8.名もなき客人
毎日更新、どこまでいけるか…
重厚な鉄門の前で、馬車が静かに止まった。
御者が扉を開ける。
「お着きいたしました」
アネリエは一瞬だけ目を細めた。
(……迎えが来るとは思わなかったわ)
宿の前に現れた豪勢な馬車。
気を遣ってくれたのか、貴族が利用するには地味なデザインではあったが……
それでも、平民が利用するには些か派手である。
周囲の注目を集めてしまったが、そんな視線は慣れたものだ。
アネリエは気にせず、ゆっくりと馬車を降りた。
門が開く。
その奥に広がるのは、アルヴェイン伯爵家の屋敷。
整えられた庭。無駄のない造り。
静かな雰囲気から、使用人は最小限にとどめているのだろう。
(……歓迎、ではないわよね)
出迎えに立つ使用人たちの視線は、どこか硬い。
歓迎というより、“様子見”。
「お待ちしておりました」
その中でただ一人、ディルクだけが穏やかに一礼する。
「ようこそお越しくださいました、お客様」
その呼び方に、アネリエは内心で頷いた。
(……“お客様”だなんて、新鮮だわ)
アネリエは名乗っていない。
ブラッドレッドでは何者でもないのだ。
だからこそーーちょうどいい。
「お世話になります」
アネリエは小さく頭を下げた。
…
屋敷の中は、外観と同様に整えられていた。
豪奢ではあるが、装飾は控えめ。
美しいのに、どこか温度がない。
「当家には常住の者が少なく、部屋はいくつも空いております」
ディルクの案内は淀みがない。
「当主様も騎士団の業務が多く、屋敷を空けることが多いです」
「……そう」
ライオネルは常にここにいるわけではない。
(……分かりやすく仕事人間、というわけね)
アネリエは前世のライオネルを知っている。
しかし、敵国同士というのもあって、詳しいわけでもない。
気怠そうな態度。
しかし、王政に手を抜いているわけでもない、読めない人。
そんな彼の、人と成りを知るたびに情け深い気持ちになる。
ディルクが立ち止まる。
「こちらをお使いください」
案内されたのは、屋敷の奥に位置する一室だった。
扉を開く。
広く整えられた部屋。
明らかに“客室”ではない。
(……あら)
家具は簡素だが質が良い。
装飾は控えめながら、長く使われてきた落ち着きがあった。
生活の気配が、わずかに残っている。
今は、誰も使っていないのだろうか。
(随分と、扱いがいいのね)
ただの居候に与えるには過分だ。
視線を動かす。
廊下の向こうで控える使用人たちの表情は、変わらず硬い。
ーーが、無視できない“線”が引かれていた。
軽んじてはいけない。そんな空気だ。
その中心にいるのは…
「何かございましたら、お申し付けください」
執事長ディルクだった。
(……なるほどね)
アネリエは小さく息を吐いた。
一人になった部屋。
椅子を寄せ、片膝を抱え込むように窓辺に座る。
(……学院には行けなくなった)
ブラッドレッドに認められるため。
住む場所を確保するため。
リカージョンから身を守るため。
ーー他にも、通う目的があった。
(……この国のこと、私はまだ知れていない)
これでも人生は二度目。
他国の情勢、主要な貴族、経済分野等。
基本的な情報は全て頭に入っている。
ーーしかし、足りない。
今世では、優先事項が明確である。
助けるべき人も、果たすべき役割も。
つまり、今まで学ぶ時間を確保できなかったのだ。
(……仕方ないわ。私の身体は一つしかないもの)
だからこそ、学院は最適だった。
「……まあ、いいわ」
代替はいくらでもある。
アネリエはディルクに尋ねに行った。
広い屋敷だが、一度案内されたのだから迷うことはない。
「図書館は近くにあるかしら?」
彼はわずかに考えた後、答えた。
「それでしたら、当家の書斎を利用なさってはいかがでしょう」
アネリエは目をぱちくりさせる。
自分でいうのも何だが、こんな得体の知れない女に書斎を開放してくれるというのだ。
「先代が収集された蔵書がございます。かなりの数ですから、お役に立てると思いますよ」
困惑したアネリエを察したのだろう。
ディルクは小さく笑った。
「当主様には私から話しておきましょう」
ここまで言われてしまったら断る理由がない。
それに、逃亡中の身としては、外に出る必要がないというのも魅力的だ。
「……お願いするわ」
…
それからのアネリエは、書斎に籠もるようになった。
文字通り、朝から晩まで。
一冊を読み終えれば、次。
また次へ。
分野は偏らない。
歴史、経済、薬学、地理ーー
まるで“必要な知識を選別している”かのようだった。
ページを捲る速さも、明らかに常人ではない。
侍女たちは遠巻きに囁く。
「……あの方、どこのご令嬢なの?」
誰も、答えられなかった。
…
「書斎に?」
ライオネルは、ディルクの報告に眉を上げた。
「はい。朝から晩まで…というより、蝋燭の補充に来ていたので、“一日中“というのが正しいかと」
「……ほう」
短く息を吐く。
ライオネルは、彼女が“ヒスイ”であると疑っていた。
しかし、当人はそれを知らない。
隠しているのか。本当に知らないのか。
どちらにせよ、開示できる情報も限られている。
機密情報を垂れ流すわけにもいかない。
だからこそ、監視するために屋敷に招き入れたのだ。
ライオネルは指先で机を叩いた。
「ディルク」
「はい」
「あの女、どう思う」
またか、とディルクは内心で息をついた。
この当主様は指示は的確なのに、大雑把に意見を求めてくることがある。
だからどうということもないが。
「行動はご令嬢らしくないですが、少なくとも教養は、しっかりとお持ちの方かと」
「つまり?」
「……貴族かと」
ライオネルは特に反応しない。
分かりきっていたことなのだろう。
であれば、彼女は何処の誰なのか。
「国内に該当しそうな貴族は?」
「……何名かいらっしゃいます。ただーー」
ディルクは一瞬迷ったが、言った。
「目の色、髪の色ですと、“聖女”様とも一致します」
半分、冗談のようなものだ。
主人がどのような反応をするのか見てみたかっただけ。
ディルクは表情を崩さずに返答を待つ。
すると、ライオネルは大きなため息を吐いた。
どうやら、その可能性も考えてはいたらしい。
「……喜劇もいいところだ」
吐き捨てるように呟く。
だがーー
その指先は、机を叩くのをやめていなかった。
(……確かめる必要があるな)
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やる気が出るので笑
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