第17話 - 「一騎討ち - 闘将と驍将と」
イトアニア兵の波を切り分けて現れたのは、言わずと知れたバルドス・グレイクである。弟グスタフにも勝る豪槍を手に躍り出る。全身を覆う鎧が銀光を反射させた。
その狙いがウルシアであることは言うまでもない。
ウォレスは手にした二本の旗を地面に突き立てると、槍を片手に愛馬を繰り出した。
「バルドス将軍とお見受けする。我が名はウォレス! 一手所望致す!」
「死に急ぐ愚か者め。そこな女狐共々、地獄へ送ってやるわ!」
騎影が重なり、槍が唸る。金属の悲鳴がこだました。
互いに力を込めるも、交差した槍は一向に動かない。
「ほう。面白い」
これまでバルドスは幾多の敵将と槍を交えてきたが、力で拮抗して見せた者はいない。武人の血が滾ったか、その瞳が輝きを増した。
「ウォレスと言ったか。その名、覚えておいてやろう。あの女の口を塞ぐためには、まず貴様を倒さねばならんようだな」
「その通り!」
切っ先を弾き、両者同時に距離を取る。
「イトアニアの兵士たちよ。我が軍は先の戦いで実力を示した。我らと共にある限り、敗北はない! これからそれを証明してやろう!」
凛とした声が響き渡った。
「行けウォレス! 我らが強さを見せてやれッ!」
軍師の声に背中を押され、黒衣の騎士が打って出る。
「生意気なッ」
舌打ちするバルドスに、切っ先が迫る。連続して放たれた槍撃が火花を生んだ。
一つ、二つ、三つ……。
ウォレスの打ち込みに合わせ、闘将の豪槍が閃いた。繰り出す攻撃が悉く打ち払われる。
さらに十合を打ち合うが、ウォレスの刃は届かない。
両軍の兵士たちが固唾を呑んで見守る中、バルドスはわずかな隙を縫って反撃に転じた。
一方、黒衣の騎士は大気を纏うその矛先を、巧みな馬術で躱しきる。
突き、薙ぎ、受け、払う。
両者の位置が目まぐるしく入れ替わり、二本の槍が暴風と化して荒れ狂う。
対グスタフ戦と違い、今のウォレスに手加減はない。
「さすがウォレスと言ったところか。しかし……」
一歩も退かぬその戦いぶりに感嘆の声を洩らしたウルシアだが、自身もまた卓越した剣士であるが故に、二人の違いに気づいていた。
グレイク家、シュレッテン家共に貴族の家柄ではあるが、そこには決定的な違いが存在する。前者が『武』の家柄であるのに対し、後者は『知』の家柄なのである。
シュレッテン家でも貴族のたしなみの一つとして剣や槍の技を学ぶが、グレイク家ほどそこに重きを置いていないのだ。自然、技の優劣が生まれる。
容姿に反して無駄なく美しい槍術を使うバルドスに対し、ウォレスのそれは我流の色が濃い。技巧と隙の多さを、速度と反射神経で補っているといったところだ。長引けばウォレスに不利。それがウルシアの下した結論であった。事実、わずかながらも攻守の時間に差が生まれ始めている。
応援に駆けつけたいところだが、下手をすればウォレスをより一層不利な状況へと追い込んでしまうだろう。いざとなれば話は別だが、後のためにも今はウォレスの地力を信じる他なかった。
鳴り止まぬ刃音に焦燥感が募っていく。
ウォレスもまた己の不利を感じていた。何とか打開策を見つけなければならない。
バルドスの矛先が鎧を掠め、火花を散らした。
脳内で警告の明かりが明滅する。弟も強かったが、兄の方は桁が違う。
ついにウォレスは防戦一方となった。一撃でもまともに食らえば、そこで終わりである。
二人の実力を見誤っていたのではないか。
ウルシアの顔に焦りの色が浮かぶ。
親友の背後に、不気味な笑みを浮かべる死に神の姿が見えるようだ。
このままではいずれ死の鎌が振り下ろされ、黒衣の騎士はその身を切り裂かれてしまうだろう。いや増す不安に翻弄されそうになる。
ウルシアは汗ばむ両手で、手綱をきつく握り締めた。
「それ、どうした! 守っているばかりでは勝利は得られんぞ!」
勢いを増した豪槍が、ウォレスの槍をへし折らんと縦横無尽に襲いかかる。
黒衣の騎士の危機を前に、両軍兵士の顔に影が差した。
