79.引き戻す拳
「いい加減にしろ!!」
ドゴッ!!
黒訝の怒声が響き、次の瞬間、蓮次の頭に鈍い衝撃が走った。
「っ……!」
強烈な拳が蓮次のこめかみにめり込む。視界が揺れ、一瞬何が起きたのか理解できずに黒訝を見上げた。
「はぁ!? なんで殴るんだ!」
蓮次が声を上げると、黒訝はさらに苛立ったように顔を歪める。
「ふざけんな! お前が毎度毎度ぼーっとしてるからだろうが!」
「はぁ!? 殴る前に話しかけるとか、何とかならないのか!?」
「てめぇがすぐボケっとしてるから腹立つんだよ!」
蓮次と黒訝は睨み合いながら言い合っている。
その様子を見ていた耀と烈炎は、張り詰めた空気が一気に緩んだのを感じ、構えていた力を解いた。
「まったく……」
烈炎が肩をすくめるように呟いた。
耀もほっとしたように小さく息をつく。
「階層が違うというのに、思わず構えてしまった……蓮次様のあの力は異常だ」
耀の目が蓮次に向けられる。先ほど、蓮次が見せかけた力――それは、ただの鬼の力ではなかった。
烈炎は腕を組んで顎を撫でる。
「歪みすぎだな……強すぎて、歪んじまったか?」
そう言った後、ふっと笑って肩をすくめた。
「まったく、朱炎様があのとき助けに行ってやれば、こんなことにはならなかっただろ? 馬鹿なのか」
耀が目を細め、静かに烈炎を睨む。
「朱炎様を侮辱するな」
烈炎は鼻を鳴らす。
「侮辱なんざしてねぇよ。ただ、今の蓮次は上手く扱わねぇとやべぇかもな」
耀は黙ったまま蓮次の様子を見つめる。
蓮次は前世、鬼として生きていたからこそ、極限の苦しみにも耐えることができた。だが、今の蓮次は違う。
人間として生まれ、無理矢理鬼に変えられた存在だ。前世の記憶がないはずなのに、前世の何かに引き摺られている。
まるで、過去の魂を今も背負って生きているようだった。
しかも、弱い。
そして、脆い。
朱炎のやり方はいつだって”鬼”である。
だからこそ、耀は今後の蓮次の行く末が気になった。
……とはいえ、今はとりあえず見守るしかない。
黒訝がいる。
先ほども蓮次が異様な力に飲まれかけた時、それを知ってか知らずか、黒訝が殴りつけて止めた。
そして今、蓮次と黒訝は仲良く喧嘩をしている。
耀の頭に朱炎の言葉が浮かぶ。
『黒訝が蓮次を支え、蓮次が黒訝を支える』
目の前の二人はもうすでに、支え合っているのかもしれない。
「おい、こら! てめえ! ぼーっとしてないでここから出る方法考えろよ!」
「……考えてる」
「うそだ! 考えてねぇからまたボケっとしてんだろうが!」
「うるさい! 考えてるんだ。静かにしてくれ」
「は? 何も考えてねぇくせに! また池にぶち込むぞ!くそがっ!」
「だから、うるさいって言ってるだろ!」
耀はふっと目を細める。
烈炎も力が抜けたように頭をかいていた。
「なんだ、こいつら。案外うまくやってんじゃねぇか……」
冷たく閉ざされた氷獄で、蓮次と黒訝の声だけが響き渡っていた。




