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魄  作者: Yonohitomi
一章
81/184

88.鬼衣屋

 灰色の雲が空一面を覆い、日の光を遮っている。森の中は昼間とは思えないほど薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。


 木々の間を抜け、二人は細い小道を進んでいく。黒訝が先を歩き、蓮次は少し遅れてその後をついていた。歩調が揃うことはなく、二人分の足音がわずかにずれながら森の中に響く。


 やがて木々の向こうに、大きな屋敷が見えてきた。山の麓に建つ、立派な構えの店だった。


 鬼衣(きぬ)屋。


 人間の目には、上質な反物や着物を扱う老舗の呉服屋にしか見えない。実際、人間の客が訪れることもあり、店では普通に商いが行われている。


 だが、この店を営んでいるのは鬼だった。


 人間の着物を扱う一方で、鬼たちの衣も仕立てている。とくに朱炎一族の者たちが身につける着物は、古くからこの店に任されていた。


 鬼と人、そのどちらにも衣を仕立てる店。それが鬼衣屋だった。


 店の中には数多くの反物が並び、奥には畳敷きの広間や、手入れの行き届いた中庭もある。客の中には当然のように鬼の姿もあり、反物を広げて品定めをする者や、仕立てについて店の者と話し込んでいる者もいた。


 黒訝が店先に姿を見せると、すぐに店の者が気づいた。


「黒訝様」


 恭しく頭を下げられる。


 黒訝はそれを当然のように受け流し、足を止めることなく店の中へ入っていった。


 その少し後から、蓮次が店へ入る。


 途端に、店内の空気が変わった。


 近くにいた者が蓮次に気づき、慌てて頭を下げる。それにつられるように、店の奥にいた鬼たちまで次々と動きを止めた。


 黒訝へ向けられた礼とは、明らかに違っていた。


 年老いた鬼たちは深々と頭を垂れ、中には畏れだけではなく、敬うような色を浮かべる者までいる。事情をよく知らない若い鬼たちも、周囲の様子を見て慌ててそれに倣った。


 蓮次は眉をひそめた。


「……そういうのは、やめてくれ」


 店の者たちが顔を見合わせる。


「……しかし」


「俺はそんな風に扱われる覚えはない」


 蓮次が強く言うと、鬼たちは戸惑いながらも少しずつ頭を上げた。


「……承知しました」


 誰かがそう答え、店内はようやく元の空気へ戻っていく。


 とはいえ、蓮次を見る目までは変わらない。露骨に頭を下げることをやめただけで、その眼差しにはまだ畏怖の色が残っていた。


 蓮次は小さく息を吐く。


 その様子を少し離れたところから見ていた黒訝は、面白くなさそうに蓮次を睨んだ。


 自分が店へ入った時とは、明らかに扱いが違う。


 それだけでも腹が立つというのに、当の蓮次はその扱いを喜ぶどころか、迷惑そうに拒んでいる。


(……くそ腹立つ)


 何がそんなに気に入らないのか、自分でもうまく説明できない。ただ、見ているだけで苛立った。


 その時、店の奥から明るい声が飛んできた。


「黒訝様ーー!」


 若い鬼の少女が三人、嬉しそうに駆け寄ってくる。


 一人は黒訝の腕にしがみつき、もう一人は肩に凭れ、残る一人は着物の袖を引いた。


「お久しぶりですね!」


「またお着物を破いたのです?」


「そういえば、黒訝様にぴったりなお着物がありますわ!」


 先ほどまで不機嫌そうにしていた黒訝の表情が、目に見えて和らいだ。


「お前ら、相変わらず騒がしいな」


「だって、黒訝様が来ると楽しいんですもの」


 そう言われても、黒訝は腕にしがみつく少女を振り払おうとはしない。むしろ満更でもなさそうに、三人の話を聞いている。


 その様子を、蓮次は少し離れたところから見ていた。


(……なんだこいつ)


 さっきまであれほど機嫌が悪かったくせに、女鬼たちに囲まれた途端に随分と楽しそうだ。


 なぜか、それが妙に気に障った。


(……なんか、ムカつく)


 何に腹を立てているのか、自分でも分からない。


 蓮次は小さくため息をつき、その光景から目を逸らした。


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