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  作者: Yonohitomi
一章
82/184

89.特別な着物

 黒訝が女鬼たちと楽しげにしているのを横目に、蓮次は無言でその場を離れた。わざと黒訝の前を横切るようにして。


 黒訝の態度が妙に苛立たしかった。普段は睨みつけて圧をかけてくるくせに、女鬼たちにはあんなにも素直に、甘えたような顔をするのか。


(……馬鹿みたいだ)


 蓮次は鼻を鳴らし、そのまま奥へ進もうとする。


「おい」


 背後から怒声が飛んできた。蓮次は足を止める。


「お前の用事じゃなくて、俺の用事だろ。付き合えよ」


 黒訝の苛立ちを背中越しに感じたが、蓮次は振り返らず、そのまま歩き出そうとした。


「おい!」


 強引に腕を掴まれ、力任せに引き戻される。蓮次が顔をしかめる間もなく、そのまま女鬼たちが案内する部屋へと連れて行かれた。


 黒訝はよく着物を傷つける。戦いのたびに破るのか、それとも単に扱いが粗雑なのか。とにかく、彼がこの店を訪れることは多かった。朱炎の息子という立場もあり、破ればすぐに新しい着物を仕立ててもらえる。


「これはいかがです?」


「こちらもお似合いかと」


 女鬼たちは慣れた様子で着物を選び、次々と黒訝へ差し出していく。黒訝も満更ではないらしく、そのうちの一着に袖を通した。


 傍らには、姿見の代わりとなる影布えいふが掛けられている。黒訝がその表面を手で撫でると、一瞬だけ自分の姿が映し出された。


 それを確認した黒訝は満足げに口角を上げ、次の着物へ手を伸ばす。


「黒訝様、とっても素敵ですわ!」


「黒訝様、こちらを向いてくださいませ」


 女鬼たちは甘ったるい声で、惜しみなく賛辞を浴びせている。黒訝は蓮次を気にする素振りもなく、影布に映る自分の姿を眺めながら、楽しげに次の着物を選んでいた。


 部屋の端に座った蓮次は、腕を組んだまま胡乱げな目を向ける。


(……なに、あいつ)


 普段は不機嫌そうな顔しかしないくせに。自分にはやたらと棘を向けてくるくせに。


 何がそんなに楽しいのか。女鬼たちの前では、ああも態度を変えるのか。


 胸の内に、また妙な不快感が込み上げてくる。


 ふと、黒訝と目が合った。


 蓮次はぷいと顔を背け、そのまま瞬間移動で部屋を出た。


 屋敷の奥へと続く廊下には、ひんやりとした空気が満ちていた。蓮次は一人、足を進める。


 曇り空の切れ間からわずかに光が差し込み、中庭の木々が揺れるたび、廊下の床にもまだらな影が動いている。先ほどまでの喧騒から離れると、胸の内にあった苛立ちも少しずつ薄れていった。


 さらに奥へ進む。


 外の光が届かない廊下を曲がると、壁に沿って行灯が並んでいた。ぼんやりとした灯りが、薄暗い屋敷のさらに奥まで続いている。


 その時、奥から強い気配を感じた。


 蓮次は、ある襖の前で足を止める。


 中に何かいる。


 襖一枚を隔てた向こうから、こちらを見られているような感覚があった。


「……なんだ」


 不意に、背後に気配が立つ。


 振り向くと、年老いた女鬼が立っていた。白髪を丁寧に結い上げ、上質な着物を身につけている。背筋は真っ直ぐに伸び、その立ち姿には年齢を感じさせない厳かさがあった。


 女鬼は蓮次を見つめ、細い目をさらに細める。


「あちらには、生きた着物がございます」


「生きた着物?」


「朱炎様の血を織り込んだ特別なお品。選ばれた者しか手にできないお品物となっております。蓮次様のそちらも……」


 蓮次は眉をひそめ、自分の着物へ視線を落とした。


(……なるほどな)


 地獄の谷で黒訝が言っていた。


『俺はそんなの貰えなかった!!』


 あれは、この着物のことだったのか。


 蓮次は何も言わず、着物の裾を指でなぞった。


「蓮次様」


 女鬼が、もう一度名を呼ぶ。


「別のお部屋へご案内いたします」


 これ以上、奥へ進むなということだろう。


 蓮次は特に逆らうこともなく、女鬼に従った。


 来た道を引き返し、光の届かない廊下を抜ける。再び中庭へ出ると、奥に漂っていた重い空気が途切れ、外の冷えた空気が肌に触れた。


「さぁさぁ」


 女鬼は穏やかな声音で促し、黒訝のいる部屋とは反対の方角へ歩き出す。蓮次もその後に続いた。


 だが、ふと足を止めた。


 中庭を挟んだ向こうの部屋。


 開け放たれた障子の奥に、一人の男がいた。


 それは――。


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