第1話:勇者の隣人に転生したっぽい?
温かな空間を抜けると、肌に触れたのは冷たい空気だった。
だが次の瞬間には、柔らかな布に包まれる。
(なんだ、この状況?)
重いまぶたをどうにか持ち上げる。
すると、一対の大きな手がゆっくりと自分へ伸びてきた。
目の前には、筋骨隆々とした黒髪の青年。
その顔は満面の笑みだった。
「!?」
反射的に身をよじって避けようとしたが、身体は力が入らず、動かすことすらできなかった。
(来るな! 俺はそっちの趣味はないんだ!)
大声で叫ぼうとした口から漏れたのは、言葉にならない「おぎゃあ、おぎゃあ!」という泣き声だけだった。
視線を落とす。
そこにあったのは、何倍も小さくなった白くてぷにぷにした手。
その瞬間、頭の中で何かが弾けた。
「もう、こちらに。ほら、あなたが赤ちゃんを怖がらせちゃったじゃない」
ベッドに横たわる、少し顔色の悪い、優しげな女性が呆れたように笑う。
彼女は青年の腕から優しく赤ん坊を受け取った。
青年は少し不満そうに口を尖らせ、その大きな体を小さくするように部屋の隅へ引っ込んだ。
「そんなに怖い顔してたか?」
女性は腕の中の彼を見つめる。
その瞳には、母親らしい優しさが満ちていた。
「ウォルちゃん。ママですよ~」
彼は完全に固まった。
(嘘だろ……俺、転生しちゃったのか?)
こんな出来事は、小説の中だけの話だと思っていた。
まさか自分の身に起きようとは思いもしなかった。
女性の優しいぬくもりに包まれながら、体力の尽きた彼は、いつしか深い眠りへと落ちていった。
***
数か月後。
「まさか、この世界に転生するなんて……」
幼い子どもが、年齢にはまったく似つかわしくない複雑な眼差しで天井を見つめていた。
ウォルは右手を軽く宙へ滑らせる。
すると、彼にしか見えない半透明のウィンドウが瞬時に展開された。
【名もなき者】
名前:ウォル・セインティス (LV.1)
種族:人間
アビリティ:霊鍛 (LV.1)
HP:5
力:1
防御:1
素早さ:1
知力:15
スキル:言語(Lv.1)
この画面には見覚えがありすぎた。
『悠遠の詩篇 ~光と闇の輪廻~』――前世で最も好きだった王道RPGだ。
アイテム欄こそ存在しなかったが、ステータス画面は問題なく開くことができた。
視線を名前の欄へ移し、小さくため息をつく。
前世の名前にはもう意味はない。
転生した以上、これからはウォルとして生きていこう。
「少なくとも、知力は高いほうか?」
一般的な村人のステータスは、どれも概ね10以下のはずだ。
ということは、自分は少なくとも頭がいいほうということになるのだろうか。
ウォルはアビリティの詳細を開いた。
霊鍛 Lv.1
素材に触れることで、魔力で強化を施し鍛造を行う。
「よりにもよって、鍛冶屋向けの才能か」
ウォルは苦笑しながら首を振った。
きっと、あの筋骨隆々な鍛冶屋の父親譲りなのだろう。
この数か月で、自分がこの世界の言葉を問題なく理解できることも分かった。
父親は腕のいい鍛冶屋らしく、村でもかなり評判がいい。
母親は専業主婦だが、ときどき店で接客や掃除を手伝っている。
最初にこのステータス画面が表示されたときは、さすがに胸が躍った。
だが、自分の才能が勇者専用の【耀光】ではないと分かった瞬間、一転して落胆した。
(やっぱり、俺は主人公じゃないんだな……)
そう思ったものの、すぐに考え直す。
(まあ、普通の鍛冶屋として、のんびり一生を過ごすのも悪くないか)
この世界は魔族や魔物の脅威にさらされている。
それでも、現在の帝国は国力が強く、自分たちのような辺境の小さな村への影響はほとんどなかった。
「今って、どの時代なんだろうな。勇者はもう生まれたんだろうか?」
ウォルはのんびりと、これからの平穏な人生に思いを巡らせる。
その穏やかな日々への期待は、隣家の住人の顔を見た瞬間に終わりを告げた。
その顔を、ウォルが見間違えるはずもない。
原作で何度も見た勇者の父親だった。
(……やばい)
(まさか俺、勇者の隣人に転生したのか?)
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