4.躊躇がない
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(え、な、なに……!?)
唐突に、嫌な感覚が走った。
何かを見誤った、そんな確信にも似た違和感。
心臓がうるさく鳴る。
背筋を、冷たいものがなぞった。
――金色の瞳
先ほどまでの、ただ鋭いだけの視線ではない。
獲物を見つけた獣のように、焦点を絞った眼差し。
(……さっきまで琥珀色だったわよね?)
何が、とは言えない。
だが、このままここにいるべきではないと本能が告げていた。
「それで? 貴様の名は?」
「答えるわけないでしょう。私はもう帰るので、お二人ともお気をつけて」
ひらひらと手を振る。
軽い仕草とは裏腹に、内心は落ち着かない。
今日はもう帰って状況を整理しよう、改めて仕切り直せばいい。
そう判断した、その時ーー
「――た、助けてください! 子どもが……川に……!!」
切羽詰まった叫びが、風に乗って届いた。
アネリエの足が、ぴたりと止まる。
「……子ども?」
心臓が早鐘を打つ。
あわせて、呼吸も浅くなっていく。
考えるよりも早く、声がした方へ身体が動いた。
(……どこ!?)
ローブが翻り、隠していた亜麻色の長い髪が揺れる。
アネリエは構わず人混みを縫い、迷いなく走った。
背後で、ライオネルがわずかに目を細める。
(……速いな)
反応、判断、行動…
ライオネルは、冷静に翡翠の女を分析する。
最初に感じた違和感は間違いないようだ。
「おい、行くぞ」
「は、はい!」
目を逸らした獲物を、猛獣が逃すはずがない。
ライオネルは短く告げ、後を追った。
…
王都の外周を流れる川は、決して美しいものではない。
濁った水は茶色く淀み、流れもある。
生活排水やゴミが流れ着き、独特の臭気すら漂っている。
そのため、外周区の川には不用意に近づかないのが常だった。
だが今は、人だかりができている。
「流された!」
「誰か……!」
焦りと混乱。
しかし、誰も助けようと行動する者はいない。
不浄さも、足場のなさも、この川の危険性をよく知っているからだ。
「――あそこ!」
誰かが指を差した。
水面に沈みかけている、小さな影。
必死にもがいているが、すでに限界が近い。
普通なら、間に合わないと判断する距離だった。
しかしーー
アネリエは迷わなかった。
翡翠の瞳が溺れる子どもを捉える。
彼女は走りながらローブを脱ぎ捨て、腰に巻いていたベルトごと、強引に荷物を外す。
動きを一切止めず、軽くなった身体でそのまま踏み切った。
底が見えない淀んだ水。
地元住民さえ避ける川に、アネリエは躊躇なく飛び込んだ。
大きな水飛沫。
汚れを知らない白い肌が濁水に沈む。
ライオネルはわずかに目を見開いた。
(……)
あの女は先ほどまで、言い逃れできないかと計算していた。
まさか、あっさりと自身を投げ出すとは。
ただ、一直線に。迷いなく。
…
水の中は視界が悪い。
濁りが強く、ほとんど何も見えない。
(……どこ、なの)
とにかく、前へ前へと手を伸ばす。
流れに身体を持っていかれそうになるのを必死に耐えながら。
そしてーー指先に、何かが触れた。
(いた……!)
柔らかい小さな腕。
ぐったりと重くなった身体を力一杯に抱き寄せる。
(……意識がない)
きっと、水を飲んでしまったのだろう。
沈む寸前だった。よかった。
(……っ)
安心したのも束の間。
息が苦しくなってくる。
アネリエは、力の限り水を掻いた。
焦り、大量の息を吐く。
しかし、何とか水面へ浮上した。
「はっ……!」
苦い空気が肺になだれ込む。
さっきとは違う張り裂けそうな苦しさに、身体がついてこない。
だが、こんな状況でも頭はまともに動く。
(……登れない)
周囲を見渡すも堤防は高く、足をかける場所がない。
早く、早く…
子どもが命を落としてしまう。
(……とにかく、流されないように壁に寄らないと!)
