第18話 - 「決着」
「やるぞ! 俺たちは奴隷じゃない!」
「サーディアスにつくぞ! 貴族共をぶっ殺せ!」
「勝って家族の元に帰るんだ!」
武器を高々と掲げ叫ぶイトアニア兵士たち。わずか数ヶ所で上がった蜂起の声は、波紋の広がりをもって、瞬く間にイトアニア軍全体を覆った。
いまや、両軍の戦力は完全に逆転していた。
ブロス・アラニア率いる本隊二千と両脇を固める傭兵部隊二千、イトアニア軍は計四千の兵で、一万二千五百にまで膨れ上がったサーディアス軍を相手取らねばならなくなったのである。それも、なだらかな丘と平地からなる戦場でだ。
頼りとする将軍も失い、ブロスは追い詰められた。
傭兵の戦闘力は領民のそれとは比べものにならないが、彼らが第一とするのは生き残ることである。負け戦と確定したも同然のこの状況では、傭兵部隊とていつ潰走を始めてもおかしくない。かといって、今ブロスが退却すれば全軍崩壊は必至である。
真っ先に逃げ出す大将のために、命がけで戦う兵など存在しないのだ。人望がないとなれば尚更である。
怒りと復讐に燃える兵士たちは、慌てふためくイトアニア軍に対し、我先にと斬り込んで行く。怒りの行軍が大地を揺らした。鮮血が舞い、怒号と悲鳴が戦場を満たす。朱に染まった地に、物言わなくなった兵士の身体が次々と折り重なっていく。
「半数は俺について来い! 残り半数は軍師殿と共に左へ回れ!」
ウォレスの指示の元、サーディアス軍は二手に分かれた。
今やサーディアス軍歩兵部隊へと転身を果たした元イトアニア軍兵士を迂回して、傭兵部隊の側面へ移動する。
「数で勝っているのだ! 無理をせず三人一組であたれ! 互いに補い、死なぬことを第一とせよ!」
ウルシアは移動しながらも、領主に反旗を翻した兵士たちに向けて声を張り上げた。
圧政に苦しむ領民、イトアニアの兵士たちを口説き落とし戦力を逆転。勝利を掴む――。
自国領内深く敵を誘い込み、敵の大将と貴族から成る部隊だけを全滅させたのも、残った兵士たちに食料を与えて無事帰国させたことも、イェルンによる情報工作も、全てはこの日、この時のためのものであった。
陣形を再編する間もなく、敵歩兵部隊を正面から受け止めることになったイトアニア軍は、質では勝りながらも圧倒的物量差には抗えず、その圧力に後退しつつあった。
そこへウォレスとウルシア率いる騎馬部隊が側面から襲いかかったのである。
辛うじて保たれていた陣形はズタズタに切り裂かれ、傭兵部隊は瞬く間に部隊としての機能を奪われた。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う傭兵たち。
これを見たイトアニア軍本隊もまた交戦を断念した。
領主ブロス・アラニアを先頭に、我先にと逃げ散っていく。
潰走するイトアニア軍は、既に軍隊としての機能を果たしていなかった。進んで殿を務める者などおらず、食い下がるサーディアス軍によって次々と討たれていく。
戦闘開始から一刻と経たずして、ここに『イストの戦い』は決着を見たのであった。
「この儂に門を閉ざすとはどういう了見だ。愚民共が!」
肥えた腹を馬上で揺らし、男は忌々しげな声を洩らした。
中心都市カルナスをぐるりと囲む城壁を見上げる。
乗っていた馬が一声嘶き、地に倒れ伏した。
投げ出された男は強かにその身体を打ちつけた。馬の下敷きにこそならずに済んだが、地面を転がったために、煌びやかな衣装は埃にまみれてしまった。大量の汗を含んでいた服は、手で払った程度では汚れが落ちない。
「おのれッ、この駄馬が!」
泡を吹き痙攣する馬を、力任せに蹴りつける。
水すら与えず、一昼夜に渡り酷使した末の仕打ちであった。
