84.落ちた先に
滝壺に向かって、猛烈な勢いで落下している。
背中にあったはずの黒訝の存在が離れていく。彼はまだ気を失ったまま。
蓮次は反射的に手を伸ばす。
掴まなければ。なんとしても――。
だが、蓮次も限界だった。
視界が霞む。腕に力が入らない。黒訝っ、とかすれた声が喉から漏れたところで、意識が途切れた。
その時。
「よっ……と」
呟くような声とともに、空中に大きな影が躍った。
豪快な動きで、落下していく二人の身体を軽々と受け止める。勢いを殺さぬまま、影は向こう岸へと飛び上がった。
柔らかな地面に降り立つと、烈炎は腕の中の二人を見下ろし、にやりと笑った。
「まぁまぁだな」
まるで、二人の健闘を褒めるかのような声音だった。
耀はすぐに駆け寄ると、蓮次を受け取ろうとした。けれど、烈炎は腕を緩めようとしない。
「お前、まだ具合悪いんだろ」
短くそう言うと、烈炎は悠々とした足取りで歩き出した。耀は何も言わなかったが、それについていく。
鼻をつく血の匂いは薄れ始めた。
やがて、どこか懐かしい緑の香りが漂ってくる。
「……っ……」
烈炎の腕の中で、蓮次のまぶたが微かに震えた。視界はまだぼんやりしている。
「黒訝……っ」
声にならないほど掠れた息が漏れる。
蓮次は反射的に動こうとしたが、身体はまるで石のように重かった。それでも、必死に意識を繋ぎ止めようとする。
どこだ、黒訝は――。
「安心しろ、無事だ」
烈炎の低く落ち着いた声がした。
豪快な調子の中に、どこか優しげな響きがあった。蓮次はゆるく瞬きをし、烈炎の言葉を受け入れる。
安堵が意識をぼやけさせていく。
良かった、黒訝は生きている――。
そのまま、蓮次の瞼は静かに閉じられた。
耀はすぐ隣でその様子を見守りながら歩いていた。
夜風が、また静かに流れる。
遠く、朱炎の屋敷。
静かな夜気に包まれた廊下の奥で、朱炎は遠くを見つめている。
屋敷から離れた地にいる四つの気配――蓮次、黒訝、耀、そして烈炎。
その帰還を、朱炎は確かに捉えていた。
微かに含みのある笑みを浮かべながら。




