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第三話 四天王集結

 変化が起きたのは、昼休みだった。


 四月最後の週。教室で弁当を食べていた。隣で雫が、いつものように静かに弁当の蓋を開けている。


 ——と、視界の端に、金色が見えた。


 教室の入り口に、知らない女子が立っている。


 小柄。身長は150あるかないか。明るい栗色の髪がふわふわと肩で揺れている。目が大きい。きょろきょろと教室の中を見回している。子犬っぽい。いや、子猫か?


 その頭上に——


【450】


 金色。暖かく光っている。


 は?


 450?


 初対面だぞ。いや、初対面……だよな? この子、うちのクラスじゃないし、見たこともない。なのに450。父さんが60で、母さんが70で、ゴミを見る目の妹が190のこの世界で、450。


 好感度だよな? この数字。ひょっとして血糖値とかなの?


 女子がこちらを——正確には、雫のほうを見て、ぱっと顔を輝かせた。とてとてと小走りで近づいてくる。


「しずくちゃーん!」


 え、雫の知り合い?


 雫は本から目を上げて、その女子をちらっと見た。


「……こむぎ」


 名前呼び。雫が名前で呼ぶ人間を、俺は初めて見た。


 こむぎと呼ばれた女子は、雫の隣——つまり俺の正面あたりに、ちょこんと座った。椅子がないので床に正座。いいのかそれ。


「ねーねー、しずくちゃん、お昼一緒に食べていい?」


 語尾が跳ねる。声そのものが明るい。教室の空気が二トーンくらい上がった気がする。


 雫は小さく頷いた。こむぎは嬉しそうに巾着袋を開けて——弁当箱ではなく、菓子パンを三つ取り出した。昼飯が菓子パン三つ。すごい食生活だな。


「あー、今日もカレーパン売り切れだったにゃ……」


 にゃ?


 今、にゃって言った?


 気のせいか。気のせいだな。方言かもしれない。


 こむぎは菓子パンを一つ開けて、もぐもぐと食べ始めた。幸せそうな顔。450の金色が、少し明るくなった気がする。


 460。食べながら上がっている。


 ……好感度って食事で上がるのか?

 ひょっとすると、本当に血糖値説ある?


「あ」


 こむぎが俺を見た。大きな目がまん丸になる。


「しずくちゃんの隣の人だ!」


「え、うん。伺。うかがい」


「うかがいくん! こむぎだよ、よろしくにゃ!」


 にゃ、は確定で語尾だった。方言じゃない。


 470。自己紹介しただけで20上がった。上がり幅がおかしい。


 こむぎは菓子パンを幸せそうに食べている。二つ目に突入。速い。


 ……ふと、俺は自分のカバンの中に目をやった。朝、コンビニで買った菓子パンが一つ、予備で入っている。チョコチップメロンパン。おやつにしようと思っていたやつ。


 別に深い理由はない。ただ、こむぎがあんまり幸せそうに食べるから。


「これ、食うか?」


 チョコチップメロンパンを差し出した。


 こむぎが固まった。


 目がさらに大きくなる。頬が紅潮する。両手がぱっと伸びて、菓子パンを受け取る。


「いいのっ? ほんとにいいのっ!?」


「いいよ、予備だし」


 こむぎが菓子パンを一口齧った。


 その瞬間——空気が変わった。


【999】


 虹色。光の粒子。SSR確定演出。


 一口で450から999まで飛んだ。


「んにゃ〜〜〜〜!! おいしいにゃあ!! チョコチップがぁ! サクサクがぁ! 幸せにゃあ〜〜!」


 尻尾が見える。いや見えないけど、見える。この子の背中から尻尾が生えて千切れんばかりに振られている幻覚が見える。


 教室中の視線がこっちを向いた。こむぎは気にしていない。メロンパンに全神経が集中している。


 俺は呆然とこむぎの頭上の999を見上げていた。虹色。雫と同じ虹色。でも雫の999が静かな灯台だとしたら、こむぎの999は——花火だ。打ち上がって、散って、また打ち上がる。


 ちらっと雫を見た。


 雫は本に目を落としたまま、小さく——本当に小さく、口を動かした。


「……一人目」


 聞こえた。聞こえたけど、意味がわからない。


 一人目? 何の一人目?