虚飾の最後の一片すら剥がれ落ち、もはや腐敗した品性のみで彩られたこの人物こそ、数日前一万一千の兵に裏切られたイトアニア軍の総大将であった。
イトアニアにおける傲慢の象徴は大きく肩を揺らし、未だ足下に倒れたままの大きな馬体を睨みつけている。馬からしてみれば生涯最悪の乗り手であったろうことは疑いの余地が無い。
ブロスはサーディアス軍に敗北した後、付き従う兵の全てを砦に残し敵を押し止めるよう命令すると、自身は途上にある砦で馬を乗り継ぎながら急ぎカルナスまで戻ってきたのであった。
這々の体で逃げ帰ってきた男は、威厳を取り繕うように上体を反らすと、陽射しに目を細めつつ声を張り上げた。
「領主様のお帰りだ! 門を開けよ!!」
しばし待つも、門が開く気配はない。代わりに頭上から降り注ぐ声があった。
「あなたはもう領主ではない。どこへなりと立ち去られよ!」
声の主は城壁の上に立っていた。逆光で顔は確認できないが、その声には聞き覚えがあった。先のサーディアス攻略戦において副官を務め、死んだグスタフの代わりに城へ報告に来た男だ。名前は思い出せないが間違いない。
「貴様! 一体何を言っておる! 早く門を開けぬか! このたわけがッ!」
「たった今、申し上げたはず。あなたはもうこの地の領主ではない。我々は、あなたの支配から脱したのです。側近の方々は既に拘束しました」
「寝言は寝て言え愚か者がッ! 先代の血縁は儂だけなのだぞ! 他に誰が領主を務めるというのだ!」
「先代を手に掛けたあなたがそれをいうか!」
ローゼンは拳を振るわせた。
「先代の願いは領民たちの幸福にあった。無残な最期を遂げなければ、今尚、領民たちは平穏な日々を送っていたに違いない。しかし、あなたが領主の座にある限りそれは望めない。私はもうこれ以上、罪なき者たちが無為に死んでいくのを見ていることはできない! 先代もきっと分かって下さるだろう。真っ当な世を築くための礎となるならば、私はどんな汚名も受けて見せよう。我らはサーディアスと共に行く。あなたは不要だ!」
ローゼンは声高にそう宣言した。
「せめてもの情けだ。どこへなりと立ち去るがよろしかろう」
「まさか貴様! 始めからそのつもりで……」
「物事には終わりがあるものなのです」
ローゼンは帰還した時既にサーディアスによって懐柔されていたのだと、ブロスはようやく気づいたのであった。
「おのれ! あの日、バルドスの制止など聞かずに、殺しておくべきであったわ!」
「やがてサーディアス軍がやってくるでしょう。馬ももう動けないようだ。のんびりしている暇はないと思いますが?」
ローゼンの左右に十人ほどの兵が並び、一斉に弓を構えた。立ち去るか、射殺されるか選べというのである。
「おのれぇッ!」
噛み締めた歯の隙間から呪詛の声を洩らし、ブロスは足下を見やった。
この場から去ろうにも馬は未だ痙攣しており、立ち上がることすらできそうにない。
領主の座に着いた頃であればいざ知らず、長年に渡って脂肪を蓄えた身体では、身一つでサーディアス軍から逃げ切るのは難しかった。
ブロスの考えを見通したか、門がわずかに開き、一頭の馬が姿を現した。
ブロスが駆け寄るよりも早く門が閉じる。
「その身体では逃げることもままならぬでしょう。その馬があなたにとって最後の命綱だ。無理をさせぬよう気をつけるのですな」
この時、イトアニア南部にはグラハム・カストール率いる南方方面軍一万二千が未だ健在であり、その兵力を持ってすれば、サーディアス軍と五分の戦いが可能なはずであった。イトアニア随一の知将ならば、グレイク兄弟のような失態はないはずだ。
自らの責任と無能さを棚上げし、ブロスは復讐の算段を立てた。
「貴様ら必ず後悔させてやるぞ! 謀反など長続きするものではないのだ。首を洗って待っておれッ!」
