第三十九話 卑しき心
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イザークがアザレアと話していると、やはり銀の仮面が気になってしまう。何故アザレアが顔を隠しているのか、イザークはその理由を知らなかった。だが尋ねることは出来ない。そもそもアザレアの素顔を知っているのも、二年前にたまたま盗み見してしまったことが原因だった。
事故ではあるが恥ずべき行為であり、イザークはアザレアにこのことを打ち明けられずにいる。ただアザレアの口からは聞いていないものの、アザレアが素顔を隠している理由について、イザークはおおよそだが見当がついていた。
「あの、ところで……」
イザークの前にいるアザレアが、キョロキョロと大きな瞳を動かす。するとある一点で視線が止まった。そこからの変化は静かで、微妙で、そして劇的だった。
仮面の下にある瞳が光り輝き、目元の筋肉が僅かに動いた。おそらく微笑んだのだろう。イザークにはそれが分かった。すると目の前にいるアザレアの美しさが増した。見た目はほとんど変化していないのに、蕾だった花が、今まさに開花したような美しさを見せた。
イザークは目を細め、アザレアの視線を追った。
アザレアの視線は本陣の天幕に向けられていた。天幕の前では多くの魔族が慌ただしく行き交っている。その中でイザークは、小柄な魔族の姿を見つけることが出来た。魔王軍特務参謀のギャミである。
ギャミの容姿は一言で言えば異形であった。顔には皺ひとつなく、子供のようにツルツルとしていた。右手には杖を持っており、足を引きずっている。何より背丈が小さく、周りにいる兵士の腰ほどの高さしかない。そのため周囲に完全に埋もれている。アザレアは雑踏の中であっても一目でギャミを見つけたのだ。
「失礼します、イザーク様。実はギャミ様にご報告することがありまして」
アザレアは一礼した後、ギャミに向かっていく。その声は先程より僅かに高く、足取りは踊るように軽やかである。
銀の仮面の下にある笑顔を想像すると、イザークの胸に痛みが走った。
イザークはアザレアに恋慕していた。二年前彼女の素顔を盗み見たその瞬間から、心奪われ彼女を想わぬ日はなかった。しかしこの想いが叶うことはない。ギャミのもとに向かうアザレアを見れば、彼女が誰に想いを寄せているかは一目瞭然である。
何故ギャミなのかと、イザークはどうしても思ってしまう。
ギャミの醜さは一目瞭然だ。百体の女性がいたとしても、全員がギャミを選ばない。一方アザレアは、その仮面の下に類い稀なる美しさを秘めている。
アザレアの美貌たるや、魔族の頂点と言っても差し支えがない。そのアザレアが、とりわけ醜いギャミに好意を向けているのだ。イザークでなくても何故と問うてしまうだろう。
イザークは手を握りしめた。しかしすぐに手の力を緩め、息を吐いて首を横に振った。
卑しい考えである。
自分の思いが叶わぬからといって、恋敵の欠点を探すなど最低な行為といえた。それにギャミは醜いだけの男ではない。卓越した頭脳を持ち、その知恵ひとつで魔王軍をのし上がってきた傑物である。イザークもギャミの手腕を尊敬しており、師事すらしている。アザレアもまた、ギャミの才能を尊敬しているのだろう。
イザークはアザレアが被る、銀の仮面に目を向けた。
アザレアは腐病には侵されておらず、その仮面は偽である。しかしたとえ仮面が偽物であっても、浴びせかけられる偏見は本物だ。腐病の面を被って生活していれば、多くの理不尽が降りかかるはずだ。何故アザレアが腐病の面をつけているのか、その理由をイザークは知らない。しかし予想はつく。全てはギャミのためだ。
もしアザレアが仮面を外してギャミに対する想いを口にすれば、ギャミには多くのやっかみが集まることだろう。
ギャミのことを尊敬しているイザークですら、妬みの邪心が湧き起こるのだ。ほかの者となるとどんな行動に出るか分からない。場合によってはギャミを殺そうとするかもしれなかった。
アザレアはいらぬ騒動にギャミを巻き込まないよう、仮面を被り自らの美を封じているのだ。
イザークは溜息を吐いて、アザレアを追いかけた。そこまでの愛、そこまでの献身をアザレアはギャミに捧げている。イザークに入り込む余地などどこにもなかった。
「ギャミ様、お久しぶりです」
アザレアが、ギャミに声をかける。するとアザレアを目にしたギャミは、ぴくりと体を震わせた。息を呑み、目と顔も僅かに力が入る。
「こ、これはアザレア様、お久しぶりです」
「はい、お会い出来る日を楽しみにしておりました!」
ギャミの声は控えめだったが、アザレアの声は太陽のように明るく弾んでいた。アザレアの声から逃れるように、ギャミは顔を僅かに逸らした。その小さな体もアザレアの外に向く。
二人の態度を見ていると、イザークの胸で消化出来ない感情が湧き上がる。
アザレアのギャミに対する感情は明白である。しかしギャミは決してこの思いに応えない。むしろ遠ざけるような態度を見せる。
ギャミはアザレアに対し必ず敬語を使うが、敬意というよりは距離を取ろうとする態度が見えた。またギャミはアザレアに触れようとはせず、決してその一線を越えない。
おそらくギャミはアザレアの素顔を知っているはずだ。これほどの美女に言い寄られて、何故その想いに答えないのか。イザークはいっそのこと、両者が付き合ってくれればと思う。そうなれば涙ながらに祝福出来る。しかしギャミの煮え切らない態度のせいで、アザレアへの未練を断ち切れないでいる。
「しかし今日はどうしてわざわざ?」
「はい、どうしてもギャミ様に直接お伝えしたい事柄がございまして」
よそよそしいギャミに対し、アザレアはめげることなく答える。
もちろんアザレアは、自分が距離を置かれていることに気づいているだろう。しかしそれでもギャミの役に立てることを喜び、副官のように奉仕している。
「分かりました、後ほどお聞きしましょう」
答えたギャミは視線を移す。小さな眼の先には、赤鎧を着たゲラシャの姿があった。
「まずはゲラシャ様を交えた軍議がございますので」
ギャミはゲラシャのもとへと向かっていく。アザレアは頷き、嬉しそうにギャミの後ろに付き従う。イザークの胸には、複雑な感情が渦巻いていた。しかし全てを忘れることにした。今から普段は参加出来ぬ軍議に並ばせてもらうのだ。余計なことを考えている場合ではない。
イザークは大きく息を吸い込み、ギャミ達の後を追った。




