第1話:転生したっぽい?
男は部屋のドアを開け、何気なく明かりをつけた。
疲れ切った顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
今日は、彼が一番好きなRPGゲーム『悠遠の詩篇〜光と闇の輪廻〜』のDLC発売日だった。
本編は発売直後から高い評価を受け、続編を期待するプレイヤーも多かった。
しかし、まさか続編ではなく、大型DLCが発売されるとは思ってもいなかった。
「まあ、どっちでもいいや。新しいストーリーを見れるならなんでも」
男はパソコンを起動し、ゲームのダウンロードを始めた。
進行状況を示すバーを眺めながら、期待に胸を膨らませた。
「公式が言ってた新モードって、どんな感じなんだろうな?」
ゲームを新鮮な気持ちで楽しむために、彼はネット上のネタバレをすべて意図的に避けていた。
カン――。
遠くから金属を叩く音が聞こえてきた。
「誰だよ? こんな真夜中に、工事でもしてるのか?」
こんな時間に工事をする人がいるのかと少し疑問に思ったものの、機嫌の良かった彼は、それほど気にすることもなかった。
「おっ! 終わった!」
彼はゲームを起動し、タイトル画面に新しい選択肢が追加されているのを見つけた。
「これか」
男は迷うことなく、その選択肢をクリックした。
物語は、魔王を倒した後から始まる。
魔物の巣の最深部で、勇者は一つの漆黒の水晶を発見した。
手のひらほどの大きさしかないその水晶の中では、小さな光が無数に瞬いている。
「なんだこれ? 人々の心の闇を凝縮した結晶?」
男は興味深そうにシステムの説明を読んだ。
【「闇の結晶」を体内に埋め込みますか? 勇者の力を注ぎ、新たな未来を切り拓きます】
【YES / NO】
「つまり、これで正式にDLCが始まるってことか。でも、闇の結晶を体内に埋め込むって……どのゲームのネタだよ?」
彼はそうぼやきながらも、深く考えずに決定ボタンを押した。
次の瞬間、画面は真っ暗になった。
カン!
意識がしばらく途切れたようだった。
再び意識を取り戻した時、彼は何か液体のようなものの中に浮かんでいるような感覚を覚えた。
恐ろしいことに、目を開けることができない。
助けを求めようと口を開いたが、声すら出せなかった。
(終わった……。まさか植物人間になったんじゃないだろうな? やっぱり毎日残業はダメなのか)
自嘲せずにはいられなかったが、突然、身体が軽くなり、温かな空間から引き離された。
肌が冷たい空気に触れ、思わず身震いする。
その直後、柔らかな布に包まれた。
(今、どういう状況なんだ?)
彼は重いまぶたを必死に持ち上げ、どうにか目をわずかに開いた。
(よかった、目は見えるみたいだ)
ほっとしたのも束の間、目を開けたばかりの彼の視界に、大きな両手がゆっくりと伸びてきた。
その手の持ち主は、筋骨隆々とした黒髪の青年だった。
分厚い革のエプロンと麻のシャツを身に着けている。
その顔には、喜びに満ちた笑みが浮かんでいた。
「!?」
反射的に身をよじって避けようとしたが、身体に力が入らず、動かすことすらできなかった。
(だ、誰だ? 何をするつもり? く、来るなぁ!)
大声で叫ぼうとした口から漏れたのは、言葉にならない「おぎゃあ、おぎゃあ!」という泣き声だけだった。
(……え?)
視線を下に向けると、そこには何倍も小さくなった、白くて柔らかな自分の手があった。
頭の中で何かが轟き、彼はようやく衝撃的な事実に気づいた。
(まさか……)
「もう、こちらに。ほら、あなたが赤ちゃんを怖がらせちゃったじゃない」
ベッドに横たわる、少し顔色の悪い、優しげな女性が呆れたように笑う。
そして、青年の腕から赤ん坊を優しく受け取った。
青年は少し不満そうに口を尖らせた。
「俺、そんなに怖い顔してるか?」
大きな身体を隅っこに縮こまらせる姿は、まるで飼い主に叱られた大型犬のようだった。
女性は腕の中の彼を見つめる。
その瞳には、母親らしい優しさが満ちていた。
「ウォルちゃん、ママですよ~」
彼は全身を硬直させた。
(嘘だろ……俺、転生しちゃったのか?)
