63.鬼の居ぬ間に(8)
「鬼よ、人にならぬか?」
枝葉が擦れ、ざわりと揺れた。まるで放たれた問いを森そのものが飲み込んだように。
近くの鳥がばさりと飛び立ち、空気がひときわ冷たくなる。
耀はひとつ、ゆっくりと息を吐いた。馬鹿げた戯言を耳にしたとでも言うように、返す。
「ならない、と言えば?」
「ふふ、そうであろうな」
道摩は初めからこの返答を見越していたかのような態度だ。余裕の笑みを見せ、わずかに目を細める。
「一度、よく考えてみよ。鬼として生きることに、果たしてどれほどの価値があるのかを」
道摩は理解していた。耀が、自分の存在意義を朱炎を介してしか見いだせないことを。
だからこそ、その隙を突く。
耀の気が乱れ始めている今が好機なのだ。
「蓮次を見て、お前は何を思う?あの子の未来を、どう捉えておる?」
道摩は耀の黙り込む姿を見て、畳み掛けるように問いを重ねていく。
「朱炎一族の行く末を、お前はどう見ている?」
「…………」
「蓮次と紅葉が引き離された事を、どう思う。その苦難の続きに……何があるのか」
「…………」
「鬼として生きるというだけで、お前たちの家族はいつも不幸に晒されている」
言葉の攻撃を脳髄に食らった耀。呼吸をも忘れ、思考を停止させてしまう。
道摩はふっと穏やかに視線を落とした。
「では、失礼する」
ゆっくり踵を返すように見せ、ふいに振り返る。そして、挑発めいた目を耀に向けた。
「我は、妹・紅葉の幸せを願う。彼女には鬼であろうと、人として生を全うしてほしい」
言い終えて、また背を向け、歩き出す。
「……鬼は、他人の幸せを願えぬか」
あえて独り言のように言い置いた。
風がひゅう、と彼らの間を裂くように吹き抜けた。
道摩と術師たちの姿が闇に紛れると、森は再び夜の形を取り戻した。
──耀だけを喧騒の中に残して。
葉のざわめきが胸の奥の音と重なる。
「……他人の幸せ、だと?」
低い呟きには、かすかな苛立ちが滲んでいた。
蓮次の顔が浮かぶ。
——鬼でなければ、
もっと笑って過ごせただろうか。
紅葉と引き裂かれることもなかったかもしれない。
そして、朱炎。
蓮次が生まれてから、あの圧倒的な王の佇まいが、ときどき揺らぐように見える瞬間がある。
朱炎様は、朱炎様であってほしい——強く、揺るがぬ存在であってほしいと思う。
ふと視界の端が白く揺れた。すぐ近くに白い何かが落ちていた。
「……花?」
少女が差し出したあの白い花だった。
耀はゆっくりと歩み寄り、片膝をつき、そっと拾い上げた。
問いを胸に浮かべながら、花をそっと指先で包む。
あの少女は……生きているだろうか。
無事に逃げ切れただろうか。
(人の命は、短いのだったな……)
耀自身に、生への執着は薄い。
朱炎に拾われ、生かされたからこそ生きているだけだ。
命を差し出す相手が変わっただけで、どれだけ差し出してもこの命は終わらない。天はいつも、死ぬなと鬼の身体を蘇らせる。
長すぎる寿命。余らせるくらいなら、ほんの少しでいい。あの少女に分けられたら。
そんな願いが胸に灯ったとき、耀は自然と口にしていた。
「……どうか、枯れないでくれ」
花に向けた言葉は願いだ。
あの少女が死なずに生きてほしい、という思い。
耀はこの時、自身が鬼である事を忘れてしまったのかもしれない。
神は、人の願いは受け入れても、鬼の願いは受け入れない。それは、祝福ではなく呪となるからだ。
鬼の願いは花に宿った。小さな呪として根を張り——枯れない花となる。
耀はその呪いの花を大切そうに手に収めた。
ざわ……ざわ……と森が鳴る。木々がざわめき、鴉が一斉に声を上げる。
——呪を持ち帰るな。今すぐ手放せ。
森はそう告げていたが、耀は気づかない。
「さて、戻るか……」
***
「……耀?」
屋敷でぽつりと呟いたのは、寝起きの蓮次。
寝言と捉えた烈炎が、蓮次を布団に押し戻す。
***
「……?」
川沿いを進む足を止め、ふと振り返ったのは朱炎だ。
隣を歩く紅葉が不安そうに彼を見上げる。
「朱炎様、何か?」
「……いや、進もう」
「雨……降りそうですね」




