77.溶かす鬼火
空は見えない。
どこまでも広がる薄暗く青白い空間。
空気には冷え切った水蒸気が漂い、氷の粒が宙を舞っている。
遠くを見ようとしても、視界はぼんやりと青白く霞み、輪郭のはっきりしない世界が広がっている。
風は冷たく湿っていて、まるで氷の刃のように肌を刺した。
蓮次は地面にぐったりと横たわったまま、かすかに息をしていた。濡れた衣が肌に張り付いている。
水に投げ込まれた衝撃はとうに抜けたはずだったが。
寒い。
最初はただ息苦しく、体の奥が鈍く痛むだけだった。しかし、次第に寒さが実感となって浮き彫りになった。
熱を奪われた体は思うように動かない。
手足の指先がかじかみ、皮膚が氷に覆われたように感覚を失っていく。
体は震え、勝手に小さく縮こまった。耐えようとしても、震えを止めることはできなかった。
その様子に気づいた黒訝が振り返る。
「……寒いのか?」
蓮次と目が合った。しかし、彼は何も答えない。
蓮次の唇は青白く、体温が下がりきっているのがわかる。何もしなければ、冷え切ったまま動けなくなるだろう。
黒訝は指先を蓮次に向ける。
次の瞬間、静かな鬼火が生まれ、蓮次の体を包み込んだ。
「……っ!」
蓮次の体が一瞬、びくりと硬直した。
先ほどまで彼を焼いていた炎の記憶が、脳裏を過ったのだろう。
だが——
この炎は違った。
焼かれることはない。痛みもない。
じんわりとしたぬくもり。
蓮次の冷えた体がゆっくりと温められていく。
蓮次は息を詰めたまま、その温もりを確かめるように目を閉じた。
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優しくて、穏やかな温もりを感じる。
暗闇に光が差し込むようだ。
この温もりに「人」を感じる。
蓮次の脳裏に浮かんだのは、ぼんやりとした母の面影。
柔らかく、暖かく、包み込むような感覚。
これは黒訝の記憶だろうか?
まるで夢を見ているような、いや、誰かの夢を覗いているような感覚に沈む。
——眠ろう。
蓮次は静かに目を閉じた。やっと、深く息ができた気がした。
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黒訝は、眠りについた蓮次の隣に黙って腰を下ろした。
黒訝の腕には、火傷の跡。蓮次を抱えた時に火傷をした。
普段ならば、とっくに再生しているはずの傷。まだじりじりとした痛みが残っていた。
蓮次の寝顔を見て、黒訝は深くため息をついた。
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一方、白く閉ざされた世界の中で、二人の様子をじっと見つめる二つの影。耀と烈炎である。
「……荒っぽい助け方だな」
烈炎がぼそりと呟いたが、耀は特に反応を返さなかった。ただ、蓮次の落ち着いた呼吸を見て、少しだけ安心したように息をつく。
視界は霞み、見通しが悪い青白い世界。
空は見えず、地も遠い。ただ冷たく、静かな場所。
耀は近くの岩場に目を向けると、二つの大きな岩の間に体を挟むように腰を下ろした。
氷のように冷えた岩肌。背中にじんわり冷たさが広がる。
烈炎は横目で耀を見ていた。
寒さは特に気にしていないようだが……。
大きすぎる岩の間にいる耀の姿は、とても小さく見えた。
烈炎が手を上げる。すると、風の力で片方の岩が崩れ、少し広めの空間を作った。
「……」
耀は静かに横になる。
「冷えるか?」
烈炎が問いかけると、耀はゆるりと目を向け、「問題ない」と短く答えた。
言葉どおり、耀は寒さに関してはまったく気にしていないようだった。だが、それでも耀はしばらく考えた末、結界を貼った。
陰の気が漂うこの場所に、長居はしたくない——そんな落ち着かない気を含んだ結界だった。
結界の内側から空気の歪みを見上げる烈炎。静かに立ち上がると、黒訝と蓮次の姿が見える位置に移動し、周囲を警戒するように立った。
冷たく湿った空気は重苦しい。
昼とも夜ともわからない世界で、烈炎は微かに眉をひそめた。




