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  作者: Yonohitomi
二章
169/180

64.術師の帰還



 屋敷の長い回廊には、香木と薬草の混じった匂いが薄く漂う。灯籠の火が揺れ、影も揺れる。そこへ、ぱたぱたと軽い足音が響いた。


「姐様、おかえりなさいませ」


 小袖を揺らしながら飛び出したのは、道摩に仕えてまだ日が浅い少女──鈴芽だ。

 彼女は深く頭を垂れ、姐様と呼んでいる女を見上げて嬉しそうに笑う。

 女は少女の頭をぽんと撫でると、艶のある佇まいで扇を口元に寄せた。


「よくやったわ、鈴芽。あの鬼、あなたが幻影だと気づかなかったわよ。今ごろ、本当に死んだと思っているかもしれないわね」


 鈴芽はくす、と喉を鳴らし、得意げに自分の影を裂いた。

 影は二つに分かれ、瞬きの間に「もう一人の鈴芽」を形づくる。


「鈴芽、こら」


 紫苑は指で軽くその額をつついた。


「術は十分見せたでしょう。力を無駄づかいしないで」


「だって、私ってすごいでしょう? あの青鬼様にも気づかれないのよ」


「ああ、見事な術と芝居であった」


 低い声が、広間の奥からゆるりと届いた。

 現れたのは、凛とした佇まいで空気を制する男──道摩。姉の紫苑と妹の鈴芽を、他家から見出し、己の配下に置いた人物である。


「お役に立てて、嬉しゅうございます、道摩様!」


 鈴芽が明るく頭を下げると、道摩はゆるく片眉を上げた。


「──とはいえ、あの鬼よ。人の子でないと気づいたであろうな」


「え?」


「それでも成ったのは──」


 そう言いながら、道摩は視線を広間の奥へ滑らせた。


「お前たちの芝居が巧みに鬼の思考の余裕を奪い続けたゆえだ」


 そこには、父方の術師たちが沈んだ顔で控え、兵を束ねる男──雅成(まさなり)が腕を組んで座していた。


「雅成よ、お前たちの、あからさまな矢の雨。鬼の考える間ごと封じたゆえ、見事とは言っておこう」


 褒め言葉でありながら、棘を含んだ道摩の声音に兵たちはざわりと揺れた。


「だが──」


 道摩の唇が、愉しげに歪む。


「青鬼を討てと言った覚えはないがな」


 雅成は鼻を鳴らして顔を背けた。ぴんと空気に緊張感が走る。

 しかし紫苑が扇を鳴らて空気を割った。


「さぁ、あの鬼。花を持ち帰るかしらね?」


「姐様、それが……」


 鈴芽が口をつぐむと、道摩と紫苑の視線が同時に向けられた。


「花に仕込んだ術は、どうなった?」


 道摩の問う声は静かであった。だが、鈴芽は少しばかり肩をすくめる。


「申し訳ございません、道摩様。最後……青鬼様が拾われて。触れた途端、術がとけてしまいました。だからもう、何も視れなくて……」


「何だと?」

「見破られたのか……?」

「いや、気づいたのでは……?」


 ざわめく中、道摩だけは眉ひとつ動かさなかった。

 しばし思案し、やがて低く呟く。


「……そうか」


 焦りも落胆もない声色だ。

 鈴芽の不安げな瞳を見て、道摩は穏やかに微笑む。


「構わぬ。天が視させぬなら、別の道を使えばよい」


「道摩様……」


「お前と紫苑の術は、よく働いた。案ずるな」


 その言葉に鈴芽の肩がほっと落ちる。

 紫苑もかすかに微笑み、妹の背をそっと押した。


 雅成が咳払いをし、問う。


「では、この先はどう動くのだ! 今すぐに仕掛けなければ!」


 隙あらば八つ当たりしようとする雅成だが、道摩は彼を相手にせず、紫苑へ指示を飛ばす。


「紫苑。準備を」

「はい、道摩様」


 阿吽の呼吸で進むそれは、高度な術師たちの間でしか通じない。

 紫苑は袖の中から桐箱を取り出し開けた。


 中には五つの壺。その壺に封じられているのは自然の欠片である。

 木の屑、水の滴、火の灰、土の砂、金の鉱片。

 そして紫苑独自の術式で、壺にはそれぞれ異なる呪符が貼られている。


 雅成が低く呟く。

「紫苑の五象巡りか……」


「ふふ、お任せくださいな」

 紫苑は壺を円の形に並べ、白絹の上に指を滑らせた。絹に描かれた符が淡く光り始める。


「占うは、あの鬼の行く末」


 紫苑は掌を合わせる。

 すると壺の中の象がふわりと浮き、光を帯びて巡り始めた。

 やがて紫苑は脳内に浮かぶ占術の結果を、声に出して読む。


「腐水は血を濁し、巡りを止め、金は水を求めて軋み、土は鉱を呑み込み、重く沈む。

 木は土の腐りに侵され、干からび、根を失い、葉を落とす。

 五行、巡らず。巡らぬゆえに、力は枯れ、

 鬼は呪い、病に伏す」


 紫苑はそっと目を開けた。


「未来は定まりきってはおりませぬが、巡りを失う者ありと、五行は示しております」


 静まり返る屋敷の中で、道摩は静かに頷き、わずかに笑んだ。


「上々だ」


 道摩がふと遠くを見つめた。


「鬼が病む。焦ることはない。天は我らに味方しておる」


 威厳のある佇まいに鈴芽が息を呑む。雅成もわずかに目を細めた。


 白い花の結末を道摩は知らない。だが鬼の心に残る情が病の芽と変わる事を確信していた。


(鬼は、呪う事しかできぬ……)


「なんとも、哀れな……」


 ぼそりと呟かれた道摩の言葉に、皆が一斉に首を傾げた。



 

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― 新着の感想 ―
おや、全員身内だったのか。手の込んだお芝居でしたね。耀をターゲットに動いてたのか。 じわじわと、耀の心を不安定にしていくような方たちなんですね。 道摩、なにをしようとしてるのかな。紅葉さんが鬼に嫁いだ…
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