6.利害の一致
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王都の中心から少し離れた場所。
整えられた石畳の先に、それはあった。
ーーブラッドレッド王立学院。
高くそびえる門。
規律を感じさせる造り。
そして、その奥に広がる広大な敷地。
アネリエは、その門の前に立っていた。
(……ついにきたわね)
静かに視線を上げる。
この学院は王族直轄でありながら、外部からの圧力を受けない。
貴族も平民も平等に扱われ、多くの生徒は寮に入り、身分から切り離された環境で生活する。
そして何より——ここでの研究は、国に認められることもある。
アネリエは息を吐いて気を引き締める。
この国で動くための“正当性”。
そして、表に立つための“理由”。
(……計画通り、ね)
アネリエは鞄から受付表を取り出す……前に、振り返った。
「……ねぇ、ストーカーさん」
「なんだ?」
やはりというべきか、ライオネルだ。
その少し後ろに、広場で見た部下の姿もある。
「……私に何か御用でしょうか?」
「ただの見回りだ」
平然とした返答。
流石に、ため息を吐かずにはいられない。
アネリエの態度が気に入らなかったのか。
わざとらしい言い訳のようにライオネルは言った。
「助けてやったのに、挨拶もそこそこに出ていく不届者がいたんでな」
「……面倒そうにしてたからじゃない」
日が昇った後、アネリエは早々に家主に挨拶に行った。
しかし、ライオネルは朝に弱いらしく、アネリエを見ようともせずに手を振って追い払った。
ーーそういう経緯である。
なお、川へ飛び込む前に身につけていた物は、まだライオネルの手元にあった。
アネリエは言いたいことを飲み込む。
今は挨拶を仕切り直すだけでいい。
「アルヴェイン伯爵。昨日は格別のご高配を賜り、誠に恐悦に存じます。このご恩義、決して忘却することなく、胸中に深く刻ませていただきます」
ライオネルの眉がぴくりと動く。
(……やりすぎたかしら)
過ぎた礼は、時に皮肉に映る。
ライオネルは一瞬考える表情を見せる。
だがすぐに、喉の奥を鳴らして笑い出した。
「そうだな、“眠り姫”にしては見事な挨拶作法だ」
「……は?」
口元がひきつる。
アネリエの事情を知ってか知らずか。
ここまで見事な皮肉は生まれて初めてだ。
「よく眠るだろう」
「不可抗力です」
「どうだか」
随分と楽しそうだ。
完全に面白がっている。
アネリエは、前世のライオネルを思い出す。
そうだ、こういう一面もある人だった。
「……もう、なんでもいいです」
少しだけ拗ねたように言った。
といっても、怒っているわけではない。
おそらく彼は、名乗っていない私に対して、“眠り姫”という汚名で許してくれたのだ。
(……得体の知れない女を気にかける理由は何?)
