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  作者: Yonohitomi
二章
172/180

67.鬼の気



 耀はゆっくりと上体を起こした。しばらく体を休ませたはずだが、息を吸うたびに、未だ胸の奥にじりりとした地味な違和感がある。


 視界に入るのは、白い花。花弁は張りを失っておらず、生き生きと咲いている。


 この重い空気の中、呼吸しづらいのは花も同じだろうと考え、耀は部屋の空気を入れ替えた。

 外の冷ややかな空気が肺に染みる。


 振り返り、「お前は平気か?」と、思わず花に話しかけそうになって──やめた。


 ふと目に入る。

 花を生けたばかりの器の、わずかに濁った水。


「……腐っている?」


 独り言のように呟き、耀は慎重に確かめる。


(今朝生けたばかりなのに、こんなに早く腐るだろうか……)


 体調がまだ整い切っていないため足取りは覚束ないが、水を替える程度なら問題ない。

 屋敷の裏のすぐ近く、湧き水が伝う岩壁へ向かい、新鮮な水と入れ替えた。


「これで良し」


 部屋に戻る途中、烈炎の暑苦しい気配どころか、誰の気配を感じられない。


「やけに静かだな……」


 耀は遠くを見つめた。


 この間、手元では──こぽり、こぽりと。

 鼓膜を揺らすことなく花の水が音を立てていた。


 屋敷の裏側から入り、自室へ戻る。

 耀は元の場所へ花を飾った。


 しばらくして喉が詰まり、再び咳が込み上げる。


「……っ」


 手で口を押さえると、ざらりとした感触が零れた。掌に残ったのは、細かな砂利。


 耀は、それを見つめたまま、言葉を失う。

 気を抜いてはならない──そう、改めて己に言い聞かせる。

 神経を研ぎ澄ませ、体調を整えることに集中した。

 

 この時、相も変わらず一族の皆は今日も宴だと騒がしく準備をしていた。日常は何も変わっていなかったのだ。

 ただ、耀の耳に届かなかっただけ。ただ、耀が皆の気配を捉えられなかっただけである。

 耀の「鬼の気」は、本人の知らぬところで乱れ切ってしまっていた。



***



 烈炎との稽古で力尽きた蓮次は、深く眠っていた。

 布団の中。身体は浮かぶようで、沈むようでもあり、意識の奥では、もわもわとしたものが幾つも漂っている。


 これは何だろう。

 それに、なぜ身体が思うように動かないのだろう。


 けれど、母の匂いが残る温もりに包まれ、このまま漂っていたいという気持ちが勝った。


 夢の中に浮かぶもわもわは、屋敷にいる鬼たちの数とぴたりと重なっていた。

 赤や黒がほとんどで、ひとつだけ、異なる色が混じっていた。だが、蓮次には、まだそれが何色か分からない。


 寝言で母の名を呼びながら、それらの正体を追いかけるように夢の中で駆け回っている。



***



 妻の紅葉を抱えた朱炎は、別邸近くで紅葉を下ろした。

 耀が視界の共有で見せた道順通りに朱炎が進み、紅葉があとを付いていく。


「朱炎様、あのお屋敷です?」


 綺麗に整えられた門をくぐり、奥へ向かった。

 ほどなくして気配を察したと思われる鬼女紅葉、紅土、火土丸が姿を現した。


 鬼女紅葉は朱炎を見るなり、口角をつり上げた。


「随分と時間がかかったのお?」


含みを帯びた声音に、妻の紅葉が不安げに朱炎を見上げる。

その視線の動きを見逃さず、鬼女紅葉はくつくつと笑った。


「心配するな。こんな狂った男に、妾は興味などないわ」


 そう言って、今度は紅葉に詰め寄る。


「それよりも……おお、肌艶が良いのお?」


 からかうように、可愛がるように顔を覗き込んだ。

 紅葉は戸惑い、朱炎の方をちらと見る。

 朱炎は、ふっと鼻で笑い、顔を背けた。


「あの……」と、紅土が小さく呟き、首を傾げる。

「紅葉様が、二人?」


 紅土の問いに、鬼女紅葉が愉快そうに答える。


「ふふ、そうじゃ。我が名は紅葉」


 そして、少しだけ声を落とし、朱炎の妻である紅葉を見る。


「だが、同じ名では呼びにくかろう?」


 指で自分を指し示しながら続ける。


呉葉くれはと呼べ。人間だった頃の名よ。鬼として蘇ったが、妾は今世、人のように生きようと思う」


 朗らかに笑い、「鬼の人生、というものよ」と得意げに朱炎へ視線を投げた。


 朱炎は表情を変えず、背を向け歩き出そうとする。

 その背に、呉葉が声を掛ける。


「待て、朱炎。急ぐのだろう? 案内しよう」


 朱炎が振り返る。

 妻の紅葉はさらに不安そうな顔をしていた。


「安心しろ。お前もついてくるが良い」と呉葉はそう言って、二人を案内する。


 そこは岩屋だった。


「以前、いくつかの岩屋を使っておった。ここも、まだ妖力が残る」


 呉葉は周囲を見回しながら続ける。


「朱炎よ、急ぐならば使うといい。ここを繋げてやろう。お前の屋敷の近くに洞窟はあるか?」


 呉葉は、朱炎から譲り受けた例の耳飾りを、とん、と指で叩いて見せた。

 朱炎は目を閉じ、屋敷近くの洞窟を思い浮かべる。その像の想念を呉葉の耳飾りへ送り込んだ。


「……わかった」


 呉葉は頷き、岩屋の奥へ進む。古い縄を引き裂き、奥の岩壁に手を当てた。


 闇が、ゆっくりと広がった。どこかと繋がる、裂け目のように。


「どうだ、便利であろう?」


 呉葉得意げに口角を上げた。


「ああ、礼を言う」


「礼には及ばん。仮は返しておきたいのでな」


「……そうか」


「朱炎様!」


 背後で、紅葉が声を掛ける。


「お気をつけて……」


 朱炎はただ振り返ったのみ。頷く事もなく闇の中へと進んでいった。


「朱炎様……」


 夫の後ろ姿の名残を、心配そうに見つめる紅葉。

 しかし対照的に、呉葉は大きく笑った。


「案ずるな。ほれ、美味い茶菓子も用意しておるぞ」


 紅葉は「え?」と驚いた顔をしたが、呉葉は気にした様子もなくその手を引いた。


 朱炎の姿は、すでに向こうの屋敷へと移動していた。


 


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― 新着の感想 ―
耀の体調が……白い花は元気ということは、危ないですね(焦 「烈炎の暑苦しい気配どころか、誰の気配を感じられない。」って、烈炎のこと考えてる笑 もうちょっとで朱炎様帰ってくるから、今のうちにきゅうりを補…
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