第三十三話 父と娘
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群青色の空が徐々に白を帯び始めたころ、私はヴェッリ先生の屋敷を出た。
夜を徹しての仕事であったため、さすがに眠い。だが休むことなく実家であるグラハム伯爵邸に馬車を向ける。まだ完全に夜も明けきらぬ時間であったが、グラハム伯爵邸からは炊煙があがっていた。屋敷の使用人達が朝食の支度にかかっているのだ。
馬車で家の前に乗り付けて屋敷に入ると、玄関では初老の家令をはじめ、二人の女性使用人が待っていてくれた。昨夜のうちに使いを出し、朝に戻ると手紙を出しておいたのだ。手紙には出迎え不要と書いておいたのだが、律儀に早起きしてくれたらしい。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「手紙にも書いていたとおり、着替えをしたいのだけれど」
屋敷に入りながら、私は自分の服を見下ろした。喪服のような黒い服だ。
「はい、ご用意出来ております」
家令は恭しく頷き、後ろに控えている女性の使用人二人に目配せをする。二人に傅かれ、私の部屋に向かうと、部屋の衣装掛けに服の上下が用意されていた。
青い色が綺麗な上着は機能的で、胸元には赤いリボンが付けられている。茶色いズボンは馬に乗るときに邪魔にならないように細くなっていた。上に羽織るマントもあり、こちらは白い布の上に白い糸で刺繍がされ、遠目には分からないが近くで見ると美しい鈴蘭があしらわれているのが見えた。
この装飾を依頼したのはお父様だなと、私は見当がついた。中に着る上下は動きやすく、外のマントは簡素な衣装に見えて美しさがある。
私は使用人に手伝ってもらい、お父様が用意した服に着替える。姿見の前に立つと、大きさも丁度よくぴったりだった。鏡の前で体を捻り服の様子を確かめていると、頭の後ろで丸めた自分の髪が目に写った。私は頭の後ろに手を回し、髪をまとめている紐をほどいた。
束ねられていた髪が流れるように零れ、首を振ると戒めから解放されたようにすっきりする。
「お嬢様、御髪はどうしましょう?」
「そうね、前髪はこのままでいいから、後ろを少し整えてもらえる? 軽くまとめて、少し編んでくれると嬉しいんだけど?」
化粧台の前に座って頼むと、使用人は軽く頷き、ブラシをとって髪を梳いてくれる。しばらくすると髪が結いあがる。いい感じだ。
私は使用人に礼を言い、立ち上がった。髪が結いあがるのを待っていたもう一人の使用人が、白い手袋を差しだす。私はその場ではめようかと思ったが、今はせずに上着のポケットに入れておく。
着替えを終えて部屋の外に出ると、早朝だというのにお父様が廊下で待っていた。寝間着の上にガウンを羽織り、やや眠たげな顔をしている。
「ロメリア、いくのか?」
「はい。戻ったばかりですが、いかねばなりません」
私が答えると、お父様のつぶらな瞳と視線が合う。私は歩み寄り、お父様に抱きついた。
「ロ、ロメリア?」
お父様は驚いていたが私は放さず、素手を背中に回す。
お父様の体は痩せていた。昔子供の頃に抱きついたときは、もっとがっしりとしていたように思う。私が成長しただけなのか、それともお父様が歳を取られたのか。
「……お父様。ありがとうございます」
私は今までのこと全てに感謝した。すると私の背にお父様の手が回される。
「怪我をしないようにな」
「はい」
私がお父様の顔を見上げて頷くと、屋敷の外から大きな鳴き声が聞こえた。鳥のように甲高いが、何倍も力強い。翼竜の声だ。
「旦那様! 外に……」
初老の家令が急ぎ足でやってくる。翼竜を近くで見たのが初めてなのだろう。しかし抱擁し合う私達を見て、さらに驚き足を止める。
「ではお父様、いってきます」
私が言うと、お父様は背に回した手をそっと離した。私は踵を返し屋敷を出る。グラハム邸の庭には、翼竜が長いくちばしを天に向けて鳴いていた。
翼竜のそばには蒼い鎧を身に着けたレイが、手綱を握り私に手を差し出している。空を見上げれば八頭の翼竜が、大きく弧を描き旋回していた。私はレイのもとに歩み寄る。
「準備はよろしいですか、ロメリア様?」
「ええ、戦場にいきましょう」
私が答えるとレイが身を翻し、翼竜に跨る。私も鐙に足をかけてレイの後ろに乗った。
翼竜が帆のような大きな翼を広げ飛び上がった。風を掴んだ翼はそのまま上昇し、戦乱巻き起こるギレ山砦へと向かった。
グラハム伯爵家当主、ヴィルヘルム・フォン・グラハムは、振り返ることなく飛び去っていく翼竜を屋敷の窓から見上げていた。後ろには初老の家令が立っている。
「よろしかったですね、旦那様。ロメリアお嬢様とお話し出来て」
家令は皺だらけの顔を綻ばせる。
「これでお嬢様も、家に戻ってくることが増えるかもしれませんね」
家令を一瞥してヴィルヘルムは笑った。あまりにも考え違いだったからだ。
「そうではない、逆だ。今日は巣立ちの日だ。あの子はもう戻ってこない」
ヴィルヘルムは視線を窓の外へと戻した。
娘を乗せた翼竜は、矢のように飛んでいく。
今日が今生の別れということはないだろう。だが娘は今日、完全に自分の手から離れていった。そしていつか遠くへと旅立ち、会えなくなる日がくるだろう。
「悲しいが仕方ない。私には過ぎた子だった」
ヴィルヘルムは目を瞑った。瞼には娘との思い出が甦る。
ロメリアは子供の頃から変わった子だった。他の女の子とおままごとをするより、かけっこや木登りが好きな子だった。妻のマリアンヌは女の子らしいことをさせようとしていたが、ヴィルヘルムは無理だろうと思っていた。
もう二十年近く前のことだが、グラハム伯爵領にある屋敷に大きな木があった。上の二人の息子とロメリアが、この木の一番上に登ろうとした。とはいえ木はあまりにも高く、息子達は早々に諦めた。だがロメリアだけは諦めなかった。しかしロメリアは息子達と歳が離れており、息子達に無理なものは、ロメリアにも無理だ。
ヴィルヘルムもお前にはまだ無理だと諭したが、ロメリアの瞳は木の頂しか見ていなかった。そしてある日、あの子は木の一番上から私に声をかけた。
ロメリアは一度決めたら、必ず最後までやり遂げる。
たとえ海を越えた地の果てであろうと、必ず到達する。
「冷えるな……」
ヴィルヘルムの呟きが、広い屋敷に消えていった。