静まり返った戦場に、槍の交差する音だけが響き渡る。
果たして何合打ち合ったか。ウォレスの鎧は大小無数の傷を負い、その輝きを失っている。ウォレスが未だ変わらぬ動きを見せているのは僥倖といって良いだろう。
「久々に楽しめたぞ。だが、そろそろ終わりだ!」
猛るバルドスに、戦場の兵士たちは絶望の色を張り付かせた。
駆け出しそうになるサーディアス軍を、トッドは両手を広げて抑えつける。
豪槍が唸りを上げて襲いかかる。
これまでで最も高く鳴り響いた金属音に、戦場が凍り付いた。
ウルシアは思わず目を伏せていた。
バルドスが如何に強かろうと、ウォレスは必ずその上を行くと思っていた。目算が甘かったという他ない。掛け替えのないものを失った痛みと後悔。だが、今はそんなものに浸っている時ではない。サーディアス軍を勝利に導くため、ウルシアは次なる一手を打たねばならなかった。
策とはあらゆる状況を想定して練るものだ。必要になるとは思っていなかったが、その中には当然、ウォレスが敗北を喫した際に取るべき策も含まれていた。
戦とは生き物である。時を逃せばそれだけ勝機が遠のいていく。
一刻を争う事態に、ウルシアは己を奮い立たせる。と、ここに到って、彼女は鳴り響いた金属音に違和感を覚えた。
「――――残念だったな」
一瞬の間を置いて発された声。
ウルシアの耳に、聞き慣れた親友の声が届く。
恐る恐る上げた視線の先には、不敵に笑う頼もしい姿があった。
「ウォレス!」
「そう心配するなウルシア。大丈夫だ。約束は守る」
「ば、馬鹿者ッ! 心配などしておらぬわ! いつまでも遊んでないで、さっさと片を付けぬか! この愚か者ッ!」
喜声から一転、怒り口調となったウルシアに、ウォレスは思わず笑みをこぼした。
「少し試させてもらうぞ」
渾身の打ち下ろしを大きく弾き返され舌打ちするバルドスに対し、再びウォレスが食らいついていく。
二合、三合と打ち交わすや、バルドスの表情が翳りを見せた。
兵士たちの目には、激しい打ち合いが再開されたとしか映らないであろう。
しかし、そこには明らかな変化があったのである。
ウォレスの動きから無駄が減り、その分、攻撃速度が増している。
「もう少し手首を柔らかく使った方が良さそうだな」
ウォレスがそう呟いた直後、切っ先は精度を向上させ、刺突が一層鋭くなる。
「ぬぅ!?」
バルドスは目を剥いた。
ウォレスの槍術は瞬く間に進化を遂げ、バルドスに追いつき、追い越そうとしていたのである。
「馬鹿なッ!」
揺るぎないはずの優勢を覆され、闘将は驚愕の声を上げた。
剣、槍、弓。いずれの技も一朝一夕で身につくものではない。戦技とは長い時間を掛け、日々繰り返される修練によって初めて手にすることのできる代物なのだ。
当然、個人特有のクセがでる。反復によって修めた型を修正するのは決して容易なことではなく、それは歴戦の雄たるバルドスとて例外ではない。
にも関わらず、眼前の男はいとも容易くそれをやってのけたのである。
ウォレスは防戦に徹する間、闘将の動きを観察し、それを手本として己の技に取り込んだのだ。元々が荒削りだったとはいえ、にわかには信じられぬことであった。
更に数合。今や攻守は完全に逆転していた。
「久しぶりに有意義な訓練が出来た。礼を言う」
「貴様ッ!」
バルドスは仮にも闘将と讃えられた男である。その誇りは大陸一と伝わる彼のレスティアス山脈より高い。ウォレスの物言いを許せようはずもなかった。
ウーツ鋼の槍先を払い除けると、首筋めがけて渾身の一撃を放つ。
黒色の兜が弧を描いて宙を舞い、噴き上がる鮮血が人馬を赤く染め上げた。
地に落ちた兜が、乾いた音色を奏で転がっていく。
闘将の繰り出した横薙ぎの一閃は、身を屈めたウォレスの兜を弾き飛ばしていた。
その衝撃は凄まじく、ウォレスは一瞬、意識を断ち切られそうになったほどである。
しかし、急激な成長を遂げた黒衣の騎士は、ここでもまた尋常ならざる動きを見せた。
