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  作者: Yonohitomi
一章
75/166

78.気づき、疼き


ゴツッ!!


鈍い音がして、蓮次の頭に衝撃が走った。


「いつまで寝てんだ!! 起きろっ!!」


黒訝の怒声が響き、それと同時に痛みが蓮次の意識を引き戻す。

蓮次は頭を押さえながら、ぼんやりと目を開けた。寒さと疲労で凍てついていた思考がゆっくりと回転し始める。

自分は――そうだ、黒訝に助けられ、氷水に放り込まれた。そして限界がきて、いつの間にか眠ってしまった。


状況を整理しようとする蓮次の横で、黒訝の苛立った声が響く。


「いい加減にしろよ! お前のせいで!! お前のせいで帰れないんだ!」


蓮次は静かに黒訝を見つめた。すぐに言葉を返そうとしたが、そのまま口をつぐむ。寒さのせいではない。


黒訝の目に浮かぶ感情は、単なる怒りだけではなさそうだった。


蓮次は小さく息を吐き、低く呟く。


「……放っていけばいいだろ」


黒訝の眉がピクリと動く。


「は? お前……このままここに居てどうするんだよ! 死ぬのか!? 死なないくせに! ! ずっと苦しむんだぞ! 馬鹿なのか!!」


怒りが滲んだ黒訝の言葉が、蓮次に突き刺さる。


「……俺がどうなろうと、お前には関係ないだろ」


そう返した蓮次の声は、微かに震えていた。


関係ない。


それなのに黒訝は、どうしてここまで苛立ちをぶつけてくるのか――


「関係あるに決まってんだろ!!」


黒訝が声を荒げる。


「お前のせいで全部滅茶苦茶だ! お前が急に現れて、父上が……!!」


蓮次は黙って黒訝の言葉を受け止めている。


黒訝は声を荒げて続けていた。

朱炎が蓮次ばかりを気にかけて、黒訝の方には目もくれなくなった、と。

蓮次が全てを奪っていった、お前ばかり特別扱いされている、と。


(……そうなのか?)


蓮次は静かに黒訝を見つめた。

確かに、黒訝の言う通り、朱炎は蓮次に力を与え、黒訝の任務にも同行させている。

集会の日の席では、黒訝と並んで座るように指示された。

だが、それが本当に黒訝の言うような「優遇」なのか?


蓮次は思い返す。


朱炎という鬼のことを。

朱炎は、言葉が少なく、何を考えているのか分からない。

いきなり試練を与え、助けるかと思えば突き放し、視線ひとつで圧をかけてくる鬼だった。


戦い方を教わったことはあった。

だが、それは教えられたというより、半ば強制的に戦わされ、身につけざるを得なかったというほうが正しい。


黒訝もまた、朱炎のもとで同じように鍛えられてきたのだろう。

きっと、幼い頃から朱炎の期待を背負い、朱炎の跡を継ぐことを求められてきた。


その立場からすれば、突如現れた「人間」に朱炎が目を向けたことが、許せないのも当然かもしれない。


だが——


「お前は……期待されてる」


黒訝の顔がさらに険しくなる。


「お前の着物だって、父上が特別に与えたものなんだ! 俺はそんなの貰えなかった!! お前は何も分かってない!!」


(……特別な着物?)