ブロスはやっとの思いで馬に跨ると、敗者らしい捨て台詞を残して南方へと落ち延びていった。
「領主を逃がしてしまって本当に良かったのでしょうか?」
城壁の上、ローゼンに話しかける男があった。
今回の計画に当たって、ローゼンが真っ先に口説いた男である。
男の名をガナン・メイスという。ローゼンと同じく先代領主クラウゼに仕えた文官の一人である。歳は五十代半ば。線の細い男であったが、禿頭隻眼というおよそ文官らしくない容姿であった。
「元領主だ」
「そうでしたな」
ガナンは一つ頷いた。
「サーディアスの軍師殿の指示だ。あんな男のために、我らの手を汚す必要はないとも言っておったよ」
「そうですか。しかし、よろしいのですか? この地をサーディアスへ明け渡してしまって」
「致し方あるまい。我らは老いた。イトアニアの人間で治めていこうにも人材がおらん。それにサーディアスは仁政を敷いている。私自身かの地を見てきたが、噂に間違いはなかった。痩せた土地にあってなお、領民に笑顔が溢れておった。サーディアスの領主殿にも会ったよ。身体はあまり丈夫ではないようだったが、この地を任せるに足る人物と見た。それに何より、イトアニアの民がサーディアスの統治を望んでいる。すぐに戦がなくなることはなかろうが、それでも今よりは遙かにましな生活ができるだろう」
「あなたがそう仰るのであれば、間違いないのでしょう」
二人は、遠ざかるブロスの後ろ姿に目を向けた。
前領主を弑逆し、富と権力に肥え太った男が、従者の一人も連れることなく落ち延びていく。
この地に返り咲くことは、最早あるまい。民衆の報復から逃れ得ただけでも、ブロスは幸運といえるだろう。
元領主への興味を失ったのか、ローゼンは並び立つ男へ視線を戻した。
「……引き続き領民のために働くよう言われた。引退を考えていたのだがね。これからはサーディアスに仕えて領民たちを守っていこうと思っている。そなたも共に働くつもりはないか? その知恵を彼らも欲しがろう」
「そうしたいのは山々なのですがね。どうやら右の目も近いうちに光を失うことになりそうだ。役には立てぬでしょう」
ガナンが隻眼なのには、当然ながら理由がある。
十二年前、ブロスらによってこの地の統治権が簒奪されてからというもの、民の暮らしは悪化の一途を辿っていた。
そんな中、ある時ガナンは新領主となったブロスに対し、苦言を呈したのである。
結果は散々たるものだった。先のローゼン同様、強かに打ち据えられ死線を彷徨うことになったのだ。目覚めた時には二週間もの時が経過していた。左目の傷はその時のものであった。
以来、役職を辞して今日まで静かに暮らしてきたガナンであったが、ローゼンの説得に応じ、共に一冬の間、領内を奔走することになったのである。
「そなたほどの男を……実に惜しいものよ。此度の無血開城はそなたの力なしには為し得ぬものだった」
「老体など引き出さず、若い芽を育ててやって下さい。次代を担うのは若い者たちなのですから。あなたの見込んだ人たちも、それをこそ望むでしょう」
人生五十年とも言われていた時代である。
ガナンらが引退を考えたのも無理からぬことであった。
一方で、サーディアスにはハーンやドッツのように、老いてますます盛んな老人がいる。
この時、ガナンが彼らと知り合っていたなら、あるいは奮起したであろうか。
ガナンは最後に握手を交わすと、一冬の戦友に背を向けた。
恐らくもう会うことはあるまい。遠ざかる背中に、ローゼンはため息を一つ洩らした。
「民は既に限界にきておりました。私には最早、サーディアスに協力する以外の方法を思いつきませなんだ。お許し下さいクラウゼ様」
ローゼンは晴れ渡る空を見上げ、かつての主に許しを請うた。
サーディアス軍がカルナスへ到るのは、それから三日後のことである。