その時ーー
「おい、掴め!!」
力強い声とともに、ロープが降ってきた。
端を掴んでいるのはライオネル。
ローブと上着を結び、即席で作ってくれたようだ。
彼は、堤防から大きく身を乗り出し、今にもバランスを崩しそうになっている。
その腰を、部下が必死に支えていた。
「落ちますって!!」
「黙って支えてろ」
迷う余地はない。
アネリエは子どもを抱えたまま、ロープを掴んだ。
その様子を見たライオネルが、力強く引き上げる。
「ぐっ……!」
水を含んだ身体は重い。
それに、子どもとはいえ2人分の重さだ。
全身が軋む。
だが、アネリエは離さなかった。
…
「ゴホッ……!」
地面に引き上げられ、濡れた石の上に膝をつく。
アネリエは、腕の中の子どもをすぐに横たえた。
「どいてください!」
強い声で野次馬をはらう。
心配して近寄ってくれた人もいるのだろうが、全員に正しく対応する暇はない。
今は一瞬の時ですら惜しいのだ。
周囲が一歩引いた隙に、アネリエは子どもの横に移動し、息を吐いた。
大丈夫、覚えている。
一つ一つ、順番に実行していくだけだ。
気道確保。
顎を上げる。
耳を近づけ、呼吸を確認する。
「……ない」
迷うことなく、息を吹き込む。
胸骨圧迫。
腕を伸ばし、一定の間隔で心臓を打つ。
何度でも。
息を吹き返すまで繰り返す。
「……っ」
誰かが唾を飲み込んだ。
ライオネルも、事の顛末を見守っている。
その時ーー
「……っ、ごほっ!!」
子どもが水を吐いた。
咳き込みながらも、息を吸って瞼を動かしている。
意識が戻ったようだ。
「……よかった」
アネリエの一言に、張り詰めていたものがほどけた。
周囲からは安堵の声が上がり、惜しみなく彼女を称賛した。
誰かが泣いている。
誰かが礼を言っている。
しかし、アネリエはそれをどこか遠くに感じていた。
…
ふと、自分の手を見る。
手から腕に、腕から身体に視線を移す。
服が張り付き、なおかつ、泥と水で全身がぐしゃぐしゃだった。
「……ひどいわね」
小さく笑う。
それでも…また一人、助けることができた。
そういえば…と、自身の胸元を見る。
すると、小さな袋が覗いていることに気が付いた。
しかも、破れている。
(……え)
思考が一瞬止まる。
袋の中身は“睡眠薬”だ。
先ほど使用した時に、ポケットに入れたままにしていた。
引き上げられた時? 飛び込んだ時?
そんなことを考えても仕方がない。
事実、袋は破れている。
つまり、薬が水に溶けたということに他ならない。
「……っ」
悪い予感が当たり、視界が揺れる。
(……まずい)
どれくらいの量を飲んでしまったのかは分からない。
しかし、この眠気に逆らえないことは自分が一番分かっている。
膝に力が入らなくなり、身体が傾く。
「おい」
低い声。
視界がぼやけてもなお、これがライオネルだと分かる。
とにかく、言わないとーー
「睡眠薬を、のん……」
アネリエは、言い切る前に意識が途切れた。
突然、力が抜けたように倒れ込む彼女を…
ライオネルは、しっかりと受け止めた。
…
ぐったりとした身体。
先ほどの彼女と同じように呼吸を確認すると、小さな息が漏れていた。
念の為、脈も確認する。
(……問題ない)
翡翠の女は、眠ってしまっていた。
ライオネルは無言でその顔を見下ろす。
濡れた髪を避けると、整った容姿が現れる。
白い肌に、細い身体。
ーー閉じた瞳。
表情は静かで、まるで生きた彫刻のようだった。
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