 聞き返そうとしたけど、雫はもう本に視線を戻していて、それ以上何も言わなかった。



 昼休みが終わった。


 こむぎは三つの菓子パンと俺のメロンパンを完食して、満足そうに自分のクラスに帰っていった。去り際の好感度は——もう999ではなかった。


【480】


 金色。まだ高いけど、さっきの虹色はどこにもない。


 テンションも明らかに下がっていた。


「じゃーね、しずくちゃん、うかがいくん」


 声のトーンが二段階くらい落ちている。さっきの「にゃ〜〜!」はどこに行った。


 ……すん、という擬音が似合う背中だった。


 五限目。現代文。


 教科書を開いて先生の話を聞いている——ふりをしながら、さっきのことを考えていた。菓子パン一個で999まで跳ね上がって、食べ終わったら480に戻る。好感度って食べ物に左右されるものなのか。いや、こむぎが特殊なのか。


 ふと、廊下側の窓の向こうに動く影が見えた。


 こむぎだ。


 廊下を歩いている。手に菓子パンを持っている。もぐもぐ食べている。授業中だぞ。


 頭上の数字がちらっと見えた。上がっている。食べているから上がっている。


 食べ終わった。


 すん。


 数字が下がる。こむぎは立ち止まって、来た道を引き返していった。すごい速さだった。まるで瞬間移動するような速さで廊下を疾走し、そしてどこからか新しい菓子パンをどっさり抱えて、るんるんしながら戻ってきた。どこから持ってきた。


 食べる。上がる。食べ終わる。すん。また引き返して取ってくる。食べる。


 菓子パン何個食べるんだろ。

 頭の上の数字が血糖値じゃなくてもあの子の血糖値が心配になって来た。


 ……ていうかちゃんと買ってるのかあれ。


 六限目が終わる頃には、こむぎの廊下パトロールは計四往復に達していた。俺は密かに数えていた。暇か。暇だった。




 翌日。体育の授業。


 グラウンドで持久走をやらされていた。四月下旬、気温は上がり始めているけど、走るにはちょうどいい。


 俺はぼちぼちのペースで走っていた。特に速くもなく、遅くもなく。体力には困ったことがない。疲れはするけど、息が上がってもすぐ戻る。昔からそうだ。


 ——ふと、後ろから風が来た。


 比喩じゃない。物理的に風圧を感じた。


 誰かが、ありえない速度で俺を追い抜いていく。


 長い脚。筋肉質だけどしなやかな体。ポニーテールが風に流れている。日焼けした肌。笑っている。走りながら笑っている。


 その頭上。


【700】


 金色が、ぐんぐん上がっていく。


 720。750。800。走るたびに加速する。数字も速度も。


 850。900。


 ひょっとするとこれ、心拍数なんじゃないか?

 笑い声が聞こえた。


「っしゃあああ!!超気持ちいい!!」


 声がでかい。グラウンドの反対側まで聞こえたんじゃないか。


 950。980。


【999】


 虹色になった。三人目の999。


 この子は——確か隣のクラスの。名前は知らないけど、体育の授業で見かけたことがある。いつも一番速い子。


 999に達した瞬間、何かが変わった気がした。空気が、というか、その子のまとう雰囲気が。目つきが鋭くなって、笑顔の質が変わった。楽しいから笑っているんじゃなく——本能が剥き出しになっているような笑い。


 ……こわ。


 体育の授業が終わった。片付けの時間。先生から体育準備室のマットを戻すように言われて、もう一人の生徒と二人で運ぶことに。


 もう一人が——さっきの子だった。


「あんた、隣のクラスの子でしょ? あたし橙谷あかね! よろしく!」


 ギャルっぽい。よく見るとメイクしている。目の下がキラキラ光ってる。運動のできるギャル。声が大きい。距離が近い。握手を求められて、握り返した。手が温かい。というか熱い。体温が常人より高くないかこの人。