小説の中でしか起こらないと思っていた出来事が、まさか自分の身に降りかかるとは。
(俺、トラックに轢かれたわけでもないのに?)
そして、彼が最後まで悔やんだのは、
(せめて、ゲームを最後まで遊ばせてくれよ……)
あれほど楽しみにしていたのに、何一つ遊べないまま終わってしまった。
強烈な眠気が全身を襲う。
「あら、眠くなっちゃったの?」
女性は、赤ん坊のまぶたが次第に重くなっていくことに気づいた。
そして、優しく子守唄を歌い始めた。
温かな腕に抱かれ、聞いたこともない旋律に耳を傾ける。
彼はいつの間にか、深い眠りに落ちていた。
***
数ヶ月後。
「まさか、この世界に転生することになるとはな」
可愛らしい顔立ちの赤ん坊が、年齢にまったくそぐわない複雑な眼差しで天井を見つめていた。
(確かにこのゲームは大好きだったけど、別に転生したいと思ってたわけじゃないんだぞ)
ウォルは右手を軽く宙にかざした。
すると、彼にしか見えない半透明のウィンドウが瞬時に展開された。
【名もなき者】
名前:ウォル・セインティス LV.1(0/100)
種族:人間
ギフト:霊鍛 LV.1
HP:5
MP:75
筋力:1
素早さ:1
体力:1
知力:15
スキル:言語(LV.1)
この画面には見覚えがありすぎた。
『悠遠の詩篇〜光と闇の輪廻〜』は王道RPGであり、当然ながら専用のステータス画面も存在していた。
検証した結果、アイテム欄は失われており、アイテム情報の確認など、便利な機能も使えなくなっていた。
ただ、ステータス画面は問題なく開くことができた。
視線を名前の欄へ移し、小さくため息をつく。
前世の名前には、もう意味がない。
転生した以上、これからはウォルとして生きていこう。
「知力は結構高いんだな」
一般的な村人のステータスは、どれもだいたい10以下のはずだ。
ということは、自分は少なくとも頭がいいほうってことになるのか?
ウォルはこんな状況でも、少しだけ前向きに考えた。
(少なくとも、スキルを何度か使っただけでMP切れになる心配はなさそうだ)
彼はギフトの詳細を開いた。
霊鍛 LV.1
素材に触れた状態で魔力を注ぎ込み、強化および鍛造を行うことができる。
「よりにもよって、鍛冶屋向けの才能か」
ウォルは苦笑しながら首を振った。
おそらく、あの筋骨隆々とした父親から受け継いだものなのだろう。
この数か月で、自分がこの世界の言葉を問題なく理解できることも分かった。
父親は腕のいい鍛冶屋らしく、村でもかなり評判がいい。
村人たちが農具を作ってもらったり、包丁を修理してもらったりするために、よく店を訪れているのを見かける。
母親は専業主婦で、普段は自分の世話をするほか、時折店に出て、接客の手伝いや掃除をしている。
最初にこのステータス画面が表示されたときは、さすがに胸が躍った。
だが、自分のギフトが勇者専用の【耀光】ではないと分かった瞬間、一気に落胆した。
(やっぱり、俺は主人公じゃないんだな……)
だが、それ以上に安堵していた。
(まあ、前世はただのサラリーマンだった俺に、世界を救うなんて無理ゲーすぎだろう)
前世ではもう十分働いた。
せめて今世くらいは、のんびりと暮らそう。
(普通の鍛冶屋として、のんびり一生を過ごすのも悪くないか)
この世界は魔族や魔物の脅威にさらされている。
それでも、現在の帝国は国力が強く、辺境の小さな村まで魔族や魔物の脅威が及ぶことはほとんどなかった。
ゲームの知識と自分のギフトを活用すれば、食い扶持を稼ぐくらいは問題ないはずだ。
「今って、どの時代なんだろうな。勇者はもう生まれたんだろうか?」
ウォルはのんびりと、これからの平穏な人生に思いを巡らせる。
その穏やかな日々への期待は、隣家の住人の顔を見た瞬間に終わりを告げた。
その顔を、ウォルが見間違えるはずもない。
原作で何度も見た勇者の父親だった。
(……やばい)
(まさか俺、勇者の隣人に転生したのか?)
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