蓮次はわずかに眉をひそめた。

自分が着ている着物に、何か意味があるとは思っていなかった。ただ、朱炎に用意されたものを受け取っただけ。


しかし、黒訝の口から「父上」という言葉が出るたびに、胸の奥が疼くような感覚がする。


「……俺は父上に認められるために……こんなに……」


黒訝の声が震える。それは、怒りだけではなかった。

焦りと、悲しみ。


蓮次は慎重に言葉を選んで返す。


「……お前は強いよ」


黒訝の肩が微かに震える。目を掻くような仕草をして蓮次に背中を向けた。


「…………」


遠くからその様子を見ていた耀が、静かに体を起こす。


「黒訝様も、まだ子供だ。仕方ない」


烈炎が腕を組みながら低く笑った。


「餓鬼だな……」


黒訝は青年の身体つきをしているが、その実、まだ幼い鬼だ。

鬼の成長は人間とは比べものにならないほど早い。

生まれて一年も経てば、すでに人間の十歳以上の姿になり、数年もすれば青年のような体躯へと成長する。

だが、見た目がどれほど成長しても、精神の成熟はまた別の話だ。

黒訝はまだ数年しか生きていない。

その心が幼さを残しているのは、当然のことだった。


蓮次もまた、鬼の力を与えられたことで急激に成長した。

だが、それは身体だけの話であって、心まで完全に追いついたわけではない。


黒訝も蓮次も——どちらもまだ未熟だった。


沈黙が降りる。

その間にも冷たい陰の気は流れ続け、体力と気力を削っていく。


蓮次は静かに息を吐いた。

黒訝の「父上に認められたかった」という言葉が、頭の奥で響く。


認められたかった。

その感情は、分からなくもない。


けれどもっと何か――。


黒訝の言葉を聞いてから、ゆっくりと何かが浮き上がってきた。

蓮次は顔をしかめ、胸の奥を押さえつけるように拳を握る。


黒訝の言葉に、心が妙にざわつくのはなぜだろうか。


ふと、意識の奥に光景が滲む。

振り返ることのない大きな背中。


ずっと、気づかないふりをしていたが――


蓮次もまた、求めていた。

朱炎と過ごすうちに、あの目に映るのが自分であってほしいと思った。


過去の「蓮次」ではなく今の自分を映してほしい。


朱炎に認められたくて、何度も何度も、それを求めるように動いてしまっていた。

まるで、前世の自分が囁くように。


朱炎は父ではない。だが、それでも求めてしまった。

魂が震える。


蓮次のこめかみが痛みはじめた。


気づかないふりをしていたのか――。

なぜ、今になってこんなにも、胸の奥が疼くのだろう。


蓮次は頭を押さえ、息を詰めた。

心臓の鼓動が妙に強く響く。

だが、一度浮かび上がった感覚は簡単に消えてはくれなかった。


黒訝を見つめた。

俯いたまま、何かを振り払うように動かない背中。


蓮次の中で疼いているものと、黒訝が抱えているものはきっと、同じではないだろう。

だが、理解できてしまう。


「……苦しいな……」


息が詰まり、呼吸が浅くなっていく。

胸の奥が、締めつけられるように痛む。


蓮次はふと、周囲の景色に意識を戻した。

青白く霞んだ世界。冷たい陰の気がゆっくりと漂い、どこまでも広がっている。


このままではいけない。


「なぁ、黒訝……早くここを出よう」


声が少し掠れた。

黒訝は黙ったまま、じっとしている。


蓮次はもう一度、声をかけた。

しかし、反応はなかった。


まるで、この場に縛られたかのように、黒訝は動かない。

それを見た瞬間、蓮次の胸の奥で何かが軋んだ。


苦しみを超えて、哀しみが湧き上がる。

心の内側から溢れ出し、抑えが利かなくなる。


これは怒りでも、憎しみでもない。もっと深い――もっと暗い、別の感情。


悲しい。

どうしようもなく、悲しい。


蓮次は、それに耐えられなかった。


次の瞬間、空気が変わった。

ひどく重く、濃密な気が、ゆっくりと広がっていく。


蓮次を囲むように、ひたひたとまとわりつき、待ち構えていたかのように絡みつく。




烈炎が、鋭く息を呑んだ。

烈炎の僅かな動きと共に、耀もすぐさま動いていた。


二人は、瞬時に蓮次と黒訝の間に距離をとる。

警戒するように蓮次を見据え、戦闘の構えを取る。


耀の指先にはすでに術が宿り、烈炎の気も研ぎ澄まされている。


二人とも、感じ取っていた。

蓮次の内側から溢れ出す、異質なものを。



 

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