すんでのところで意識を繋ぎとめると、神速の突きでバルドスの喉を貫いたのである。
熱い。その感覚にバルドスは喉元に手を当てた。ぬるりとした感触。口腔に鉄の味が広がり、心臓の鼓動に合わせて傷口から赤い液体が勢いよく流れ落ちる。次いで全身を駆け抜ける激痛に力が抜けた。
豪槍が大地を穿ち、視界が反転する。
(一騎打ちに負ける日が来るとは……)
バルドスの脳裏に亡き弟の姿が思い浮かんだ。
(……良い勝負だった)
これまで己が敗北の内に死ぬなど考えたこともなかったが、それでも最後の時は戦場にあって華々しく散りたいとの思いはあった。苦しみもがきながらもバルドスは満足感のようなものを感じていた。
やがて酸欠と激痛で次第に意識が混濁し始めた。全身の感覚が麻痺してゆく。
見開いた目に青空を映し、バルドスの意識は己の生み出した赤黒い池に沈んだ。
これまでイトアニアの闘将が戦場に散る様を想像し得た者はいなかった。
彼の将軍が倒れることがあるとすれば、それは計略によるものであって、少なくとも一騎打ちに果てることはない。それが周辺各領を含めた人々の共通の認識であった。
バルドスの並外れた膂力と胆力、優れた槍術と指揮、決断力はそう思わせるに足るものだったのである。
サーディアス軍の対面には、我が目を疑い、呆然と口を開ける一万以上もの顔が並んでいた。
イトアニアの兵士たちは皆、サーディアスの驍将が勝つことを期待していたが、まさかそれが実現するとは思っていなかったのである。
その只中にあって、最も驚愕を示したのは領主ブロス・アラニアである。
目の前の出来事について行けていないのか、指示を出すことも忘れ、陸に上がった魚の如く口をパクパクと動かす様は、滑稽ですらあった。
静まり返るイトアニア軍に対し、サーディアス軍の士気は天を突かんばかりに高まった。将軍ウォレス歓呼の声が戦場に轟き渡る。
「見よッ! イトアニアの闘将は一騎打ちの果てに倒れた! これでもまだ躊躇う理由があるか! 壊れぬ物などなく、滅びぬ国もない。この腐敗した体制を打ち壊し、我らと共に平和な世を築こうではないか!」
歓声に負けじとウルシアが声を張り上げる。
「イトアニアの領民たちよ! 踏みにじられし尊厳を! 内に秘めたる勇気を! そして何者にも傷付けえぬ堂々たる誇りを今こそ取り戻せ! 立ち上がるべきは今この時をおいて他にないッ!」
耳朶を打つウルシアの声に、イトアニア兵たちの目に希望の火が灯る。
「これは始まりに過ぎん。平穏なる世界への第一歩を、己が手で切り開いて見せよ! お前たちは今、歴史の証人となる!」
ウルシアが掲げた錫杖を敵領主にすえた。
「さあッ、我らに続け! 共に非道なる領主に鉄槌を下すのだ! サーディアス軍、前進! イトアニア領主と貴族どもを討てッ!」
ウルシアの号令一下、サーディアス軍騎馬隊が駆ける。
馬蹄が轟き土煙が舞う。
肉迫するサーディアス軍に、イトアニア兵士の間から声が上がった。
「俺はサーディアスと行くぞ!」
「これ以上、あんな領主に従ってられるか! 俺もやるぞ!」
「敵は領主だ! 領主を討て!」
これはイトアニア軍に潜り込んだイェルンの発したものであった。
しかし、そうとは知らぬイトアニアの兵士たちにとって、その声は彼らの意思を一つの方向へと決定づけるに十分なものであった。
圧政による抑圧は限界にきており、忍耐という名の堤防は、わずかなきっかけさえあれば簡単に決壊するところまで来ていたのだ。
後に『始まりの詩』と呼ばれ、多くの革命家たちに引用されることになるこの一連の演説によって、彼らは領主に対する抵抗の意思を高めていた。
そしてウォレスが一騎打ちに勝利したことで希望の光りが示された。そこへ上がった声である。
同じ苦境にある同志が立ち上がり、今ここで決断しなければ周囲の味方は一転して敵に変わるだろう。仲間同士で血を流すほど愚かなことはない。
領主との間に堅牢な城壁は存在せず、兵数においては圧倒的に勝っているのである。
そこにはかつてない好条件が揃っていた――。