 頭上の数字は——まだ高い。授業が終わって運動量は減ったけど、マットを運ぶ作業で維持されているのか、800台をうろうろしている。


「ねえねえ、あんた足速くない? 走ってるときいい感じだったんだけど」


「いや、普通だと思うけど」


「えー、絶対速いって! 一緒に走ろうよ今度!」


 距離が近い。ぐいぐい来る。さっきまで999だった人間に「一緒に走ろう」と言われると、なんとなく身の危険を感じるのは気のせいか。


 体育準備室に入った。薄暗い。マットの定位置に戻して、さて帰ろうと——


 背中に衝撃が来た。


 蹴り。


 考えるより先に体が反応した。いや、反応する必要もなかった。蹴りは確かに当たった。背中に靴の感触があった。でも——何も起きない。痛くない。ぐらつきもしない。


 振り向く。


 あかねが、蹴りの姿勢のまま固まっていた。


「……はぁ!?」


 片足を上げたまま、信じられないものを見る目でこっちを見ている。


「今、蹴ったよね、あたし」


「蹴ったな」


「なんで立ってんの?」


「俺が聞きたい。なんで蹴ったの?」


 答えの代わりに、拳が飛んできた。


 腹に入った。確かに入った。拳の感触がある。でも——何も起きない。蜃気楼を殴っているみたいに、衝撃が通り抜けていく。


「えーっ! 嘘でしょマジうける!」


 あかねが満面の笑みを浮かべた。好感度が999に戻り、本気の動きになった。連撃。蹴り、蹴り、回し蹴り、肘。全部当たっている。全部通り抜けている。


 痛くない。


 怪我したことがない。生まれてから一度も。蹴られても殴られても、転んでも、ぶつけても。妹の蹴りもそうだった。いつも「痛くない」。それをおかしいと思ったことは——正直、あまりなかった。体が丈夫なんだろう、くらいに考えていた。


 でも今、人間離れした威力の打撃を受けて、かすり傷一つないのは——さすがに「丈夫」では説明がつかない。


 打撃が通用しないとわかったあかねが腰にタックルしてきた。俺をマットの上に押し倒す。息が上がっている。こっちは息一つ乱れていない。


「あんた、何者?」


「ただの一年だけど」


 ガラッ。


 体育準備室のドアが開いた。


 逆光。小柄なシルエット。


 雫だった。


「……何をやっているのですか」


 声のトーンは、いつもと変わらない。表情も変わらない。999も変わらない。


 でも——空気が、一度だけ、軋んだ。


 あかねが目に見えてびくっとした。


「あ……いや、これは、その……」


 雫はあかねを見て、それから俺を見て、俺に傷がないことを確認して——ほんの少しだけ、息を吐いた。


 安心したのか?


 そして、小さく。


「……二人目」


 今度ははっきり聞こえた。




 放課後。


 雫が鞄を持って立ち上がった。いつもなら、まっすぐ帰る。でも今日は違った。


「……来て」


 一言。俺に向かって。


「え、どこに」


「……部室」


 部室? 雫、部活やってたのか。


 聞くと、文芸部らしい。本校舎三階の旧視聴覚準備室。部員は——


「……一人」


「一人?」


「……前はいた」


「何があった」


「…………」


 答えるのにやや間があった。嫌な予感がする。


「……乗っ取った」


 俺は、自分の耳を疑った。


 乗っ取った……?

 いま、文芸部を乗っ取ったって、言ったのか……?


 三階の廊下を歩いて、突き当たりの部屋の前に着いた。ドアに「文芸部」と書かれたプレートがかかっている。雫がドアを開ける。


 中は——思ったより広い。元は視聴覚準備室だけあって、棚やら机やらが雑然と並んでいる。奥にモニターとDVDプレイヤー。手前に長机と椅子が数脚。窓際に本棚。本棚には雫の私物らしき本がぎっしり詰まっている。


