。
「プリンって何だ?」
「…………」
しおりが目を伏せている。
あかねが腕を組んでいる。
こむぎが「プリン……」と呟いている。食べたいのか神妙なのかわからない顔をしている。
雫は——俺を見ていた。
999。変わらない。何も変わらない。
「……重要な指示です」
雫がそう言った。
重要。
プリンを隠せが。
重要な指示。
「…………」
俺は、理解した。
理解した、と思った。
——ああ、そういうことか。
これは、魔王様の指示という形式のゲームだ。
DVDの中の男。フードを被って、石壁の部屋で、蝋燭の前で語る男。偉そうな椅子。大仰な台詞。そして最後に「プリンは隠せ」。
この四人。四天王と名乗り、黒マントを着て、玉座を用意し、部活の名前を「魔王部」にした四人。
全員、なんらかの異能に目覚めた者たちが、中二病をこじらせてしまった末にたどり着いた、ごっこ遊びなのだ。
精巧で、手の込んだ、本気度の高いごっこ遊び。
あのDVDも誰かが作った自主制作映画。あの男は役者か、もしくはしおりあたりが台本を書いて知り合いに頼んだのだろう。
「すげえな」
俺は素直に感心した。
「ここまでやるか、普通」
正直、ふざけた部活動かと思ったが、情熱が違う。
四天王が——少し困ったような顔をした。
しおりが口を開きかけたが、何かを飲み込んで、微笑んだ。
「お楽しみいただけたなら、幸いです」
あかねが「……まあ、うん」と曖昧に笑った。
こむぎが「プリン食べたいにゃ〜」と言った。多分これは本心だ。
雫だけが、俺をまっすぐ見たまま、何も言わなかった。
999。
虹色の数字が、少しだけ寂しそうに見えたのは——たぶん気のせいだ。
「もっかい見よう、もっかい」
そのあと、魔王部は延々とそのビデオレターを再生し続けた。
……ビデオレターを見るだけで、その日の部活動は終わった。
帰り道。
五月の夕暮れが街を橙色に染めていた。影が長くて、風がぬるくて、どこかで部活帰りの声が聞こえる。
俺は一人で歩きながら、笑っていた。
魔王部。
黒マントを着て、怪しい魔王様のDVDを見て、クッキーを食べて、お茶を飲んで。
謎の多すぎる部活だった。
好感度999の無口な少女と、好感度が食事で変動する少女と、好感度が運動で上がるギャルと、好感度が推しカプで爆発する書記。
全員の好感度が、異常に高い。
理由はわからない。
でも——
「……まあ、悪くないな」
隣の美術部から苦情が来るのは、翌日のことだった。
「あの、プリンを隠せって、どういう事ですか?」
こっちが知りたい。
あの魔王様が何者かはともかく、魔王部は機密性ゼロみたいだ。
次はDVDの音量を下げます、と約束した。
そのとき俺はまだ、隣の美術部に【-999】の結愛がいることを知らなかったのだった。




