第5話:再鍛
「アイスウォール!」
エナリアは氷の壁を前方へ展開し、アースベアの攻撃をどうにか受け止めた。
先ほど放った《アイシクル・スピア》は確かに敵へ傷を与え、動きを鈍らせていた。
「アイスアロー!」
今度は《アイシクル・スピア》より一回り小さな氷の矢が、アースベアの顔面へ向かって飛ぶ。
先ほどの一撃を警戒したのか、アースベアは土色の光をまとった腕を掲げ、その攻撃を防いだ。
ウォルが倒れてから、エナリアは絶え間なく魔法を放ち、アースベアを牽制し続けていた。
そして少しでも距離を取ろうと、痛みで腫れ上がった右足を引きずりながら後退する。
やがて背中に硬い木の幹が触れた。
もう、逃げ場はない。
荒い息を繰り返し、額には痛みによる冷や汗が滲む。
もう一度杖を振り上げ、魔法を放とうとする。
杖先がかすかに光っただけで、何も起こらなかった。
魔力が尽きたのだ。
「ウォル……」
眼前で咆哮を上げる魔熊。
自分も絶体絶命だというのに、エナリアの心はウォルの安否ばかりを案じていた。
アースベアはゆっくりと距離を詰めてくる。
口元からは生臭い熱い吐息が漏れていた。
「グルル?」
そのとき、魔熊はふいに口を閉じ、何かに気づいたようにウォルが倒れている方へ顔を向ける。
カン――。
朦朧とする意識の中で、懐かしい記憶が浮かび上がる。
(ああ……これが走馬灯ってやつか……)
まだ幼かった頃。
ウォルは父親が作ってくれた木剣を抱えていた。
《霊鍛》は、対象に直接触れていなければ発動できない。
そのため、指先で木剣を軽く叩きながら、何度も能力を試していた。
カン――。
「ウォル~!」
知り合って間もない銀髪の少女が、いつものように勢いよく抱きついてくる。
「何してるの?」
ウォルを抱きしめたまま、不思議そうに木剣を覗き込んだ。
その拍子に、ウォルの指先は誤って自分の体を叩いてしまう。
「え?」
才能は問題なく発動した。
そのとき初めてウォルは知った。
この能力は、自分自身にも使えるのだと。
普段は魔力を使う機会もなく、自分の体なら常に接触条件も満たしている。
それ以来、魔力が回復するたびに、何気なく自分へ《霊鍛》をかけ続けてきた。
何千回、
何万回。
何も考えず、自分を鍛え続けていた。
(駄目だ……起きないと)
エナリアを一人でアースベアと戦わせるわけにはいかない。
カン――。
体が無意識に、いつもの癖で《霊鍛》を発動する。
魔力が全身を巡っていく。
再び指を持ち上げる。
叩こうとした、その瞬間。
「え?」
指先が止まった。
画面の反射越しに、疲れ果てた黒髪の男の顔が見える。
前世の自分だった。
「敵、強すぎだろ……これ勝てるのか?」
男はため息をつき、不満そうに画面を見つめる。
その中央へ、血のように赤い文字が浮かび上がった。
【ゲームを続けますか?】
【リトライ】 【終了】
ウォルは笑った。
「そんなの、決まってるだろ」
(もちろんだ)
(こんなところで、負けるもんか)
迷いなく《リトライ》を選ぶ。
カン――。
《霊鍛》が何度も発動する。
その瞬間、ウォルは確信した。
鍛えるべきものは、
武器や、鎧でもない。
自分自身だ。
カンッ!
体の奥で、水晶が砕けるような音が響いた。
指が再び武器を握り締める。
ウォルは目を開いた。
虚ろだった瞳に、再び光が宿る。
視界の端で、ステータス画面に何か通知が表示された気がした。
だが、それを確認する暇などない。
全身を血に染めた少年が、ゆっくりと立ち上がった。
「ウォル! よかった……無事だったんだ!」
エナリアは口元を押さえ、涙ぐみながら叫んだ。
右手に剣。
左手には大きく歪んだ盾。
剣と盾を勢いよく打ち合わせる。
カンッ!
全身を荒れ狂う紅蓮の雷光が駆け巡る。
砕けた鎧。
ひしゃげた盾。
ギィィン――
耳障りな金属音を響かせながら、
まるで時間を巻き戻すように、本来の姿へと修復されていく。
ウォルは顔を上げ、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「さあ――第二ラウンドだ!」
圧倒的な力が全身へ満ちていく。
先ほどまで全身を襲っていた傷や痛みが、まるで幻だったかのように消え去っていた。
ウォルは地面を蹴る。
踏み込んだ足元が砕け散る。
一瞬でアースベアとの距離を詰め、横薙ぎの一閃を放った。
鮮血が飛び散る。
いまだ傷口こそ浅いものの、確実に魔熊の堅牢な防御を破り始めていた。
「よし……斬れる!」
ウォルは意気揚々と叫んだ。
激昂したアースベアが巨大な爪を振り回し、ウォルに向かって無造作に振り下ろしてくる。
ウォルは無謀に押し込むような真似はせず、先ほどの戦略通り、身軽に爪の隙間をすり抜けながら回避に専念した。
隙ができれば一撃を浴びせる。
剣が曲がれば《霊鍛》で叩き直す。
避け切れなければ盾で受ける。
盾が歪めば、その場で再鍛して修復する。
直撃を受けて吹き飛ばされても、口元の血を拭い、再び突撃する!
戦えば戦うほど、体の奥から力が湧き上がってくる。
目に見える速さで、ウォルは成長していく。
全力を込めた一撃の斜め斬りを叩き込むと、アースベアが初めて半歩後ずさった。
ウォルは一瞬だけ目を見開き、口元を吊り上げる。
「……なるほど」
不思議な感覚だった。
体は燃え上がるほど熱く昂っている。
それなのに心だけは、湖面のように静まり返っていた。
「うおおおおおおっ!」
全身の力を振り絞って高々と跳躍した。
エナリアが息を呑む中、その刃は魔熊の眼球を正確無比に突き穿っていた。
「グオオオオオオッ!!」
アースベアは血を噴き出す目を押さえ、耳をつんざくような怒号を轟かせる。
その一撃は魔熊を怯ませるどころか、
原始の獣としての凶暴性をさらに掻き立ててしまった。
ウォルは静かに着地し、片手剣を構えて魔熊を睨み据える。
アースベアは一歩踏み出そうとして、何かを感じ取ったように動きを止めた。
全身の毛が逆立つ。
「もういいわ、そのくらいにしておきなさい」
遠くから、女性の静かな声が響いた。
アースベアの目は恐慌の色で満たされ、重苦しい悲鳴を漏らす。
傷ついた目のことなど気にも留めず、転がるように森の奥へ逃げ出していく。
一瞬でも逃げ遅れれば、
死ぬと本能が告げているかのようだった。
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