「……座って」


 言われるまま、パイプ椅子に座った。雫が向かいに座る。


 静かだ。


 雫は棚からティーセットを取り出して、慣れた手つきで茶を淹れ始めた。白磁のカップ。湯気が立つ。紅茶の香り。


 ……なんだろう、この空間。嫌いじゃないけど、何のために連れてこられたのかがわからない。


「雫、俺に用が——」


 ガラッ。


 ドアが開いた。


 眼鏡をかけた女子が立っていた。セミロングの黒髪。制服のリボンがきっちり結ばれている。本を三冊抱えている。物腰が丁寧そうな——


 その頭上。


【420】


 また異常値だ。金色。初対面。なのに420。


 眼鏡の女子は部室の中を見渡して、雫と俺が向かい合って座っている光景を視認して——


 硬直した。


 三秒。


「ふぉぉぉぉ……!」


 声にならない声が漏れた。眼鏡の奥の目が、信じられないくらい輝いている。


「推しカプ……2ショット……尊い……!」


 420が跳ねた。


 500。600。700。数字が加速する。色が金から——虹色に変わる。


【999】


 超えた。999を超えた。表示が一瞬バグったみたいにちらついて、【999+】みたいなよくわからない表記になった。何だそれ。好感度にオーバーフローがあるのか。


「あっ……!」


 眼鏡の女子の鼻から、つう、と赤い筋が伝った。


 鼻血。


「あっ、すみません、すみません、大丈夫です、これはいつものことなので——ふひひひ」


 いつものことなのか。


 女子は鼻血をハンカチで押さえながら、信じられない速度で鞄からノートとペンを取り出した。そして座りもせずに、壁に寄りかかった姿勢で——書き始めた。


 速い。


 ペンが紙の上を走る音が、もはや一つの音として聞こえない。連続した摩擦音。振動。ページが埋まる。一ページ十秒。めくる。また書く。


 ペン先から薄く煙が上がっている。


 物理的に摩擦熱で煙が出ている。人間の手の動きで摩擦熱が発生することってあるのか。


「えっと……」


 俺が声をかけようとした瞬間、雫が動いた。


 立ち上がる。眼鏡の女子の前に歩み寄る。書き続けるその手首を——はしっ、と掴んだ。


 ペンが止まる。


 煙が消える。


「……だめ」


 雫の声。短い。でも有無を言わせない響きがある。


「えっ、あの、これは記録として——」


「だめ」


「文芸部の活動の一環として——」


「だめ」


「せめてプロットだけでも——」


「だめ」


 三回止められて、眼鏡の女子はようやくペンを下ろした。肩を落としている。999+は少し下がって、970くらいになった。それでも十分異常値だ。


 雫が振り向いた。俺を見る。


「……しおり。知り合い」


 また名前だけの紹介。せめてもう一文ください。


 しおりと名乗った女子は、鼻血を完全に拭き取ってから、ぺこりと頭を下げた。


「申し遅れました。二年の月白しおりと申します。文芸部への入部を希望しておりまして——」


 丁寧だ。さっきまで鼻血を出しながら超高速で何かを書き殴っていた人間と同一人物とは思えない。


「あの、さっき何を書いて——」


「見ないでください」


 即答だった。目が据わっていた。


 雫が小さく口を動かした。


「……三人目」


 また。また数えている。一人目がこむぎで、二人目があかね。何を数えているんだ。



 しばらくすると、文芸部に2人があらわれた。

 クッキーをぽりぽりと食べている、子猫のようなこむぎ。

 背中には明らかに私物とおぼしきオーブンを持っていて、クッキーの甘い匂いを漂わせていた。


 制服を着ると、普通のギャルにしか見えないあかね。

 どんな荷物を持ってきているのかは知らないが、キラキラにデコったダンベルを片手で上げ下げしている。ダンベルをデコるな。


「きたにゃー! 雫ー!」


「おひさー。今日なにやんのー?」


 当たり前のように文芸部の部室にやってきて、すでに定位置が決まっているかのようにどかっと椅子にすわる。


「……この子たちは、部員なの?」


「……四天王」


「四天王?」


 見渡すと、雫を含めて四人。なぜか全員が俺に対して異常な好感度を持っている、謎の美少女集団。


「……文芸部は、我々四天王が乗っ取った」


 文芸部を乗っ取り、四天王と称する4人を集めて、全員が好感度999で。

 一体、これから何をするつもりなのか。


「……これから、魔王様のための新しい部を始める」


 雫は、机の上に両手を置いて、言った。


「……その名も、魔王部」


 雫の微動だにしない好感度999の数字が、いっそう輝いた気がした。

 魔王部……。

 ……何するのその部活。

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