聖女だと知られたか。
危険な薬を作ると警戒されたか。
顧客証が気になるのか。
全て憶測で答えは出ない。
頭を悩ませるアネリエを、ライオネルは面白そうに見ている。
すると、後ろから声をかけられた。
「……姉様?」
甘やかで、耳に残る声。
アネリエはハッとして振り向いた。
金髪に青い瞳の少女。
流行を取り入れたドレスが、華やかな彼女にとても似合っている。
「……メル、よく分かったわね」
「分かるわよ」
ララメル・プレーンズ男爵令嬢。
言うまでもなく、プレーンズ商会の歩く広告塔である。
ララメルは軽やかに歩み寄る。
彼女の柔らかそうな白い手は、アネリエのフードをはらりと払いのけた。
遮られていた日の光が目に飛び込んでくる。
「そんな格好をしていても、姉様は姉様だもの」
大きな瞳がこちらを見て、にっこりと笑う。
おおかた、彼女の兄に居場所を聞いたのだろう。
「で? ここに通うつもりなの?」
「ええ」
彼女は悩む表情を見せた。
そしてさらに一歩近付き、声を落とす。
「……やめた方がいいと思うけど」
彼女に合わせて、アネリエも声を落とす。
「……どうして?」
「探されてるわよ、姉様」
さらりと言う。
行方を調べる者がいるのは想定内だ。
しかし、学院に通えないほどというのは想定外である。
「この前のパーティ、覚えてる?」
「……ええ」
「泣いたでしょ」
相変わらず、耳が早い。
彼女を見ると、困ったように眉を下げた。
「同情を買いすぎちゃったわね」
ララメルはため息を吐く。
そして両手を広げ、呆れたように首を振った。
「『俺が守る!』と鼻を膨らませている紳士が多いこと多いこと…」
「…………」
アネリエは考える。
学院は外部からの圧力を受けないが、本気になった貴族の影響力も無視できない。
どうやら、アネリエの涙は余計な庇護欲を刺激してしまったらしい。
(……王立学院に通わないと、意味がない)
しかし、計画通りに人生が進むとも思っていない。
知識、人、才能、天候、未来…
どれだけ知っていたとしても。
どれだけ経験していたとしても。
望んだ結果を手に入れるのは難しい。
今世は二度目だけれど、取り返しのつかない失敗は一回や二回じゃない。
その度に悩み、考え、覚悟し、計画を変えてきた。
“ブラッドレッド王立学院に通う”
これも、未来を変える大きな分岐点ではあるが、多くある変更点の一つにすぎない。
「……分かったわ。通うのは辞める」
アネリエは観念した。
それに、ララメルがこういう振る舞いをする時は、導きたい結論があるのだ。
アネリエの判断を聞いたララメルは、にこにこと口元を緩めた。
だが、すぐに表情を変える。
大商人の娘、もしくは貴族令嬢にふさわしい仮面を付けたのだ。
そのまま彼女はくるりと振り返り、ライオネルへ向き直った。
「ご無沙汰しております。アルヴェイン伯爵様」
「……何だ」
プレーンズ商会は王室御用達だ。
顔見知り程度にお互いを知っているのだろう。
「姉様を守っていただけないでしょうか?」
「……え!?」
思わずアネリエが声を上げる。
一方で、ライオネルは頭を下げるララメルを静かに見下ろした。
「……それは、屋敷で匿えということか」
「おっしゃる通りでございます」
ララメルの瞳に迷いはない。
それに、ライオネルがいることに疑問を抱いている様子もない。
つまりーー
(……メルは彼の目的を知っているのね)
情報ギルド。
それがプレーンズ商会の裏の顔だ。
メルは表の人間だが、ある程度の情報は共有を受けているのだろう。
また、彼女はアネリエへ向き直る。
「学院に通う理由の一つは、“住む場所の確保”でしょ?」
「……そうね」
「伯爵様の屋敷以上に安全な場所って、そうそうないと思うけど?」
あまりにも突飛すぎる提案。
当然、拒否すべきだ。
しかし、アネリエは口を閉じた。
興味があったからだ。
彼の返答に。
「……悪くない」
好奇心を孕んだ声。
彼はあっさりと頷いた。
「むしろ好都合だ」
視線が重なる。
アネリエに逃げ場はない。
(……本当に承諾するなんて)
これは嘘偽りない礼儀だ。
アネリエは、淑やかに一礼した。
「しばしの間、ご厚情に甘えさせていただきます」
頭を下げたまま、アネリエは足元を見る。
依然、ライオネルの目的は分からない。
しかし、自身の目的は分かっている。
ブラッドレッド国に来たことも。
王立学院に通うことも。
ーーライオネル・ヴァルド・ブラッドレッド
すべては、彼の信頼を得るために。
(……“好都合”は私のほうよ)
アネリエは感情を押し込み、顔を上げる。
その瞳には複雑な色が織り混ざっていた。
ーーまるで、翡翠のような。
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